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令和七年 穀雨

2025年4月20日 ~ 2025年5月4日

あとは朧

お上が仰るには

朧月夜と恍惚

穀雨_穀物にとって恵みの雨が降る時候である。

桜もすっかり葉桜となった。これから新緑の季節となり、初夏にかけて草萌える頃となる。この頃に降る雨は、雨後の緑を一層際立たせて風景を彩る。

昼過ぎにしめやかに降った春雨が上がり、残った水蒸気で霞が出る。
夜に出る霞を朧(おぼろ)という。

菜の花畠に入日薄れ 見渡す山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて 匂いあわし
里わの灯影(ひかげ)も 森の色も 田中の小道を辿る人も
蛙の鳴く音も鐘の音も さながら霞める 朧月夜
『朧月夜/作詞:高野辰之・作曲:岡野貞一』

作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一のコンビで作られた唱歌には他に、兎追いしかの山—の『ふるさと』、春の小川はさらさら行くよ—『春の小川』、春がきた春がきたどこにきた—『はるがきた』、秋の夕陽に照る山紅葉—『紅葉』があり、これらは日本の古き良き情景を我々に想い起させる。日本人の遺伝子に響く歌と言ったら大げさか…。ただ、幼い頃に歌ったから覚えているのではなかろう歌々。この日本の懐かしき里山の風景が、不気味で無機質なソーラーパネルに侵されている。最早「美しき日本の残像」になりつつあるが、だからこそこれらの歌は忘れることなく唄い続けられなければならない。

高野辰之&岡野貞一の曲には『日の丸の旗』もある。

白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は
朝日の昇る いきおい見せて ああ勇しや 日本の旗は

これなんかは今日(きょうび)、保育園・幼稚園、小学校でちゃんと歌われているのだろうか、バカなリベラル気取りの連中に止められているのではないかと、老婆心ながら心配になる。

子供の清廉なおぼろの歌『朧月夜』に対して、大人のおぼろの歌はなんとも肉感的である。

女の命は恋だから 恋に溺れて流されて 死ぬほど楽しい夢を見た
あとはおぼろ あとはおぼろ
ああ 今宵また忍び寄る 恍惚のブルースよ
『恍惚のブルース/作詞:川内康範・作曲:浜口庫之助』

1966(昭和41)年6月発売のこの曲は大ヒットしたため、当時九歳であった私も詩の意味もわからず「あとはおぼろ〜、あとはおぼろ〜」と歌っていたのを覚えている。小学校三年生が『朧月夜』と『恍惚のブルース』を同時期に口ずさむというのも、なんともシュールな光景である。

この時期はまた「五風十雨(ごふうじゅうう)」で五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る、というバランスの良い天候が望ましい。やがて梅雨の季節となって雨は田圃を潤し浸す。苗が植えられ夏の陽を浴びて実った稲穂は、秋に刈られて干され脱穀されて、新米として私たちの食卓に上る。この日本で連綿と続けられてきた米農作が壊れようとしている。いや、既に壊れてしまっているのかもしれない。

米が不足し価格が高騰している。政府が備蓄米を放出したが、価格は収まらない。この後に及んでも、農協経由で農家に届いた政府の通知は「今年も減反が望ましい」という内容であったという。お上・役所は一体日本をどうしたいのだろう。頓珍漢な方向に向かっているようにしか思えず、日本の将来の姿に怖れさえ感じる。

少し趣は違うが、最近、まさにお役所仕事というのに直面した。

お着物は全員

話は年始の一月に遡る。
友人に三十年ぶりに会うため、彼の住む中国地方へと羽田から飛行機(JAL)に乗った。
いつものように和装である。
羽田の保安検査場で、着物用のコートを脱ぎ、鞄と携帯をカゴに入れ、着流しの状態で金属探知機を潜った。
探知機は無反応で音もせず通過したところが、いかにも小役人づらした若い係官が私のところに来て「チェックさせてください」と言う。
「何の反応もなかったはずだけど」と私。
「いえ、お着物は全てチェックしていますので」と若い係官。
明らかに嘘である。私は何十回と着物で飛行機に乗り、着物が理由でボディチェックされたことは一度もない。
最後に飛行機に乗ってから3年間ほど経っているので、検査場のルールが変更になったのかな、というのが頭をよぎったのと、早朝の羽田は混んでおり、後ろに長い列が待っていたので、ここで詰問して流れが止まってしまっては他の客に迷惑がかかると思い。公序良俗を旨とする私(ご異論はおありでしょうが)は、黙っていい加減なボディチェックを受けながら、これは帰ってからJALに問い合わせせねばならんなと思った。

案の定、帰りの地方空港の保安検査場でチェックされることはなかった。帰宅して数日後にJALの国内案内に問い合わせした。以下は電話を受けたスタッフの返答。
「確かに係官が、お着物の方全員をボディチェックするというのは、言い過ぎかと思います。また空港によって基準が違うこともありますのでお帰りの際にチェックがなかったというのはありえます。ボディチェックの要件は、JALが羽田空港で保安検査を依頼しております会社にお問い合わせください」と、JALが羽田空港の保安検査を依頼している会社の連絡先を聞く。

そして、保安検査依頼会社の窓口スタッフに事の次第を話すと、長い時間待たされた挙句
「手前どもは、JALさんの方から検査項目等の指示を受けて業務いたしておりますので、詳細はJALさんにお尋ねください」
という返答とともにJALの担当窓口の連絡先を聞く。
この時点でJALに対し相当頭に来ている私。

JALの担当窓口に連絡して三度目の同じ話をする。再度待たされて
「何度もお電話いただき申し訳ございません。確かに全てのお着物の方を必ずボディチェックするという指示は出しておりません。大変申し訳ございませんでした。しかし、お着物はチェックすべき項目には入っておりますので、ご理解ください。また空港により保安検査の内容が違うというご説明も誤りでした。重ねてお詫び申し上げます」
「洋服は入っていないのに、着物がチェック項目に入っているのはなぜか、理由を知りたい」という私の問いに対し、また随分待たされて
「理由についてはJALから申し上げることはできませんので、保安検査の規則を作成している国土交通省にお問い合わせください」_なんだそりゃ。言えない理由なんか無いだろ。

国土交通省の連絡先を調べるが、総合案内しかなく連絡する。四回目の説明をすると、担当部署に回しますのでと相談窓口なるところに五回目の説明。担当者に伝えますので折り返しの連絡をお待ちください、とのこと。

一週間経過、返答がないので再度国土交通省に催促の連絡をするも、折り返しを待ての返答。この時担当部者を尋ねるも返答なし。航空局安全課か、と聞くも答えられないとのこと。

さらに二週間が経過してやっと返答があり
「空港では保安検査をスムーズに通過するために、全ての搭乗客の方にご協力をいただいておりますので、今後もご協力のほどお願いいたします」と、相談窓口の人間が木で鼻を括ったような、こちらの問いに答えになっていない返答をしてきた。
「そうじゃなくて、着物がチェック項目にあるのはなぜかの理由を知りたいと言っている」とこちらが伝えると、その旨担当に伝えますので折り返しの返答をお待ちください、とあくまで担当部署の担当者とは直接話せないシステムである。

さらに二週間、最初の問い合わせから1ヶ月以上が過ぎて再度返答の催促の問い合わせをするも、折り返しの返答を待てという答え。

電話での問い合わせに並行して、国土交通省HPの「ホットラインステーション」なるページから要返答で文章の問い合わせするもこちらも回答なし。

結果、最初の問い合わせから二ヶ月半が経った4月20日現在も返答はない_二度と返答はないと諦めた。

なにもクレームを入れているのではない。飛行場の保安検査が大切で重要なことは重々承知しているし、協力を惜しむものではない。このことはJALに対しても、保安検査委託先業者や国土交通省にも最初の問い合わせの時に伝えている。

ただこちらが知りたいのは、衣服のうちなぜ着物だけがチェック項目に入っているのか、ただそれだけである。
着物がチェック項目に入っている理由は想像がつく、合わせの隙間が大きく広いので洋服に比べ危険物を隠しやすい、と言う理由であろう。それ以外には考えにくい。[まさか反日思想の公明党所属の大臣が続いているせいではあるまい]しかし、それが想像できても、実際に検査項目の規定を作成した国土交通省、それに準じて日々保安検査を行なっているJALに確認して確かな情報とするのは、当たり前の行為だと思うのだが、こんな簡単なやり取りすらできぬ、お役所とは何なんだろう。

JALも国土交通省も答えられない理由でいい加減な保安検査を行なっているのか、「神は細部に宿る」である。このような体制で重要なチェックがお座なりになっていないか心配である。

と思っていたら、四月三日、ハワイから関空にやってきたアメリカ人が銃刀剣法違反で逮捕された。護身用の銃をスーツケースの中に入れたのを忘れたまま来日したとのことである。これは関空で発見されたのではない。日本滞在中に本人が申し出て発覚したのである。関空の荷物検査ではスーツケースの中に拳銃と実弾が入っているのを見過ごされていたということである。

日本の役所は一体どこに向かっているのだろうか。
日本の行く末は

あとは おぼろ〜
あとは おぼろ〜

編緝子_秋山徹