令和七年 大暑
Tの病い_其の2

LGBT 先進国タイ
雨夜の品定め
大暑_大いなる暑さの到来である。季節が夏であれば当然のことであるが、齢を重ねるごとに耐性が劣るのを実感する時期である。
今年の関東は、梅雨入りと梅雨明けを体感せぬまま梅雨の季節が終わった不思議な年だった。唯一、あっ梅雨明けかなと感じたのが、今週に入り二・三日雨が続いた後の翌朝のこと。鮮やかな東雲の朝焼けがやがて白白として、あたりの空気が澄み渡り一瞬ひんやりとした風が通った時である。この後、今年一番の蝉時雨が響き渡り、梅雨の気配が消えた。
『源氏物語』の「箒木(ははきぎ)」の巻に、梅雨の雨に愛しい恋人のもとに通うこともままならぬ光源氏とその仲間たちが、女たちについてあれこれ語り合う場面「雨夜の品定め」がある。今も昔も、暇であると人は、特に男は録なことに時間を費やさない。のちに長雨の暇つぶし、退屈しのぎの四方山噺しを「雨夜の物語」と呼んだ。ルネッサンスのイタリアが舞台で、ペストが蔓延して外出のままならない男三人女七人の十人が十日間物語を語り合うというボッカッチョの『デカメロン』も同じようなものだ。梅雨の雨という制約のため気のおけぬ友人同士で酒を片手に語り合う。やがて梅雨が明け、男たちは女の元に散っていく。その場面に祭りの後の寂しさに似た侘しさを感じるのは歳のせいか。いや、若い頃から男同士の馬鹿話の方が好きだった気が-気のせいかな、やっぱり女性かな。
さて、小暑からの続きでLGBTについてである。
国会議員候補者の方々
小暑のコラムの結びに、私の卒論制作時の1980年代初頃は〝トランスジェンター/性同一性障害〟に対する概念自体がなかったと書いた。
私の卒論『性対象倒錯者の誕生』の私の誠に浅い結論めいたものでは、性対象倒錯者は二つの大きな要素・環境から生まれるとした。
ひとつは生まれ育ちの要素である。私の知るゲイボーイの多くが片親、母子家庭で育った人が多かった。フロイトの説くエディプスコンプレックスの裏返しによってゲイとなる人が多いのではないかと云う仮説である。唯一の親である母親との愛情関係が強まり一体化するほど、父性の実体化である男性を求めるようになる、というものである。
もうひとつは、星としての地球の寿命が最終段階にあると云う説である。これは、渋澤龍彦がホロスコープについて書いた中にあったもので、ホロスコープ・西洋の占星術の各星座のシンボルは地球における代表的な生殖機能を示しており、現在は人類の男と女のいるセックスの時代であり、次の段階が、ツノが生殖帯である牡牛座の感覚のセックスの時代、最後が生殖帯のツノがより長くなった山羊座の時代となるとされているという。つまりは生殖帯がツノであると云うことは子供の生まれない感覚のセックスの時代となるということである。
渋澤龍彦は、これは自然の摂理であり、ネズミが大量発生しその数が多くなりすぎると、大群が自ら崖から海へ飛び込んで、数を間引くことは知られているが、その直前にはネズミの間でも同性愛が発生するという研究報告があるとしている。つまりは、人類が安定して地球に棲息するには、これ以上人口を増やしてはならないと云う事態が起きると、つまりは地球全体の人口が80億人と異常に増えすぎてしまった現在、自然の摂理として同性愛や子供の生まれないセックスを嗜好する人・性対象倒錯者の絶対数が増えていると云うのである。
もちろん、昔から日本にも男色・衆道はあった。戦国時代の大名には、子供の頃から一緒に育てられた男の子の近習がいて肉体関係もあり、長じて大名を守る武将として仕えた。有名なのは織田信長の森蘭丸などであるが、信長の近習の武将としてはあの勇猛果敢な柴田勝家もそうであったという。肉体関係、恋愛感情があるからこそ家臣は命がけで主君を守り抜いた。また、上杉謙信は戦の勝利を摩利支天に祈願し女性を断ったのは有名であるが、男色はやめなかった。大名の中で唯一男色がなかったのは、出が百姓である豊臣秀吉だけだと云われている。
江戸の世に時代が下って、その当時も現代のゲイバーと同じ男性が女の着物を着てもてなす〝陰間(かげま)茶屋〟があった。江戸では湯島天神の参道にあったのが有名だったという。
このように昔の日本でも、男色という同性愛はあったが、その絶対数は今よりもはるかに少なかったように思われる。
最近、アメリカや欧州のドラマや映画を見ていると、同性の夫婦やカップルが当たり前のように登場し、互いの両親家族と何の違和感もなく食事するシーンや、養子を迎えて育てているという場面が珍しいこととしてではなく出てくる。この傾向は、ここ十年ほどダイバーシティーdiversity・多様性の共有などが喧伝されるようになってから顕著になったように思う。まあ地球規模で人口が増えすぎて人口増加抑制に自然の摂理が働いているとすれば当然のことで、動物としての本能のなせる技に他ならない。
さてLGBTであるが、数年前、アメリカで有名な男性のトランスジェンダーが性適合手術を受け、めでたく心身ともに女性になったというニュースが流れた。それから数ヶ月して、その彼女が私の恋愛対象は女性であり、私はレズビアンであったのを新たに認識したと発表した。ここで私の出来の悪いお頭は少し混乱した。恋愛対象が女性ならわざわざ手術して女性になる必要はなかったのでは、という疑問が浮かんだのである。これを明確に解決してくれたのが、我が『麻布御簞笥町倶樂部』のメイン・ヴィジュアル・キャラクターでトランスジェンダーの真田怜臣さんである。
私の問いに彼女は「それはシンプルな話で、LGBのレズ・ゲイ・バイセクシャルというのは〝性癖〟なの、そしてTのトランスジェンダーの性同一性障害というのは、これは〝病〟なのね。だから最初に自分自身が男性か女性という自己の確立があって、LGBという〝性癖〟が関わってくるだけなの。もともとLGBの〝性癖〟とTの〝病〟を一緒くたにしているのが間違いで、乱暴な話なの」-なるほどと納得した私であった。
そしていつの間にか急に日本に現れたのがLGBT法案である。当時のバイデン大統領の民主党リベラル政権に唆(そそのか)されたのかは知らぬが、この訳のわからぬ法案が、自民党の一部の議員の強行的な推進、暴走と言っても良い拙速な進行で、個人の内面に直結する極めて概念的な内容を含む法案が、ろくな議論もないまま可決してしまった。
このトランスジェンダー・性同一性障害における先進国はタイである。タイでは市役所の窓口の公務員でも、女性の制服を着て勤務する男性トランスジェンダーの職員がいるし、首都バンコクでは、高校のトイレには男女の別のほかにトランスジェンダー専用のトイレがあるのも珍しくない。テレビのドラマでもBL・ボーイズラブを描いたものが人気である。違和感なくトランスジェンダーが一般生活に溶け込んでいる。何よりタイ在住のカメラマンの友人が私に送ってきた次の画像をご覧いただきたい。これは道路脇に設置された日本の国政総選挙に相当する選挙の候補者ポスター(垂れ幕)である。左から男性・女性・男性である。国会議員に立候補する人たちがこれである。しかし、このタイにおいてすら、日本のようなLGBT法なんてものはない。

LGBT法の基本的な主旨が悪いというのではない。しかし、わざわざこれを法律とする理由がわからない。現在、LGBT関連で切羽詰まった問題などこの日本にはないはずである。却って当のLGBTの人たちが生きにくくなったのではなかろうか。タイのような環境を作りたければ、一番の近道は教育である。法律で定める類のものではない。
拙速にLGBT法案を成立させた政府の浅はかさに日本国民は呆れ、そして世界各国も驚いた。この日本の国会の軽薄さを世界に晒したは、確実に日本の国益を損ねたと言わざるを得ない。
二日前の二十日は参議院選挙の投開票日であった。当然の如く自民・公明の与党は過半数割れを起こしたが、私の予想よりも与党は票を取り議員を獲得した。
私の昏い気持ちはなかなか梅雨明けとはならぬ。
編緝子_秋山徹












































































































































