令和七年 春分
おいら岬の 灯台守は

おまじない
クサンメ
春分_お日様が真東から上り、真西に沈む。彼方(あちら)と此方(こちら)が真半分の日を古の人は〝お彼岸〟とし、彼方のご先祖様を供養する日とした。
先祖代々の墓が遠く九州の故郷にある我が身に墓参りする余裕もなく、お彼岸には、ただ和菓子屋の牡丹餅を仏壇に供え、お下がりをいただくのみである。
暑さも寒さも彼岸まで、春の到来とともに花粉症の季節となった、ということは〝くしゃみ〟の季節でもある。
〝くしゃみ〟を漢字に書けば「嚔」となる。キーを叩けば即座に難解な漢字が出てくるのはパソコンの良いところである。さあ書けと言われても書けぬ。画面を見ながらどうにか書いてみるが、まるで形にならない。
嚔を白川静の『字通』で引けば、
【嚔】(ティ、チ/くさめ、はなひる)
[①げっぷ、げっぷする②くさめ、くさめする③はなひる④つまずく]
若木の根を包み込んで植える形に口偏で、地に定着する形。とどまり遮るという意がある。気が滞って一気に噴出することを「嚔」、足が滞って物につまずくことを「躓」と言う。
とある。
〝くしゃみ〟は②の〝くさめ〟の音が変化したものらしい。
そして〝くさめ〟の語源は—ある時お釈迦様がくしゃみをした。すると弟子たちが一斉に「クサンメ」と唱えて師の健康を願った、という逸話からという。「クサンメ」は古代インド語の〝長寿〟という意味で、インドではクシャミをすると命が縮まるとされており「クサンメ」と唱える風習があった。「クサンメ」に漢字を当てると「休息万病(くそくまんびょう)」「休息万命(くそくまんめい)」となり、これが〝くさめ〟となった。
くしゃみが出たときの古代インドの御呪(おまじな)いが、そのままくしゃみを表す言葉となったということである。
アメリカ人の詩人アーサー・ビナード『日本語ぽこりぽこり』によれば「アメリカでも、くしゃみは不吉の前兆、悪魔が体内に入ってくるスキと捉えられていて、誰かがくしゃみをした時には周りの人がBless you(God bless you/神の御加護を・の略)というマジナイをいう。—打ち合わせをしていて、相手の大くしゃみで会話が途切れたとしても、英語ならこっちが反射的にBless youをいえば、まるで何もなかったように、自然と話が進んでいく」その後、ビナードは、日本語のくしゃみの語源を調べ〝くさめ〟も〝Bless you〟も発想の元は同じであったと知るが、沖縄口(ウチナーグチ)にも同様のものを発見する。「〝クスクェーヒャー〟標準語に訳すと[糞食らえ]くしゃみが出たとき、沖縄口ではこういう。ハクションの主をののしって言うのではなく、くしゃみを引き起こさせた魔物に対してのマジナイなのだ——しかも、嫌な相手なら、そのくしゃみを待たずに、使えそうだ」
『字通』から「嚔」の関連語をみると
【嚔咳】(テイガイ/くしゃみ・せき)
『礼記』に「父母舅姑の前で、礼儀として嚔咳、噫(おくび)、えずき、欠伸(あくび)、脚を崩す、脇見、唾や鼻水を啜ることなかれ、とある。
『礼記』は古代中国の礼法の教科書である。近しい年長者の前でも、くしゃみ・欠伸などをせず行儀良くせよ、と説く。現在であれば、これらにスマホをいじるなが加わりそうである。最も、年長者もスマホを握りしめている可能性もあるが。しかし、近年の中国人観光客を見るにつけ、古の美しき中国の礼儀作法はどこに行ってしまったと、問いたくなる。
【嚔噴】(テイフン/くしゃみ)
中国の古書に「俗説に人の嚔噴するを以って、人の説く(噂する)と為す」これ蓋(けだ)し古語なり。
くしゃみして「あっ、誰かが俺のことを噂しているな」と現在の日本でも言うが、これが中国の古書に〝古語なり〟と記されるほど古くから言われている台詞であったというのは、新鮮な驚きである。
〝くさめ〟は冬の季語ともなっている。
高浜虚子の句に「つづけさまに 嚔して威儀 くづれけり」がある。
どんなに高名で知識と教養がある人でも、くしゃみしたときは、無防備で間の抜けた瞬間となり、威厳もなくなるのである。
もっと痛手を被るのは美女・美男の類である。間違って大くしゃみなどして鼻水でも垂れようものものなら、百年の恋も醒めますな。
くしゃみで楽しみなのは「ハクション大魔王」くらいのものか。
もともと暗かった
アーサー・ビナードの本から、ついでにもうひとつ。
誰もが知ることわざ「灯台下暗し」についてである。
「——岬の先っぽに凛々しくニョキッと建ち、中に孤独な灯台守がいて、明かりは遥か沖の方まで届いても、真下の岩場、暗し——僕はこの諺を覚えてからずっと、耳や目にするたびにこう想像してきた」
同じく私もずっとそう思っていたし、何なら、学校の(名誉のため国語以外のとする)教師にもそう教えられた気がするし、私自身も偉そうに他人に説明した覚えがある。
人は遠くに答えを求めがちであるが、意外に答えは身近にあるものだ_などと。
その際、頭の中では「喜びも悲しみも幾歳月/作詞作曲:木下忠司」の次のフレーズが流れる。
俺ら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って 灯をかざす
灯をかざす
ところが「『辞典』によれば、それは勘違いというもの、下暗き灯台とは、昔の室内照明器具、木製の台の上に油皿を乗せて灯心を立てた、つまり灯明台である」とアーサー・ビナード。
私にとっても全くの晴天霹靂、眼から鱗である。
言われてみれば、この諺は古くからあるように思えるのに対し、今の形式に近い灯台ができたのは近世のことだろうから(日本最初の洋式灯台・観音埼灯台は1869(明治2)年2月11日点灯)、諺の成立と合わない。
まさに「灯台下暗し」を地でいく誤認・勘違いである。
この勘違いは私とアーサー・ビナードだけ?
あなたご存知でした?
編緝子_秋山徹