令和七年 寒露
皆、止まれ

不敬である
秋の花火
寒露_草木国土に結ぶ朝露が冷たくなる頃である。
早朝にベランダで抹茶を片手に気取って呑んでいると、なんとも清々しい気分になる季節である。
気持ちは良い。しかし、躰のあちこちは痛い。病は気からと言うが、老体には当て嵌まらぬようだ。
〝へーっくしょん〟と誠に親爺らしい加減を知らぬ音量のくしゃみが出て、朝っぱらから近所迷惑であるとそそくさと部屋に戻る。
私が多摩川沿いに転居してから六年が経とうとしているが、引越し当初に驚いたのが、毎年十月に花火大会があることだった。この花火大会は神奈川県川崎市と東京都世田谷区の共催で多摩川両岸で行なわれるもので、十月の第一土曜日が開催日である。午後七時から八時までの一時間で一万二千発が打ち上げられるが、住宅地に近接する多摩川の河川敷から打ち上げるため尺玉と呼ばれる大玉の打ち上げはできない。それまで8月開催であったのが10月に変更されたのが2018年からとあるので、私が転居する前年から「秋の花火大会」となったらしい。
遠目ではあるが、上流の真正面に花火が打ち上がるのを見物できる我が家のベランダは特等席である。部屋の明かりを消しベランダから花火を眺めていると、河川敷のグランドからは球児たちのかけ声が聞こえる。花火を尻目に練習に励んでいるのである。その姿を見て親爺は思う。たまには練習を一旦休んで部員のみんなで花火見物などしてはどうだと、子供の頃、練習に励んだ仲間たちと一緒に花火を見たという思い出も、立派な野球生活の一部であろうに、ひと時も休まぬ技術の向上を目指した練習も大切だろうが、花火を一緒に楽しんだという友垣との連帯感や感性も同じくらい貴重なものだと年寄りは思うのである。当然子供たちに罪はない。監督・コーチといった指導者の思慮不足・資質の問題である。
マジェスティー MAJESTY
少し前であるが、まさに思慮不足な輩がやらかしたニュースを目にした。
タイに移住した関西のお笑い芸人が、僧侶っぽい格好をしてバンコクの寺の前に立ったり合掌して歩いている画像を SNSに投稿して炎上したというものであった。
まあ本人は面白いと思って投稿したのだろうが、これがタイ人社会においては大変〝不敬〟な行為であることを全く理解していない浅はかな行為であった。タイには冗談にも決して軽んじたり、笑いの対象にしてはならない存在が〝ふたつ〟ある。それは〝王室〟と〝仏教界〟である。彼の今回の行為は、靖国神社の鳥居に落書きし放尿のポーズを投稿した支那人に同等である。
タイ王室は国民の尊敬を集める特別な存在である。我々にわかりやすい例では、映画や舞台で世界的に有名な『王様と私』は、タイ国王とその王子・王女たちの英国人家庭教師の恋愛物語であるが、タイ国内では〝不敬〟であると上映・上演が禁止されており、タイ人の中にはこの物語の存在そのものを知らぬ人も多い。確かに王子・王女たちの英国人家庭教師は実際に存在したが、国王が英国人とはいえ一般人と交わることはなく、そのストーリー自体が荒唐無稽なものであるとされている。
私がタイで一番面食らったのは、バンコクの夕刻、BTSと呼ばれる高架鉄道で移動中のことである。目的の駅に到着してホームから階段を降りている最中にちょうど夕方の六時となった時、駅構内にタイ国歌が流れた。するとホームの人、階段を降りているまたは上っている人々、改札の手前の人、通過したばかりの人、駅員、売店でジュースを売っているお姉さんの全ての人々の動きが止まり、国家が鳴っている間は直立不動で身動ぎもしない。一瞬「集団ドッキリ」かと思うが、私にそんなことを仕掛けるわけもなく、あまりの突然の出来事におろおろしているのは私を含めた外国人観光客だけである。そんな私の横にいたキュートなお姐さん、国王を讃える歌だから、終わるまで動かないでね、と優しく教えてくれる。素直な私は、わかりましたと笑顔で返し、お姐さんにちょっぴり近づいて立ち止まったのである。これが朝の八時にも繰り返される。
朝八時・夕方六時以外では、映画館で映画が始まる前にはスクリーンに国王の映像とともに国家が流れ、同じように直立不動で動いてはならない。コンサートの始まる前も国家は流れる。それがヘビメタのコンサートであっても演奏前に穏やかな国家が流れる様というのはシュールである。
この行為は、国民の意識・精神性、メンタリティに起因するものではなく、止まらないと最悪の場合は不敬罪にて逮捕されれ可能性があるからだ。世界でも珍しい施行法ではあるまいか。とはいえ、タイ国民が無理やりやらされている風には見えないし、実際に国民の大多数が国王のことが大好きである。大切にされているという点では日本の皇室以上であろう。
とまれ、軽薄芸人の件である。
このタイ国民が敬愛し尊敬する国王が、タイ仏教の頂点にあることが、より一層タイ国民が深く仏教に帰依することにつながっている。タイ人の生活は仏教とともにある。一応仏教国と言われる日本とは雲泥の差がある。
早朝、タイ中の村や町、大都市バンコクにおいても、バーツと呼ばれる鉢を抱えて歩く、鬱金色の木綿法衣を纏った僧(タイでは比丘と呼ばれる)の一行がいる。人々はバーツの中にお金や食べ物を入れ拝む。寺に戻った比丘たちは本日信者より与えられた食べ物のみで過ごす。もしその日一日何も与えられなければ、食べ物なしで過ごすのである。比丘の別名を〝乞食(こつじき)〟とする所以である。
タイの上座仏教で出家し比丘となる者は、地位や財産、家族といった俗世での関わりを一切断ち、信者より喜捨・寄進された物のみで生活し、食を乞い、厳しい戒律を守り、修行に励む、ゆえに一般市民は、たとえそれが昨日比丘となったばかりの者であろうが、一時出家中の者であっても、これを敬うのである。
タイを旅行したことのある人は気付いただろうが、飛行機や電車、バスといった座席はすべてにおいて比丘が優先され、搭乗の順番も一番先となる。
このように比丘に対しては、世の中が何かにつけ優遇する。
1902年に施行された「サンガ(仏教界)統治法」では、出家する者は国家への届出が必要となった。そしてこれ以降、出家者の証である鬱金(うこん)木綿の衣を纏い比丘を名乗るものが、戒律を犯すと〝詐欺罪〟に問われ、逮捕されて重い量刑が科せられることとなった。
そこで今回の炎上であるが、軽薄芸人の運が良かったのは、私も画像を見たが、比丘の法衣に近いような、なんちゃって衣装であったことだ。比丘の法衣は信者が喜捨できるよう誰でも比較的簡単に買える。もし彼が本物の法衣を着ていたら、顰蹙を買う程度では済まなかっただろう。出家していないものが欝金の木綿法衣を着ていたら、前述のようにそれは詐欺罪にあたる犯罪となるからである。
ここで芸人に提案がある。せっかくタイに移住したのなら、少しタイ語を勉強して二週間前後の一次出家をしなさい。十分にタイ語が話せなくても、多分寺は受け入れてくれるはずだから。あなたの人生感が変わるよ。
編緝子_秋山徹












































































































































