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令和八年 寒露

2026年10月8日 ~ 2026年10月22日

デカンショ

テーマパークではありません

真っ平御免の不老長寿

寒露_季節は晩秋。朝露が冷たくなる頃である。

季節は晩秋と書いても、十月六日は日中気温が二十七度もあり、半袖Tシャツやポロシャツの人がゴロゴロいて、晩秋という字面が誠にそぐわない。着物を律儀に単衣から袷に衣替えした私は、ひとり汗だくである。

しかし、字面に合わぬ暑さを横目に、「天高し」と大気が澄み渡って高々と見える秋の空が、夕刻には陽がスルスルと「釣瓶落とし」であっという間に落ちる。つい二週間前、「秋分」で昼と夜の長さが一緒だったというのに、一気に陽が暮れるのが早くなってしまい。なぜか気が焦るのは私だけであろうか。

菊の季節である。今は色取り取りのスプレー菊というのもあり、また、長く出回るものもあるが、菊はやはり大輪の黄色いものが良い。

この菊を盃に浮かべて呑むのが「菊酒」である。九月九日の重陽の日に呑むと良いとされるが、如何せん季節が早すぎ、この寒露あたりにならないと菊は手に入らぬ。「菊酒」は長寿の妙薬とされる。これは中国の[慈童/じどう]という人が、九月九日に菊の露を呑んで不老不死となり、八百年を生きたという伝説が伝わったものだという。今日び、八百年も生きるということは、寿ぐことではなく、まさに拷問に等しい。私は不老不死など真っ平御免である。

時期を逃し間抜けな様を「六日の菖蒲、十日の菊」というが、九日に菊酒を飲んで八百年生きるのなら、十日に呑んで時期を外し、早めにくたばった方が大いによろしい。

〈先生〉と呼ばれる者達

先日、この「麻布御簞笥町倶樂部」に『昭和歌謡』を連載いただいている勝沼さんと話をしていて、〈先生〉と呼ばれる者たちに哲学が無くなったという話題になった。〈先生〉と呼ばれる職業には、教師・医師・弁護士・政治家・文学者・芸術家などなどである。

まず「教師」、イスラムの子らが食べられない1からと、給食のメニューから豚肉を除いた学校があるという。全生徒の給食から豚肉を外した教職者に確固たる思想はない。それでは、食物アレルギーを持つ子に対して同様の措置を取っているのか、と問いたい。ただの責任逃れである。ここで、イスラムの子とその他の生徒に、真っ向から向き合うのが教育というものだろう。塾の講師でもあり今の学校事情に詳しい勝沼さんによれば、こんな事例は今の学校にはごまんとあるという。

「医師」に関しては、このコラムで度々書いているように、おのれの死生観を持たぬ医者のなんと多いことよ。一分一秒でも長生きさせるのが、おのれの使命・正義と思っているようで、哲学が全く感じられない。

「弁護士」のすべてに哲学が無いかと言われれば分からぬが、〝弁護士会〟として発信される主張があまりにも偏っていて、日本の法の下に働く者としての公平性が全く見受けられない。

「政治家」に関しては、おのれの確固たる哲学が無いばかりか、選挙で当選すること以外の正義が無いようである。選挙に当選するためには、主義主張が全く真逆の党同士が手を組み、大負けすれば、すぐに袂を分つという厚顔無恥で破廉恥な連中の集まりである。与野党ともに「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」を絵に描いたような輩のなんと多いことよ。

〈先生〉と呼ばれる部類には入れぬかも知れぬが、最近の「僧侶」にも首を傾げる。この夏、京都・祇園の名刹「建仁寺」の塔頭である「西来院(せいらいいん)」が、着物着用者の拝観・立ち入りを制限する掲示を出したというニュースには、我が目を疑った。着物以上に拝観に見合った衣服はあるまい。これは、昨今のオーバーツリーズムによる影響のためという。確かに京都市内には、日本人および外国人観光客に向けた着物レンタル屋が多く、着物を着た観光客が和装姿を記念に残そうと写真を撮るために、立ち入り禁止の場所に入り込んだあげく、建物や文化財を破損させるという事態が発生しているというのは聞いていたが。西来院寺曰く「このルールを設けるに至った背景には、過去に繰り返し発生した実害がございます。そしてそれらすべてが、個人的な撮影を目的とした訪問者によるものでした」「当院はテーマパークではありません」だそうである。

これに違和感を抱くのは私だけではあるまい。「僧侶」とは人に教えを説き導く人であるはずだ。それが言葉の通じぬ外国人であろうが、いくら事案が多かろうが、根気よく向かい合うのを止め諦めてしまえば、それは「僧侶」ではなかろう。そんな次元の状態では無いのだと言われるかも知れないが、おのれが何者かを思い返して欲しい。それこそテーマパークの管理人ではないのだから。

さて、「文学者」「芸術家」の類であるが、本来、その作品に哲学が込められていなければ成り立たない職業である。「芸術家」は私の門外であるので語れないが、「文学者」現在の小説家に、自己の経験に裏打ちされた確固たる人生観を持った作家が、どれくらいいるのか分からない。AIにプロットを打ち込めば、それなりの小説が出来上がる時代である。そのうち、哲学も思想も持たない半端なネット専門の商業ライターなぞ、あっという間に駆逐されるだろう。そういった意味では、強烈な自我をもった者でなければ、文学界に生き残れないかも知れない。これはこれで、AIの功となろう。

もちろん全ての〈先生〉達に、哲学が無いとは言わない。しかし、以前では考えられないような出来事が出来している。ここのところは特に、外国人・移民に端を発することが多いようだ。人種、文化、風習、言語の違う人々と対応するには、迎え入れる日本人側の芯(哲学と思想)がしっかりしていないと、日本社会が混乱していくだけである。日本が瓦解しかねない。

哲学する三年間

これらを勝沼さんと話していて、学校制度に大きな問題があるのではないかということになった。戦前の学校制度に戻せばもう少しまともになるのではないかと。現在、駅弁大学と揶揄されるような有象無象の大学が存在し、ネコも杓子も大学へと進学を目指す。2026年日本の大学 進学率は62.3%に達した。一方、1955(昭和三十五)年の進学率は7.9%である(ちなみに同年の高校進学率も51.5%に過ぎない/文部科学省・総合教育政策局『学校基本調査』)。70年前よりも現在の方が、優秀な人間が増えているとは思えないのだが。

大正八年に制定された戦前の学校制度では、「尋常小学校」が六歳から十二歳の六年間、これは明治六年から現在までほぼ変わらない。(明治六年から十四年までは、六歳から十四歳までの八年間であった)
尋常小学校を卒業した後には、五年間の「旧制中学」のち三年間の「高等学校」もしくは「予科」から「大学」へと進んだ。他の進路として、旧制中学から「高等師範学校」。女子は中学の代わりに「高等女学校」から「高等女子師範学校」。「高等小学校」から「師範学校」「実業学校」。尋常小学校を出て工場などに就職した者に職業教育を行なう実業教育機関の「徒弟学校」があった。
(文部科学省・学制百年史『資料編 』)

戦前の学校制度の方が、現在よりも多岐にわたり、早くから専門的な教育を施している。教師を育成する師範学校で三種類の学校がある。

教師以外の〈先生〉と呼ばれる者達は「旧制中学—高等学校(もしくは予科)—大学」のルートを進む。ここで特筆するのは「予科」三年間の存在である。この「予科」の時代の話は、遠藤周作の『狐狸庵シリーズ』や、北杜夫の『どくとるマンボウ・シリーズ』に登場する。この時代を彼らは、「デカンショ、デカンショウで半年暮らす。後の半年ゃ寝て暮らす」と過ごしたと書く。

「デカンショ」とは、哲学者の〈デカルト〉〈カント〉〈ショーペンハウエル〉三人の名前の合成語である。(もともとは、兵庫県丹波篠山市の民謡である「デカンショ節」を学生達が捩(もじ)ったとされる)

〈ルネ・デカルト/仏〉は著作『方法序説』で、それまで神学に縛られていた欧州の人々の思考を「判断中止(エポケー)」で解き放ち、「我思うゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」と「自己アイデンティティの確立」へと導いた。

〈イマニュエル・カント/独〉は『純粋理性批判』で、「世界そのものは、そのまま知ることはできない」と、存在する〝物自体〟と、自身が認識する〝現象〟の違いを「コペルニクス的転回」の発想・視点で捉えることと、倫理学をテーマとした。

〈アルトゥル・ショーペンハウエル/独〉は、「欲望や執着が苦しみを生む」として、そこから逃れる方法として、芸術・特に音楽を楽しむ、瞑想し禁欲的に生きることなどを推奨した。思想には、仏教やインド哲学に影響を受けた部分が多くある。晩年の著作『女について』では、女性は思考が近視眼的であり、さらに到底芸術は理解できないなどと、現代のフェミニストの女性活動家が発狂しそうなことを書いて、以後、女の敵と呼ばれた。

個人的には、大学時代に読んだデカルト『方法序説』の判断中止が私の思考の中心となっている。

文系も理系もなく、専門分野の勉強に行く前に「デカンショ」で過ごすという有意義な時間。これが今の〈先生〉達に圧倒的に足りない時間である。
戦前の事象を全て否定してしまった日本の悲劇である。

 

編緝子_秋山徹