令和六年 小雪
選択問題
旧い氏と新たな氏
古希が近いぞ、不肖の兄
小雪_冬が足早にやってくる頃である。
河川敷で練習するシニアクラブの球児たちが、午後五時を過ぎた闇の中、投光器を灯して八時近くまで球を追っている。投光器の下でも、球は見えているのかしらというほど暗い。こんな環境の中での練習に意味があるのかと思うが、野球の上達だけではなく、様々な場面で精一杯球を追ったという行為と記憶が重要なのだと思う。各々その人にとって時期は違えど、人生において能書抜きに遮二無二に何かをやる時間は必要なんだろう。
先日誕生日を迎えた。齢六十七歳、古希に垂(なんな)んとす。
五〇代を半ば過ぎた誕生日には、鏡の前に見知らぬ親爺がいたが、七〇歳が間も無くという今年の鏡の前には、薄汚れた爺様がいた。色気が足早に立ち去る音がする。お迎えもさほど遠くなかろう。
若い頃にはまさか己が還暦過ぎまで生き長らえるとは、夢にも思わなかった。21世紀を迎えるのも怪しいと感じていた。それ故に、刹那的に不摂生な生活を送った反動で今は体調がガタガタである。まさに因果応報である。父親が七十五歳で亡くなっているので、自分も同じような年齢でクタばりたいと思っている。しかし、お迎えの時までは、できるだけ痛み少なく過ごしたいと都合の良いことを願う。
私の誕生日の五日前は、五年前に亡くなった、五歳年下の妹の祥月命日であった。早いもので来年は七回忌である。亡くなる十数年前に彼女は乳ガンを告知されたが、そのことを家族にも周囲の誰にも告げずにガンと対峙した。抗癌剤や放射線治療を選択しなかったのは、そのために通常の生活を送ることがままならなくなり、その頃まだ幼かった二人の子供の成長の時を共に過ごすことが出来なくなることを避けたためであった。
そして、無事、二人の子供が大学を卒業し独り立ちする姿を確かめてから逝った。
忍耐強く、頑固で、真っ当である。我が妹ながら天晴である。これに比べて、兄である私は軟弱で、優柔不断で、邪(よこしま)であることが恥ずかしい。
山口県の旦那の実家で行われた四十九日の法要に行った際、旦那の実家代々の墓に納骨されるのを見て、今更ながら「ああ、これで妹は我が〝家〟から離れてしまうのだな」という感情が湧いた。
もちろん結婚した際に、戸籍は我が〝家・氏〟から旦那の戸籍に入っているのだから、まさに今更ながらなのだが、先方の代々の墓に妹のお骨が入っていくのを目の当たりにすると、感じ入ってしまうのであった。
大家族
明治末期に「家制度」というのが生まれた。
明治三十一(1898)年に民法で規定された日本の家族制度で、親族関係の中から戸主(こしゅ)を定め、同居していなくとも、ひとつの家族〝家〟と定め、戸主に〝家〟の権限と責任を課した制度である。この制度は1898年7月16日から昭和二十二年(1947)年5月2日までの五十年近く続いた。
以前、父親が祖父母の遺産を相続する際に取り寄せた戸籍謄本が手元にあり、そこに家制度の名残を見て取れる。祖父と祖母の関係は、祖母が本家で祖父が分家の養子であり、我が〝家〟の本筋は祖母の家系である。
祖母の父、つまり私にとって曽祖父は、元治元(1864)年七月二十二日生まれと戸主欄に、前戸主の欄もあり、そこには高祖父の名と天保八(1838)年十一月十四日の生まれと記載されている。
戸籍に残る人数は、戸主本人に加え妻四人(三人に若くして先立たれている)、子供八人、長男の嫁と子である孫が七人、妹夫婦と子供の三人の都合二十四人の記載がある。戸主としてこの二十四人の責任を持たされるというのは生半(なまなか)ではない。
日本における戸主という概念は古く、七世紀・飛鳥時代の律令制の租・庸・調の時代にまで遡るという。
また戸籍の起源としては、実在した可能性のある最初の天皇と言われる第十代・崇神天皇(すじんてんのう)が戸口調査をして人民を管理掌握したという説や、七世紀(670年)に天智天皇が律令制により「庚午年籍」を全国的に実施した説が有力とされる。
今に繋がる戸籍制度は、明治四年の戸籍法に基づいて翌年に編製・公布された「壬申戸籍」で現実の家を単位としてその家の居住者を登録していたが、前述の明治三十一(1898)年の旧民法によって〝家(戸主とその家族)制度〟に変わり、大戦後、現行民法が昭和二十二(1947)年に制定されて〝家制度〟が廃止され、戸籍の編製単位が「一組の夫婦及び氏を同じくする子」の単位へと見直された。
国民の出生から死亡に至るまでの親族的身分関係を、時間的序列に従い記録した戸籍簿である日本の戸籍は、世界一素晴らしいものだとも言われている。
しかし今、与野党の中で「選択的夫婦別氏制度」の推進を声高に主張する議員が相当数いる。夫婦がそれぞれの氏を選択できる制度、いかにも聞こえは良いが、夫婦と子共に複数の氏が混在する戸籍を作るということで、実態は戸籍法の実質的に廃止に繋がる改定である。
令和四年四月発表の法務省民事局調査によれば、〈現戸籍制度維持が27.0%/旧姓の通称使用の法制度を設けるが42.2%/導入賛成が28.9%/無回答が1.9%〉となっていて三割弱が積極的賛成だそうだ。
選択的夫婦別氏制度の導入に対する賛成意見や反対意見は、
・賛成意見
①氏を変更することによって生じる現実の不利益があること。
②氏を含む氏名が、個人のアイデンティティに関わるものであること。
③夫婦同氏を強制することが、婚姻の障害となっている可能性があること。_など
・反対意見
①夫婦同氏が日本社会に定着した制度であること
②氏は個人の自由の問題ではなく、公的制度の問題であること。
③家族が同氏となることで夫婦・家族の一体感が生まれ、子の利益にも資すること。_など
法務省HP「選択的夫婦別氏制度について」より
氏が自己アイデンティティの根幹にあるというのなら、それは個人の思想であろうが、夫婦同氏が強制され婚姻の障害となったという事例は、少なくとも私の廻りでは聞いたことがない。一方、氏の変更による現実の不利益というのは、この数年で大きく事情が変わっているのではないだろうか。
男女共同参画局「旧姓使用の現状等」によれば
旧姓の併記が可能な主なものに、住民票・マイナンバーカード(個人番号カード)・運転免許証・パスポート(旅券)・不動産登記・商業/法人登記・特許庁関係手続などの制度がある。
令和6年5月31日現在、320ある国家資格及び免許等における旧姓使用の現状は、
① 資格取得時から旧姓使用ができるもの (317)
②資格取得後に改姓した場合は、旧姓使用ができるもの(3)
③ 旧姓使用ができないものは(0)である。
この国家資格・免許の中には、弁護士、公認会計士、司法書士、公証人、税理士、医師、歯科医師なども含まれ、婚姻後でも旧氏(姓)でこれらの資格が取得できるのである。
また、銀行口座の開設については、銀行の約七割、信用金庫の約六割がすでに旧姓での口座開設等に対応している。信用組合については共同センターのシステムが未対応になっていることから約一割程度となっている、という調査結果が出ている。
「旧姓による預金口座開設等に係るアンケート調査/金融庁監督局」
と、従前に比べれば旧氏(姓)使用における現実の不利益は、急速に無くなりつつある。口座開設に関する問題も金融庁が銀行に省令を出せば済む問題らしい。旧氏(姓)使用の現実における不利益のほとんどは、法改正を必要とせず、各省庁の所管大臣が省令を発すれば解決するらしい。これらが徹底されて旧氏(姓)使用がなんのストレスもなく行われるようになっても、なおかつ、戸籍を壊さなければならないという思想の人がいるのなら、私には理解できない。
次は、高市早苗衆議院議員の公式チャンネル「選択的夫婦別氏制度について」の動画である。
お時間が許せばぜひご覧いただきたい。
この問題について、高市さんを私は全面的に支持する。
編緝子_秋山徹