令和七年 清明
人間万事

嗤いと微笑み
暹羅の災い
清明_草木国土が清らかで明るく生命力の満ちた時候であるが、本年はまだまだ本格的な春とならないところが、もどかしい。
先週の東京なぞは、日中二十度越の夏日の後に、最低気温五度という真冬並みの日が交互に来るという、天が我々の忍耐力を試すような天候であったが、今週も寒の戻りと花冷えで、雨と寒い日々が続く。保育園児が河原に遊びに来ないので寂しい。
三月二十八日にはミャンマーに地震があった。
ミャンマーでは2011年3月、2016年4月・8月とこの2025年3月で15年の間に4回、マグニチュード7前後の地震が起こって甚大な被害(今回は四月三日現在死者3000名超)を出しているが、この度はミャンマーの震源地から遠く1000km離れたバンコクでも震度4の揺れを記録したという。SNS等でバンコクの揺れる建物や室内の様子が配信されている。この中で最も驚いたのが、建設中の30階建ビル(政府官庁舎)が崩壊・木っ端微塵になった映像である。中国企業の建設会社が建築中であったとある。いくら耐震や免震構造に配慮する必要性が低い場所とはいえ、たかだか震度4で崩壊する高層ビルの設計と建築工法が罷り通っている現状の方が、地震よりもよほど大きな恐怖を感じる。〝さすが冥土インチャイナ〟と揶揄するコメントもあった。
多摩川土手の桜並木が、雨と寒さの中八分咲きほどでとどまっている。春雨に煙る桜並木も風情があって良いものである。何より雨中に眺めに来る人が少なく人がまばらなのがよろしい。これが晴天であれば安っぽい、ブルーシートの上で酒盛りをして馬鹿騒ぎしている連中が、清廉とした桜の景色を台無しにする。剰(あまつさ)え、桜の木下、花連なる枝の真下でバーベキューをするバカ連中をみると、こちらの精神衛生にもよろしくない。あと何度、桜の花を見られるかわからない老い先短き身なれば、いっそのこと当方の寿命尽きるまでは毎年雨が降れば良いと思わぬでもない。
季節の変わり目とあって持病の痛風の具合がよろしくない。足を痛めていては雨中に外出もままならぬので、本を読むことになる。最近は書き物の参考として「山田長政」関連のものを読んだ。遠藤周作『王国への道』、山岡荘八『山田長政』、江崎惇『史実 山田長政』の三冊である。駿河の紺屋の息子がアユタヤ朝時代の暹羅(シャム/今のタイ)に渡り、身ひとつで最終的にはアユタヤの属国である六昆ルゴールの王にまで駆け上がるという物語である。
遠藤周作は、これも実在の人物であるペドロ岐部と山田長政の物語をアユタヤでクロスさせこの作家のライフワークであるキリスト教と日本人の関わりを紡ぐ。山岡荘八は冒険活劇の時代小説として描く。江崎惇は題名通り、小説ではなく資料をもとに系統立てて史実として記している。
ここで取り上げるのは、山田長政のことではない。江崎惇の本の中で何度か出てくる言葉についてである。それは「北叟(ほくそ)笑む」なのだが、恥ずかしながら〝ほくそ笑む〟の〝ほくそ〟は漢字だと〝北叟〟をあてるというのを、これまで知らなかった。
ほくそ笑む
金はないが暇だけは腐るほどある隠居爺は早速調べた。
現代の「ほくそ笑む」は、[物事が思い描いた通り進んだときなどに浮かべる笑み]で、公明党と連立を組むも、過半数割れしている与党自民党の石破総理は、面倒な条件をつける国民民主党ではなく日本維新の会を取り込むことにより、なんとか年度内で来年度予算を成立させることができ〝ほくそ笑んだ〟という使い方になろうかと思う。
では北叟は、これは〝北の果てに住む老人〟という意味あり、〝北叟塞翁〟中国の古書『淮南子(えなんじ)人間訓』にある「人間万事塞翁が馬」の塞翁を指すとある。
「人間万事塞翁が馬」—むかし中国の北の辺境の塞(とりで)の近くに住んでいた翁の馬が突然逃げ出して帰ってこなかった。隣人たちは同情したが、翁は次に何が起こるかわからないと微笑むだけであった。すると馬は別の白い駿馬を連れ戻ってきた。今度、隣人たちはなんという幸運かと祝いを言ったが、翁はいやいやとまたも静かに微笑み大きく喜ばなかった。それからのち、翁の息子がその白馬から落ちて、片足を怪我してしまった。隣人たちは、今度はなんという災難かと述べた。これにも翁は悲嘆することなく、またも微笑むのみであった。次には隣国との戦争が起きて、近隣の若い男はみな戦争に駆り出され、多くが戦死てしまった。しかし、翁の息子は足が悪かったため、徴兵されず命拾いした。戦争が終わり、翁は息子と一緒に幸せに暮らしたという。
このことから、人間、人生の中では良いこともあれば悪いこともある。その一々に殊更振り回されず心静かに受け止め人生を過ごせ、という人生訓である。この故事は、学校や企業の各種式典の挨拶などで現在もよく使われるのでご存知の方も多いと思う。私も高校の時に全校朝礼で校長が話すのを一度ならず聴いた覚えがある。
この故事から、物事が起きたあとに翁・北叟塞翁が浮かべていた笑みを〝北叟(ほくそう)のような笑み〟と言い、それが〝北叟(ほくそ)笑む〟へと変化したしたらしいのである。
すると、本来の〝人生を達観したような笑み〟が変化した、現在の〝自分が意図した風に物事が思い通りになったときのしたり顔の笑み〟という使われ方は、真逆の使われ方になっているように思える。
〝日日是好日〟〝上善如水〟が〝してやったり〟では不味かろう。時代により言葉の意味も移り変わるという典型か。
なんだか看板ばかりは立派で中身のない羊頭狗肉(ようとうくにく)なモノばかり掴まされている庶民を嘲笑うお上(政治家・政府役人)の〝ほくそ笑み〟を〝北叟笑み〟で遣り過ごすほどの大らかさは我々には最早ない。
編緝子_秋山徹