令和八年 立夏
こらっ

小言甚兵衛
美人薄命
立夏_我が老体の衰えのスピードも速いが、季節の移り変わりも負けずに速い。暦は夏である。立春から数えて八十八夜も三日前過ぎた。世の中の出来事を尻目に、茶葉はちゃんと毎年若葉が繁る。
美しき新緑の薫る小径を散策するというのが、隠居の楽しみであろうが、如何せん足腰が言うことを聞かない。引きこもりとなった老人は、ベランダからそっと外を伺う他ないのである。
美しいものといえば、先日、俳優・中村雅俊の奥さん五十嵐淳子さんが亡くなった。三十五年ほど前、ご夫婦とは仕事がらみで一度だけお会いしたことがある。お会いしたと言っても、中村雅俊さんの音楽スタジオ事業の案件の会議でたまたま末席に座っていただけなのであるが。その時、こちら側の男性スタッフが五十嵐さんに見惚れてしまい、仕事にならなかった記憶がある。それくらい美しい女性だった。当時五十嵐さんは四十前の女盛りであった。享年七十二歳、美人薄命の部類に入るのかどうか。
このご時世、引きこもり老人の友のひとつにYouTubeがある。番組が多種多様で、何せ無料である。先日の井上尚弥と中谷潤人のタイトルマッチの視聴料6,050円を出せず涙を呑んだ貧乏爺様には優しい限りである。
このYouTubeで落語を視聴するのが楽しみのひとつである。大看板の志ん生や圓生の噺は音声だけのものが多いがそれも良いし、小さんや志ん朝などは映像で配信されているものがたまにある。
先日、志ん朝と歌丸、喬太郎の『小言甚兵衛』を聴き比べてみた。古典であるがそれぞれに個性があって面白い。甚兵衛さんは長屋の大家さんで、猫にまで小言を言うので「小言甚兵衛」という渾名で呼ばれている。噺は、長屋に入りたいと願いにやってくる連中に小言を言ってなかなか店子にしないというもの。長屋の大家というのは、長屋の持ち主ばかりではなく、雇われの身で、長屋に住み込みむ管理人といった立場の人も多かったらしい。持ち主からは長屋の差配を任されて、それなりの権限があった代わりに、店子が何かやらかすと責任を問われることもあったというから、店子を入れるにも慎重に吟味する必要もあった。
この小言甚兵衛さんが世の中に少なくなってしまった。私たちの子供の頃には、町内に何人かうるさ方の爺様や親爺が必ずいたものだ。子供が行儀の悪いことや危ないことをすれば、見知らぬ子供でも怒鳴りつけ叱る大人がいた。子供と言っても幅広く幼児から高校生までがその対象となる。こちらは、うるせえジジイだなと煙たいが、言っていることは真面なのでなんとも反抗のしようがない。今日、他人の子を怒鳴ろうものなら〝なんたらハラスメント〟になりそうで思わず声を引っ込める、せせこましい世の中になった。
銭湯の入り方
平日の銭湯に通い始めて四ヶ月。常連の爺様連中の顔もそれぞれ覚えてきた。東京の下町の職人風の爺さんが多く威勢の良い爺さん達だ。(品川を越えているので決して江戸っ子ではない)
四月を迎え自転車の青切符が切られるように道交法が改正になったが、雨の日に平気で傘をさして自転車に乗って銭湯にやってくる。〝こちちとら何十年とチャリンコに乗ってるんでぇ〟てな風情である。がっしりした体格の人が多いが、如何せん七十は軽く越している爺様たちだ。脱衣所で猿股を脱ぐのに、あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロとよたる。
「おいおいジジイ、ちゃんとその辺につかまりながら脱げよ」と言ってるジジイがヨロヨロ。
「へっ、大丈夫だよ」と言うジジイもヨロヨロ。
「頑固なジジイだぜ」と二人でヨロヨロ。
そんな爺様を横目に見ながら、こちらもヨロヨロ。
脱衣所で不格好なステップを刻む我らであった。
洗い場でシャワーを浴びてジェットバスの湯船に入る。電気風呂から上がったジジイが、薬湯風呂に浸かるジジイに言う。
「ずいぶん長いな。溺れてるのかと思ったぜ」
「やかましいやい」
私は冷水のシャワーを浴びてそそくさとサウナへ。
先日のことである。私がサウナに入ってすぐのこと、洗い場に三人の高校生が入ってきた。坊主頭で体格がよく真っ黒に日焼けしているので、近所の高校の野球部員のようだった。春にしては気温の高い日だったので、部活終わりに銭湯で汗を流そうと寄ったのだろう。サウナのドアは透明のガラス張り込みなので、外の様子がよく見える。
三人は、シャワーもそこそこに湯船に入ろうとした。
すると電気風呂に入っていた総白髪のジジイが怒鳴った。
「こらっ、ちゃんと体を洗ってから入れ!」
常連のジジイ連中の中では、どちらかと言うと優しい好々爺という風情のジジイだったので、少しながら驚いた。
苦笑いしながら、慌てて洗い場に戻る高校生。
今度は、銭湯備え付けのボディソープとシャンプーを撮りに行く時に、ひとりの子が、シャワーを出しっぱなしで向かった。
それを見て薬湯風呂に入っていた、こちらは強面のジジイが怒鳴った。
「湯を止めていけ。もったいないことをするな」
高校生これまた苦笑しながら駆け戻りシャワーを止める。
怒鳴られた子たちは苦笑はするが、悪態をつく風ではなかったので、多分、素直な子たちなのだろう。
体を洗い、さっと湯船に浸かり、そそくさと脱衣所に消えた。
すべて私がサウナに入っていたサウナ時計一周の12分間の出来事だった。
ああ、小言甚兵衛はまだここにいたのだなと思った。
もし、私がサウナの外に居てジジイたちと同様湯船に使っていたとしたら、私はジジイたちと同じように小言を言っただろうか。多分言わなかった、いや言えなかっただろう。
ジジイたちにしたって、小言を言うのには勇気がいるだろうが、小言を言うのは、この場合、高校生に対する優しさである。
高校生らはこれで銭湯や旅館の大浴場に入るルールを覚えただろうし、それを仲間に教えることもあるだろう。
本当にたわいのない些細なことであるが、この小さなことの積み重ねで社会は成り立っている、ということを子供たちは知る。
銭湯通いも、なかなか楽しいものである。
編緝子_秋山徹












































































































































