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令和七年 小暑

2025年7月7日 ~ 2025年7月21日

Tの病い_其の1

Abnormal 正常より離れて

噴飯

小暑_じきに梅雨が明け、風に夏の香りがする頃。

今年の梅雨は、記録的に遅く梅雨入りし。記録的に早く梅雨明けしそうである。ただでさえ不足している米作への影響が気に掛かる。

我が国の総理大臣は、地方出身のくせに自然の摂理、農作業に疎いようである。
先日の参院選に向けた党首討論でのこと。
国民民主の党首「今年度からの米作増産を目指すということですか」
総理大臣「今年度令和七年収穫からの増産を目指すつもりです」
国民民主党首「田植えが終わってますが」
総理大臣「—————」
これをまさに〝噴飯〟ものという。

〝噴飯〟ものをもうひとつ。
国会にて与党議員「備蓄放出米の古古々米という呼び名では、イメージが悪いので、新しいブランド名を付けてはいかがですか」
新任のファンキーな農水大臣「それは、国民の皆様で付けていただければと思います」
ネットでの投稿「〝こしひかり〟ならぬ〝ななひかり(七光り)〟一択でしょう」
秀逸である。

参議院選挙が行なわれるが、投票日は七月二十日、三連休の中日という、広く国民の声を聞き、投票を促すという点で、まさに〝打って付け〟の日程である。高度な戦略のつもりか、あざとい思惑が透けて見えて馬鹿にされた気にしかならない。

三年に一回の参議院選挙は改選が半数であるので、大きな政界編成とはならぬが、それでもかなり勢力図が変化しそうな様相である。その危機感ゆえに政府与党も、投票日を三連休の中日に設定したと思われる。

この政変に繋がるともいえるうねりは、安倍晋三元首相の暗殺と、その後のLGBT法案設立あたりから始まったように思える。

このLGBTについて、私の浅い意見を今回は述べてみたいと思う。

パパ、またねー

ご存知のようにLGBTは、
Lはレズビアン(Lesbian)女性の同性愛者
Gはゲイ( Gay)男性の同性愛者
Bはバイセクシャル( Bisexual)両性愛者
Tはトランスジェンダー (Transgender )性同一性障害
の〘性的少数者〙を表す略語である。

LGBTと私の個人的な関わりとしては、私の大学卒業論文が『性対象倒錯者の誕生』というタイトルであるのと、このウェブマガジン『麻布御簞笥町倶樂部』のメイン・ヴィジュアル・キャラクターである真田怜臣さんが、トランスジェンダーだということである。

私の大学卒業論文の『性対象倒錯者の誕生』は、性の対象が男性が女性、女性が男性というノーマルではなく倒錯してしまった人々、同性愛者、サディスト、マゾヒスト、スカトロ(糞尿)愛好者等々は、何故に誕生するのかというテーマで書いたものである。
もっともその内容は、フロイトマルキ・ド・サドザッハー・マゾッホ稲垣足穂沼正三、そしてサドの『美徳の不幸』『悪徳の栄え』の翻訳者で作家の渋沢龍彦、などの著作の中から適当に文章を借用してつなぎ合わせた代物である。ついでに論文の研究調査と称して不埒にも新宿二丁目や六本木のゲイバーを遊び回った。

むかしから、なぜかゲイボーイにはモテた。私が最初に新宿二丁目のゲイバーに行ったきっかけは、大学の友人が六本木で女の子をナンパしたことにある。彼女には新宿二丁目のゲイバーに入れあげているゲイボーイがいる(今風に言えば〝推し〟であろうか)ので、そこに連れて行ってくれるのなら、一緒に遊んでもいい、ということだった。なんでも当時も現在も有名なある女優とそのゲイボーイを巡って競い合っているということだった。

世間を知らぬに加えて、下半身の制御というものを知らぬ大学生は、のこのこと新宿二丁目のゲイバーへと向かった。ゲイバーでは随分と歓待を受けた。11時過ぎてショータイムが終わっていたのにもかかわらず。私たちだけのために、簡単なショーを急遽やってくれた。ショータイムが終わると客は一斉に引く。ショータイムが終わったあとに店に入ったのは私たちくらいのものであった。店の客は私たちだけとなったので、ショーを急遽サビースしてくれたのだった。

ナンパした彼女のお気に入りは、なぜか私を〝お気に入り〟になり、私に抱きついて離れない。終いに彼女は怒って先に帰ってしまった。店に残るは私と友人、店のゲーボーイたちだけで明け方まで酒盛りとなり、店を出た時には空が白々明るくなっていた。ヘベレケで途中トイレに行った際、鏡を見て思わず叫んだ、顔中ゲイボーイたちの口紅の跡だらけである。どうりで顔が突っ張ると思った。店の前で拾ったタクシーに乗り込み「じゃあねー、パパ、またねー」という総出の濁声のお見送りに、パパってアンタらの方が年上でしょうにと思いつつ、手をフリフリして友人と二人して帰った。

のちに、その店はとても有名なゲイバーで私たちが支払った金額(確か二人で五千円ほどだったような—)の10倍はする高級店だと聞きゾッとした。世間を知らぬというのはホンに恐ろしい。が、根が厚かましい私は、その後も特別価格で何度かその店で遊んだ。のちに六本木のゲイバーに通ったのは大学を卒業してからであった。

現在は良く知らぬが、当時、新宿二丁目には多種多様な店があった。私が初めて足を踏み入れたような結構な店構えでショータイムのあるゲイバー、派手派手な化粧のゲイがカウンターの向こうにいるバー、ジャニー喜多川が喜びそうな若い男の子がいるボーイズバー(大学二年生の時、バイト探しで高給な日当につられて内容も知らずに面接に行き、這う這うの体で逃げ帰ったことがある)、雑誌『サブ』(昭和の時代には堂々と本屋に並んでいたゲイ雑誌)の世界のようなマッチョなゲイのいるバー、などなどである。ゲイだけでなくレズビアンのバーもあった。

ここで断っておくと、私はゲイ・同性愛者ではないし、その経験も一度もない。どうしようもない女性好きである。ゲイの云うところの〝ノンケ〟である。しかし、私はノンケゆえに彼らにモテた気がする。

当時、男の姿のままで男性を求めるゲイと、女性の格好をして男性を求めるゲイボーイの違いはあまり良く分かっていなかったが、知り合ったゲイボーイたちから良く聞いたのは、職業上のゲイボーイは長く続かない、本当に自分が女として男を求めるという性を持ち合わせていないと、ゲイボーイは続かないということであった。当時はまだ男性が女性の、女性が男性の体になるという、性適合手術は一般的ではなく、世間に知られていたのは先駆者のカルーセル麻紀くらいのものであった。

まだ、世間一般に〝性同一性障害〟という認識はなかった。

大暑へ続く。

 

編緝子_秋山徹