追悼 敏いとう
昭和歌謡_其の118
「ムード歌謡の【帝王】 敏いとうを偲んで」
『わたし祈ってます』『星降る街角』
『よせばいいのに』 by 敏いとうとハッピー&ブルー
『よせばいいのに』『今夜はオールナイトで』
by 三浦弘(三浦京子)とハニーシックス
日大農獣医
このところ、ずっと私が大好きなムード歌謡の世界を紹介して来ましたけれど、いい加減「飽きた!」という声もちらほら耳にしまして(笑)。
いったんムード歌謡は中断し、夏の終わりにふさわしい歌謡曲でも紹介させてもらいましょうか、と、あれこれ楽曲をセレクトしている最中に、テレビのニュースで、敏いとうとハッピー&ブルーのリーダー、敏いとうが亡くなったことを知りました。享年84歳。
https://www.nishinippon.co.jp/image/831269/
テレビ画面を見やると、可愛らしい顔をした局アナ女子が、おそらくは、いや、まず100%知らない! し、興味もない! はずの敏いとうの訃報を、渡された原稿そのままに棒読みするがごとく、
「敏さんは1971年に、ムード歌謡のグループ『敏いとうとハッピー&ブルー』を結成し、リーダーに就任。74年には『わたし祈ってます』を大ヒットさせ、続いて77年に『星降る街角』、79年に『よせばいいのに』が立て続けにミリオンセラーを記録し、『ムード歌謡の帝王』とも呼ばれました」
「また柔道と空手の有段者で、フランク・シナトラが来日した際には、みずからボディーガード役を買って出て、本人に大層気に入られ、以来、大親友の仲になったというエピソードの持ち主でもありました」
私が昭和歌謡の会を開いていた頃、店のママの知り合いの音楽関係者が数名、遊びに来てくれたのですが、その中の1人、某演歌系レコード会社のディレクターが、会の常連さんたちに「これは業界に流れている噂話だけどね」と前置きし、「昭和時代に活躍した有名芸能人の中で、殴り合いの喧嘩をしたら絶対に負けない! という腕っぷし自慢の3人を挙げるとすると、ジェリー藤尾に渡瀬恒彦、あとは敏いとうね」と話してくれたのです。
終始なんの感情もなさげに話す、女子アナのコメントを聴きながら、敏いとうの〝良くない〟風評……、嘘かホントか知らないけれど、「反社とのつながりが深い」とか、「敏に逆らうと芸能界からホサれる」とか、「下手すりゃ東京湾に浮かぶ」とか、正直、聴いただけで「そんなわけぁ、ねぇだろ!」吹き出しちゃうような〝噂〟が、常につきまとってはいましたよね。
これは私だけの勝手な印象ですけれど、日大を追い出された元の理事長のドン田中! あいつに似てるような? 気がしましてね^^;。実際、田中は日大の相撲部から成り上がった男ですけれど、敏は、青山学院大に入学後、アメリカンフットボール部を創設し、みずからも選手として大活躍! まぁ、だからナンなんだ? ではありますが。
その後、どういう心持ちだったのか、日大の農獣医学部獣医学科に入り直し、獣医師として社会に出て、作曲家の遠藤実の愛犬を診察したのがきっかけで、それまでさして興味もなかった芸能界に入った、……のだそうです。
前回のコラムで、北海道出身の歌謡グループ『秋庭豊とアローナイツ』のメンバーは全員、元炭鉱夫だった、と書きましたけれど、芸能界広しといえども、獣医の国家資格を持つ歌手は、敏いとうぐらいでしょうね。
敏が結成した『ハッピー&ブルー』の楽曲の特徴は、なんといってもメロディがとても耳に馴染みやすい! ことですね。ムード歌謡ファンでなくても、カラオケで「ちょいと唄ってみよう!」という気にさせてくれるんですよね。
追悼の意を込めて、3曲、紹介しちゃいましょう。おそらくは皆さんもご存知の曲ばかりだと思います。
映像も載せますので、ちょいと注目していただきたいのは、ステージ上の敏の、メンバーの中での立ち姿と歌いっぷり。いや、これを書くと、それこそ〝怖い〟敏があの世から化けて出るんじゃないか、とヒヤヒヤしちゃいますけれど……、
敏は、ほとんど歌ってません(笑)! あは、言っちゃった^^;。
下に挙げる3曲が大ヒットし、「ザ・ベストテン」ほか、テレビの歌謡番組に出まくっていた頃は、まだ「そうでもない」のですが、年を経て、昭和の懐かしのメロディ的な企画で番組に呼ばれた時は、ただぼーっと、後ろの方で突っ立っているだけ。口元をじっくり観ていると、サビの部分を歌うことすら忘れちゃったり、してね。
敏のそんな、ある意味投げやりな、ヤル気がなさげな、ただ「出てきちゃいました」っぽい姿を眺めるたびに、私は思うのです。だってコノ人、本当は獣医の先生だもん。そもそも歌手になりたくてなったンじゃ、ないもんね、と。
いや、決してけなしている訳じゃないのです。そういう敏の、傍若無人といいましょうか、まさに【帝王】然とした振る舞いも含めて、この『ハッピー&ブルー』という歌謡グループは、長年愛されて来たのです。
リーダーが唄わないで、どうなるの? とムード歌謡に詳しくない方はそう感じられましょうが、大丈夫。メインボーカルは別にいますので。
リーダー自身がメインで唄うグループとしては、ロス・インディオスの棚橋さんが有名ですが、多くのグループは、リーダーとメインボーカルが別です。
ちょうど大ヒットの3曲のメロディが、皆さんの耳に馴染んでいた、まさに『ハッピー&ブルー』の黄金期のメインボーカルは、2代目の森本英世です。
『鶴岡雅義と東京ロマンチカ』のメインボーカル、三條正人の甘い歌声……よりは劣る気がしますが、ルックスも美男子で、素敵な歌声は女性ファンを魅了しました。
現在はソロ歌手として、前回紹介させていただいた、木下あきらなどと連携しながら、ムード歌謡の世界を唄い継いでくれています。
ではでは、『わたし祈ってます』(昭和49=1974年発売/作詞&作曲:五十嵐悟)から聴いてもらいましょう。
♪~ララララララ ララララララ
わたし祈ってます
身体(からだ)に十分 注意をするのよ
お酒もちょっぴり ひかえめにして
あなたは男でしょ 強く生きなきゃだめなの
私の事など心配しないで
幸せになってね わたし祈ってます~♪
お次は『星降る街角』(昭和52年=1977年5月25日発売/作詞&作曲:日高仁)
♪~…………ウォンチュ!
星の降る夜は
あなたと二人で 踊ろうよ
流れるボサノバ ふれあう指先
ああ恋の夜
いたずら夜風が
頬にキスしても 二人は
何も言わないで 瞳見つめあう
あの街角~♪
この歌が秀逸なのは、前奏途中の「ウォンチュ!」の雄叫びでしょうね。
〝それ〟があるために、普段はロックや洋楽を聴くばかりで、昭和の歌謡曲、それもムード歌謡なんて見向きもしない、当時の若者たちも、カラオケBOXに集う時に、遊び半分で「なぁ、ウォンチュ! 歌うべ」と、『星降る街角』をリクエストしたんですね。そういう「売らんかな」の戦略は、ひとえに【帝王】敏の司令によるものだと、ネットの情報で知りました。
ひょっとして敏は、『ハッピー&ブルー』が売れ線の歌謡グループに成長したものの、本音で「歌を唄う」ことよりも、自分のグループおよび制作スタッフたちを「どう儲けさせるか?」に、より強い関心があったんじゃないですかね。プロデューサー的な資質に長けている、といいましょうかね。
そのおかげで、過去にムード歌謡グループは、売れ線、落ち目、あまた実在しましたけれど、『ハッピー&ブルー』の看板ソングの多くは、一部のオタク的なムード歌謡ファンのみならず、老若男女の幅広い年齢層に愛されて来ました。この功績は、ひとえに【帝王】敏の腕の見せどころ!
きっと令和のいまも毎晩、全国のどこかのカラオケスナックで、彼らの楽曲は歌われているはずです。もちろん私も機会があれば、かならず3曲中の「どれか1曲」は歌います。
改めて敏いとうさんに感謝するとともに、合掌いたします。
そんな『ハッピー&ブルー』の最大のヒット曲が、こちら……。『よせばいいのに』(昭和54年=1979年6月21日発売/作詞&作曲:三浦弘)です。
まさに超特大のホームラン! 週間のオリコンチャートで最高2位を獲得し、レコード売り上げ枚数は71万枚(一説には100万枚を超えた、とも)。この年の「日本有線大賞」で音楽賞にも輝きました。
♪~いつまでたっても駄目なわたしね”
女に生まれて 来たけれど
女の幸福 まだ遠い
せっかくつかんだ 愛なのに
私のほかに いいひといたなんて
どうにもならない 愛だとわかっていても
お嫁にゆきたい あなたと暮らしたい
馬鹿ね 馬鹿ね よせばいいのに
駄目な駄目な 本当に駄目な
いつまでたっても 駄目なわたしね~♪
ところがですね。この歌にもまた、【本家】とカバーの問題が浮上するんですよね。ホント、昭和歌謡の世界の面白いところです。
本家は兄弟妹が総出
実はこの『よせばいいのに』は、作詞と作曲を担当した三浦弘がリーダーを務める、別のムード歌謡グループ『三浦弘とハニー・シックス』が、3年前の昭和51年=1976年5月に【本家】としてレコード発売しています。
それを発売した当時、すでに『ハニー・シックス』は、以下で紹介する『今夜はオールナイトで』を〝そこそこ〟ヒットさせていました。つまり音楽業界関係者はもちろん、歌謡ファンにも、すでにムード歌謡グループとして認知されていました。
で、……『よせばいいのに』も、〝そこそこ〟ヒットしたことで、他のグループや歌手が「こりゃ良い曲だ」と感じて、「俺たちにも歌わせてくれ!」となったのでしょう。
3年後に『ハッピー&ブルー』が、編曲を変えたバージョンでシングルレコード販売した【同じ日】に、共作の形で、九重佑三子の亭主でもある田辺靖雄(現在、日本歌手協会会長)も、シングルレコードを発売しています。
では【本家】の『ハニーシックス』は、どんな歌謡グループなのか? というと、……これがですね、前回ご紹介した『アローナイツ』とは、ちょいと別の意味で、かなり異色な存在でしてね。メンバー全員が兄弟なのです。
長男の三浦弘を筆頭に、メインボーカルを務める長女の京子と、四男の久雄。ギターが次男の貞夫、キーボードが三男のハルオ。一家総出で八百屋や魚屋をやっている、という話は下町の商店街ではよく聴かれますけれど、歌謡グループやバンドとなると珍しいでしょ。
日本では、私が子どもの頃に大ヒットした、♪~「ハロー、ダーリン」 リンリンリリン…… リンリンリンリン…… リンリンリンリンリン……~♪ の『恋のダイヤル6700』(昭和48年=1973年12月5日発売/作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫)を唄った、沖縄出身の5人兄妹=フィンガー5ぐらいじゃないですかね。
『ハニーシックス』は、昭和40年にグループが結成され、その後ずっと活動を続け、平成20年=2008年にリーダーの三浦弘が、70歳になったのを機に引退したタイミングで、長女の京子がリーダーに昇格し、『三浦京子とハニーシックス』と名称を変えました。
……が、メンバーチェンジをせずに、ひたすら兄妹たちが仲良く力を合わせ、令和の現在でも現役も現役! 今日もきっと、全国どこかのステージで、素敵な兄妹のハーモニーを披露し続けてくれていましょう。
余計なお世話ですが、兄妹喧嘩なんて、しないんですかね? 兄弟の漫才コンビが、楽屋じゃお互いに罵詈雑言を浴びせて、胸ぐらを掴まんばかりなのに、ステージに上がりゃあ、終始ニコニコ顔、……なんて話を耳にしますけれど、
『ハニーシックス』に関しては、メインボーカルの京子と久雄の息がぴったりで、逆にその仲の良さが、いささか〝キショイ〟と感じたりもするほどで。
まぁ、どうあれ子供の頃から見知っているグループの姿が、そのまま60年近くも年を経て、昭和、平成、令和……奇跡的になんとか無事に生き遺って来りゃ、そりゃ当人たちも老けましょう、声だってそれなりに衰えましょう……、
でも現在、ネットのyou-tube動画で、ほんの数年前ぐらいのステージ映像を眺められたりすると、何故かホッとすると同時に、頑張ってるなぁと励まされる思いがします。
世間じゃ、さほど知られてないグループですけれど、元祖リーダーだった三浦弘は、『ハニー・シックス』のほとんどの曲の作詞か作曲に関わってます。
【本家】で火がつかなくても、共作なりカバーなりで他の歌手が歌ってくれて、運次第でドカンと当たりゃ、三浦弘の元には、作詞&作曲の印税がドバババと入ってきます。
令和の今でも『よせばいいのに』を、私だって時々歌いますから、カラオケ印税だって莫大なものになりましょう。それらの資産によって、長男である弘は、自分が引退した後の弟や妹たちの活動を支えている、……わけですね。
三浦家の家族愛は、大変なものだと感じます。
メジャーデビュー曲は、昭和48年=1973年発売の『今夜はオールナイトで』(作詞&作曲:三浦弘)です。発売当初はさほど話題にならなかったものの、
この歌はね、まずメロディが軽快で耳に親しみやすく、歌詞も覚えやすいため、全国あちこちの盛り場のナイトクラブやカラオケスナックで、酔った殿方が好みのホステスの肩を抱いで「1曲、唄おうぜ」という時の【デュエットソング】に、ジャストフィット! なんですね。
じわりじわりと、夜の商売の関係者の〝口コミ〟で『今夜はオールナイトで』が拡がり、有線放送のリクエストも集まり、気がつきゃ息の長いヒット曲に成長します。
(※この映像の「後半部分」です)
♪~「遅くなったね」
「今 何時…」
「もう11時だよ」
帰したくない 帰りたくない
別れられない 別れたくない
二人でゆこう いつものクラブ
遅くなってもいいの 僕が送ってあげるよ
一緒に飲もうよ 夜明けのカクテル
だからだから だから今夜は
オールナイトで~♪
実は私も、この歌を勝手に十八番にしてましてね。
最近はとんとご無沙汰ですが、その昔、生まれ故郷の蒲田やら、移り住んだ高崎やら前橋のカラオケスナックに、ちょくちょく顔を【出せていた】頃、店に新人の女の子が入って、私の好み! だったりすると、頃合いを見計らって、
「どう1曲、デュエット?」
「え? いいけど、私ィ、あんまり知らなくって」
「『今夜はオールナイトで』は?」
「あ、知ってる、知ってる! やりましょ、やりましょ」
なぁんてね(笑)。……恥ずかしくも懐かしい実話です。
おあとがよろしいようで^^;。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。