中山美穂
昭和歌謡_其の121
師走の「数え日」に、ミポリンこと中山美穂を偲ぶ
『ツイてるねノッてるね』
『You’re My Only Shinin’ Star』
by 中山美穂
数え日に
11月に入っても都心の昼間の気温が20度以上もあって、なかなか服装が秋冬バージョンに切り替えられない! と思いきや、11月後半から急に朝晩の気温がグググと下がり、秋をスルーして一気に季節は真冬です。
師走10日過ぎの高崎の最低気温は2度^^;。寒がりな私は、寝る時に毛布2枚で掛け布団をサンドイッチにし、さらに電気アンカを使い、おまけにソックスを履かないと、とてもじゃないが安眠出来ないのです。
気象庁の発表によると、これからの季節、近年稀に見る「寒い寒い冬になりそう」……だそうで、
某民放局の美人お天気キャスターいわく、「年末年始には猛烈な寒波が襲って来ますので、新春の初日の出を見に外出される方は、相当暖かい格好を心がけて下さい」
師走も20日を過ぎると、「あと◯日で年が変わる」……、つい指でかぞえてしまうため、江戸時代は「数え日」と称したそうですね。
江戸時代も末期……、大掃除やら何やら、年内に片付けておきたい大小さまざまな用事がありすぎて、「猫の手も借りてぇ~」ほど忙しい「数え日」に、あえて無理にでも時間をこしらえて寄席に行き、さまざまな噺家の落語を聴いては、腹を抱えて大笑いしつつ1年の憂さを祓(はら)い飛ばす! これが、意気を気取る江戸っ子の吉例行事になっていたそうな。
そんな話を大学時代、寄席演芸に詳しい講師から聴き、「江戸っ子を気取るほどの野暮は無し」の典型、しかも江戸ですら無い場末町・蒲田出身の私は、特段忙しくもない「数え日」にわざわざ、上野「鈴本」やら新宿「末廣亭」やらの寄席に足を運び、「腹を抱えて大笑い」など、とてもじゃないが叶わない下手糞な噺家の落語を、うつらうつら睡魔と闘いながら聴き流し……てな愚かなことを、十数年前まで続けておりました。
さて2024年の「数え日」に、あなたは1年を振り返り、真っ先に何を思い浮かべましょうか?
想えば今年は、カミサンと二人で毎年元日に出かける、近所の神社の初詣……。ようやくコロナ禍の煩わしさから〝かなり〟開放されての年明けですので、1年を通して「災害、人災の無い穏やかな年になりますように」と、祈願し終えて帰宅して、改めてカミサンと、大晦日から仕込んでおいた御屠蘇で新春のご挨拶、「あけましておめ……」のタイミングで、ぐらり! と揺れました。
その後の能登の悲惨な光景は、皆さんもご承知の通り。大震災から始まった辰年は、穏やかとは真反対で、異常な気候は冒頭に記した通りでしたし、衆院選で自民党はとてつもない惨敗をしましたし、師走に入って、……ま、これは干支とは関係ないでしょうが、昭和時代の超が付く人気女性アイドル、ミポリンこと中山美穂が〝まだ〟54歳なのに急逝しましたね!
私はネットでこの報を知った際、反射的に「マジか、ミポリンが自殺!?」と勘ぐってしまいました。まさか自宅のバスルームで溺死とは思いもしませんでしたけれど、彼女は若い頃からお酒が好きで、また相当に強かったらしく、どうやら入浴中にヒートショックを起こしたのではないか? と。
私のカミサンの親父も〝これ〟でした。さして酒が強くないのに、おそらくは寒さしのぎのつもりだったのでしょう、コンビニで買ったワンカップ大関(日本酒)を飲み、すっかり気分良くなっちまって、……熱い風呂に入り、急激に血圧が下がったのか? 目眩を起こして転倒。そのまま動けなくなり。
たまたまカミサンが忘れ物を取りに自宅へ行き、父親の異変に気付いて救急車を呼んだのですが、素っ裸の状態でバスルームに放置された時間が長かったんでしょうね。肺炎を起こして緊急入院。数日後に内科的には復調したものの、すっかり歩けなくなるとともに、認知症も悪化して……。
中山美穂の関係スタッフの談という、信憑性があるんだかないんだかのネット記事によると、かつてのトップアイドルも、五十路の坂を越えた途端、急に「寝られなく」なった、と。ベッドに入ってもなかなか寝付けず、寝る前に酒を飲み「アルコールの力を借りて」ようやく寝入ることが出来る。けれど2時間も経たずに目が醒めてしまう……。そのことにかなり悩んでいたらしいですね。
以下はあくまで私の推測ですが、翌日の夜に控えた、大阪で開催のファン待望のクリスマスコンサート。体調万全で臨まなきゃ、関係スタッフにもファンにも申し訳ない! という想いがつのり、「しっかり寝ておかなきゃ」と、普段より多めに酒を飲んじゃった、んじゃないですかね。なまじ酒が強いだけに「この程度の量なら大丈夫」との勘働きも、あったのかもしれません。
実は私、彼女の女優デビュー作&主演作の、TBS系の連続ドラマ「毎度おさわがせします」を観て、すっかりミポリンにハマっちゃいましてね。畑嶺明が脚本を書いていましたが、第1作目で中学1年生だった、役名「森のどか」の設定が、今時のコンプライアンスに照らしゃ100%「あり得ない!」ほど不謹慎の極みでしてね。
まずもって、まどかは「Aカップの貧乳」なのです。中1女子なら、そんなの当たり前のことだと思いますが、彼女は小学生の頃から「まるっきり教養は無い」女子で、「かなりの問題児」+「喧嘩上等! で乱暴な性格のツッパリ娘」+「自分のことを【俺】と言う」……。いつも年上の不良どもとツルむため、耳年増でSEXに興味津々。常に両親や教師や近隣の大人たちを悩ませるトラブルメーカー!
おませな彼女にとっては、「オッパイが小さい」事実は最大のコンプレックスで、早くオンナとして成長、ならぬ「性長!」すれば、念願のボイン(死語)になるのではないか? と、弱いオツムなりにいろいろ考えるわけですね。結果、常識じゃ考えられぬ、思春期特有といやぁ特有の破廉恥な言動をしまくる……。
という役を、当時、実際に中学3年生だったミポリンは、あまりに見事過ぎるほど、演じ切ったのです。
また、まどかが惚れちゃう相手がね、やっさん、こと横山やすしの息子、〝あの〟木村一八ですからね。コイツは演技じゃない、本筋のワル! なことは、その後、彼がたどる人生の転落を想えば、おわかりになりましょう。
でも当時の芸能雑誌に載った、木村一八のインタビューによれば、ドラマの撮影当初、役柄にのめり込んで積極的にモーションをかけて来たのは、むしろミポリンだったようで、「時々、演技だか本気だかわからなくなって、困っちゃう(笑)」と、さすがのワルも苦笑してましたっけ。
ほどなく芸能ゴシップ誌がこぞってミポリンのことを「魔性の女」と書き立てたのも、決してガセネタじゃないんじゃね? と、私は本屋で立ち読みしながら、勝手に妄想を膨らませておりました。ワルの木村一八まで翻弄されちまった! らしいですから。
いやぁ、この場で告白しちゃいますが、「毎度おさわがせします」が話題になっていた時分、私はすでに大学を卒業し、大田区の羽田近くの学習塾で講師をしてましたが……決して教育的環境のよろしい地域柄じゃないため、毎日、ミポリン演じる「まどか」と似たりよったりの、勉強なんざにからきし興味がない、頭の中は「エロ妄想ばかりじゃね?」みたいな、ツッパリ女子中学生が何人もやって来るわけです。……教えるこちらも、同様の妄想を抱いたりして、いやはやオハズカシイばかり。
勤務して数カ月後、ツッパリではないものの、化粧も髪型も服装も、妙に色気づいた中3女子に、勝手に好きになられてしまった、……んですね。その子に私が多少でも〝その気〟になれれば、また話は別で……。いや、そうなったらなったで、いくらコンプライアンスなど無きに等しい昭和60年においても、先方の親を巻き込んで、かなり厄介な展開になったでしょうが。
私は彼女に、講師と生徒という関係以外に何ら関心がなく、「どうやら彼女が俺に!」と気付いた時に、こりゃヤバイと、……なるべく早急に対処すべく塾長にも先輩講師にも相談せず、あくまで独断で、彼女を冷たくあしらってしまった、……んですね。
その2日後でしたかね。彼女は、普段から親しくしている不良仲間を10数人連れて、塾へ抗議に来たんですね。いやぁ、いま思い出しても、その時の光景はゾッとします。夕方早め、そろそろ各学年の生徒がてんでにやって来るという時刻に、塾が入っているマンションの前が、やたら騒がしくなったのです。バイクの音もうるさくて……。塾は2階にあったのですが、(何だろう?)とドアを開けてベランダから下を見下ろしたら、見るからにタチが悪そうな女子の集団が、一斉に私を睨みつけて来るじゃないですか。
「塾長! 大変です。ちょっとトンデモナイことになっちゃいまして」
慌てて塾長を呼んで助けを求めるやら、事情説明やら、すったもんだがあって……。ひと月後、責任を取って塾を辞めました。
ミポリンが亡くなったと知り、どのテレビ局のワイドショーでも「毎度おわさがせします」の話題に触れる……その画面を眺めつつ私は、みずからの迂闊さ、愚かさ、が招いた40年ほど前の不祥事を、つい昨日のことのように想い返し、胸の奥がズキンと痛みましたよ。
ミポリンが女優として、観客を「あっ!」といわせる演技を見せてくれたのは、岩井俊二が監督&脚本の「Love Letter」でしょうね。私もスクリーンに映し出される彼女の、実にピュアな感情表現に圧倒された記憶があります。
(えっ、これが『毎度……』のミポリンなのかい?)
とても同じ人物と思えないほど、彼女は女優として見事過ぎる飛躍を遂げていました。さらにTVドラマの「眠れぬ森」(フジテレビ系)……。相方はキムタクこと木村拓哉で、彼に翻弄されつつ惹かれていく女性をミポリンが熱演しましたね。
正直、私は世間の評価ほど、このドラマにはハマりませんでした。一言でいうと、少しも面白みが感じられなかった。
でも脚本を担当した野沢尚は、だいぶ前から個人的にかなり「気になる」存在でしてね。歳が2つだけ向こうが上で、学科は違えどニチゲイ出身だというのも、その理由になりましょうが、世間で高評価を受けているわりに、私自身は、さほど彼の作品に惹かれなかった……。それが何故か知りたくて、彼の過去のシナリオを買い求めて読みふけった時期もありましたが、いまだに判然としません。
ただ……ですねぇ、これを書いた数年後、野沢氏は突然、自分の仕事部屋として借りていたマンションの一室で首をくくり、齢44歳で自殺しちゃうんですね。これも、いまだに真相は判然としないままだそうで。
まぁ、ドラマ「眠れぬ森」に関しての詳細は、多くの方がこの作品に感激し、ミポリンの死後、このドラマの再放送を望んでいる! らしいですから、そちらを参照いただきましょう。
魔性の女
さて歌手としてのミポリンですが、こちらもデビュー曲の『C』がいきなり大ヒットしましたね。でも、私は今回、追悼の意味を込めて紹介したいのは、7枚目のシングルになる『ツイてるねノッてるね』(昭和61年=1986年8月21日発売/作詞:松本隆/作曲:筒美京平)です。
♪~………Lucky Girl
誰かどこかで見ている
シャワーを浴びる瞬間感じたの
気のせいね 風の音
あ~、濡れた髪テラスでかわかし
タオルをまいて振り向く鏡に
見知らぬ私………女だわ
ツイてるね ノッてるね
誘いのベルが鳴ること
心で賭けてたの
あぶない恋はいつもいつもルーレット
ツイてるね ノツてるね
幸運の女神が
私に微笑むの
あなたの靴の音が近くなるわ
………Lucky Girl
いつも見られていたのよ
ショー・ウィンドウに映った横顔も
綺麗だね ささやかれ
あ~、あの日から心も虚ろに
夢とうつつを吐息でつないだ
不思議なほどに………女なの
ツイてるね ノッてるね
星ほどもいる男と
女がめぐり逢う
理想の愛はひとつきりなのに
ツイてるね ノッてるね
コイン投げて表が
出たなら自由にして
ソファーにもたれながら待っているわ
ツイてるね ノッてるね
誘いのベルが鳴ること
心で賭けてたの
あぶない恋はいつもいつもルーレット
ツイてるね ノツてるね
幸運の女神が
私に微笑むの
あなたの靴の音が近くなるわ
………Lucky Girl~♪
この曲は、資生堂の「’86 秋のキャンペーンソング」に採用され、TVのCMにはミポリン本人も出演していましたね。見事に大ヒットして、その年のレコード大賞の金賞に輝きましたし、
令和の現在も、同じく昭和61年に発売された本田美奈子の看板ソング『1986年のマリリン』(作詞:秋元康/作曲:筒美京平)とともに、カラオケで唄う女性はたくさんいましょう。
前奏が、なぜか激しい爆裂音から始まるんです。続いてやけに細かいドラム・ソロが入り、ジョイントしてベースが重低音をガンガン響かせまくります。とにかくこの曲はやたらめったら、けたたましいまでにアップテンポなのです。
編曲は誰かしら? と調べると、嗚呼やっぱり! 作曲の筒美先生とコンビが長い船山基紀と大村雅朗が連名で担当しています。通常、編曲は1人で行いますし、作曲家がみずから手掛けることも多いです。
ましてや筒美先生クラスの大御所作曲家になれば、紡ぎ出すメロディ同様、音符のアレンジの腕も超一流です。……なのに編曲は別。かつ2人! この曲を「絶対にミリオンヒットにする!」という制作スタッフの意気込みの表れでしょうか。
あまりにスピーディな前奏のメロディに乗せて、ミポリンの声で ♪~ラッキガール~♪ が連発されます。正直、彼女はさして歌は上手くないです。前出した、ほぼ同時期のビッグアイドル・本田美奈子の『1986年のマリリン』と聴き比べてみれば、即座にお判りになるはずです。
でもね、ミポリンはそれで良いのです。何故? と突っ込まれそうですが(笑)……。女優としての演技も同じくです。決して上手くない。
故人に喧嘩を売るつもりなど毛頭ないですが、実の妹の中山忍チャンの方が、演技の上手さというか達者さとしては、格段に上でしょうね。
それでもミポリンが女優として、映画のプロデューサー、監督、脚本家、加えて共演する役者たちに愛され続けてきたのは、彼女が放つ独特な空気感、……まさに「魔性の女」としか言いようがない、不可思議なオーラを身に纏(まと)っているからではないかと、あくまで私論ですが、強くそう感じます。
歌詞を書いた松本先生は、テレビのCMソング【にもなる】曲を任された時は、自分の中の作家性をグッと押し込んで、広告屋のコピーライターさながら、ミポリンの歌声が巷に流れた時に、絶対に「一度サビの部分を聴いたら最後、ずーっと聴覚に絡みつき、思わず口ずさみたくなる!」……ような言葉選びを企む(仕組む)んですね。
曲を書いた筒美先生は先生で、最初からCMソングに決まっている場合、サビのメロディを書く際に、松本先生と同じくメチャ企む(仕組む)わけです。
ただ、それだけじゃクリエーターとして面白くない! と考えるのでしょうか? サビの直後の ♪~あぶない恋はいつもいつもルーレット~♪ の部分……ここ、カラオケで唄ってみるとすぐに思い知らされますが、音の上げ下げの振幅がせわしなさすぎて、よっぽど歌に自信がある御仁でなきゃ、音程を保つのがメチャ大変です。
その意味じゃ、本来はミポリンが唄わない方がよろしいんですけれどね。でもイイんです、そんなこたぁね。「魔性の女」は、何でも許されちゃうのですから(笑)。
まぁ、とにもかくにも昭和時代の芸能界を飾る、第一線級のスターが、また1人、俗世を離れて彼岸へ旅立ちました。
この稿の最後にもう1曲、ミポリンのさまざまなクリエイションが輝いていた〝あの〟頃、〝この〟頃を偲びながら、この歌を捧げます。長かった昭和の晩年も晩年、昭和63年=1988年2月17日に発売された『You’re My Only Shinin’ Star』です。
この曲は、オリコンチャートで1位に輝くほど売れましたし、カラオケの定番バラード曲として、今でも熱唱される皆さんは、女性ばかりか男性にも多いです。昭和歌謡史におけるシティ・ポップスの代表格だった、角松敏生が作詞も作曲も出掛けている! という意味でも、実に貴重な1曲です。
♪~月が波間に浮かぶと あたたかい夜が 忍んでくる
沈む夕闇に瞳 わざとそらしたまま打ち明けた
星と同じ数の 巡り合いの中で
気がつけば あなたがいたの
You’re my only shinin’ star
ずっと今まで困らせて ごめんね
大切なもの それはあなたよ
いつまでも側にいて I Love You
何故だかわからないけど 理由もなく涙つたってくる
こんな時に泣くなんて らしくないよと 肩を抱きよせ
はにかんだ微笑み あいかわらずなのね
月灯り 二人照らして
You’re my only shinin’ star
あなたはきっと たえまなく流れる
星の輝き 私を包む
永遠に終らない Shootin’ star
時が運んでくる 不思議なときめきを
追いかけて ここまできたの
You’re my only shinin’ star
ずっと今まで困らせて ごめんね
大切なもの それはあなたよ
いつまでも側にいて I Love You~♪
ミポリン……、謹んで御冥福をお祈りします。
合掌
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。