令和八年 芒種
君の名は

名を遺す
芒・トゲ
芒種_稲のように穂先にトゲのような芒(のぎ)のある穀物を植える時期。梅雨が近く田植えの準備が始まる。
半月前の小満の二日前。このコラムの原稿を書いている最中に、芒・トゲのような出来事があった。
家人が倒れ、緊急入院し五時間の脳外科手術の後、左半身麻痺で病室に横たわっておる。前もって手術の日取りなどが判っていれば、諸々対処できたのだが、唐突にこういった事態が起こると、煽られてしまって、コラムを書き上げる気力も余裕もなくなってしまった。7年6ヶ月前に、このウェブマガジンをスタートさせてから始めての休載である。
これからリハビリ病院に転院して、その後帰宅してからの介護が大変である。来年古稀を迎える爺にとっては難儀なことだ。これに加えてもうひとつ大きな問題もあるのだが、それはこの場には書けない。
突然、身近な人間に生命の危機が訪れると、どうしても命に関する事象に目がいってしまう。
最近SNSで話題となったものに、ある特攻隊員が後輩に遺した言葉がある。長くない文章なので全文掲載する。
動物の数え方がどう決まっているか知っているか。
牛や馬は「頭」で数える。
鳥は「羽」で数える。
魚は「尾(び)」で数える。
では、人間は何で数えるか。
人間は「名(めい)」で数える。
それは、死んだときに何が残るかで決まるからだ。
動物は肉や毛皮や羽や皮が残る。
しかし人間は、死んだら「名」しか残らない。
だから人は、生きているうちにその名を汚してはならない。
心に遺る言葉である。
さらに日本人の精神性には「恥」という文化がある。恥さらしな行為をしないこと、恥は「名を汚す」ことになる。おのれ一人ではなく、連綿と続いた祖先・家族をも汚すことになる。この程度ならと恥じる行為を行なうことは、おのれに嘘をつくことになる。この程度と自分を騙しても「天網恢々疎にして失わず」、お天道様は見ていると日本人は考えてきた。
夫婦が、その一方の姓名(夫の姓であろうが、女房の姓であろうが構わない)を護り、孫子に伝えていく。これが夫婦別姓制度の中では壊れていく。一つでも難しいのに、二つの姓名を正しく伝えるには個々の行動規範は危うい。名が壊れた時、日本人特有の精神性は失われる。
日本の慣用句には〝名〟の付いたものが多い。「名を上げる」「名を成す」「名が泣く」「名が通る」 「名に聞く」「 名にし負う」 「名を惜しむ」「名を雪ぐ」「名を流す」「名は体を表す」などなど—日本人にとってそれは、他人と自分を区別するための記号ではない
現代では「名を捨てて実を取る」ことも大切だろうが、名があってこそ、幸福や豊かさはやってくる。
更紗職人
小満に書きかけたものを短く掲載したい。
先月、銀座の呉服店『銀座もとじ』で更紗染色家・中野史朗さんの個展が開かれたので顔を出した。
中野さんとは、彼が新宿中井の染め屋『二葉苑』で職人をしていた頃からの付き合いである。彼が二葉苑から独立し東麻布で工房を立ち上げた頃と、私がこの『麻布御簞笥町倶樂部』をスタートさせる準備を始めた時期が重なり、お互いの場所も近いこともあって、いろいろご協力をいただいた。
オリジナルの鯉柄の型紙を彫ってもらい麻の長襦袢を染めたり、中野さんの型紙の師匠で伊勢型紙の職人・内田勲さんに江戸時代の更紗紋様の『雨龍(あまりゅう)』を再現していただき、中野さんに染めてもらったりした。江戸小紋を代表とする型染めは、型紙を彫る型紙職人と、その型紙を使って反物を染める型染職人によって成り立つが、今では型紙職人が伊勢(三重県)の白子に数人、型染め職人も全国に数えるほどしかいなくなった。
特に中野さんが手がける更紗紋様の型紙は、少ないもので3枚から5枚、多いものでは二十枚以上の型紙を使うものまである。星と呼ばれる型紙の印を頼りに、寸分違わぬ位置に型紙を置いて染めなければ、紋様はズレてしまう。型紙を彫るものと型を染めるものの職人技が問われる染物である。
現在の小紋や更紗の多くは、シルクスクリーンやインクジェットで染められるのが主流となり、型紙・型染の両職人が大幅に減少してしまった。しかし、インクジェットで染められた更紗と、型染め職人が染めた反物を比べればその違いは素人目にも一目瞭然で、インクジェットは職人が染めたものの持つ深みには到底かなわない。機械と職人の作ったものには大きな違いがある。それは、その織物や染め物に流れるゆらぎや気韻とでもいうものだ。機械織のものには人格はないが、職人のものには人格が出る。当然そこには悪い人格や卑しい人格が映し出されたものもある。これなら機械の無機質なものの方がよほど良い。
ここ数年の中野さんには苦労が続いた。独立して始めた染め絵工房は、家屋の建て替えのため大家から退去を告げられた。全国の候補地から石川の輪島に工房にふさわしい家屋を見つけ移り住んだ。広い作業場で制作も進んでいたが、あの能登半島地震で家屋と工房は全壊。長い避難生活の後、金沢に仮の住まいと工房を構えてやっと染めの作業が再開できたところである。
輪島の家屋と工房は、一年以上経ってやっと解体され更地となったが、新築するには資金の問題がある。補助金は出るが返済が必要である。彼のような若手の部類に入る新進気鋭の作家には、政府から何の保証も援助もない。日本政府の文化的貧しさの現れである。
しかし、彼は職人として制作を続ける。私は、中野史朗は更紗染め職人として将来に必ずや「名を遺す」と思っている。和装という狭い世界ではあるが、そこには確実に彼の名は遺る。
と、名を遺すこともなく、くたばる親爺は応援をしている。私の救いは「名を汚す」ことがなかったことだけである—たぶん。
編緝子_秋山徹











































































































































