令和七年 秋分
面倒な楽しみ

手仕事の向こう
年中行事
秋分-春分とともに極楽浄土のある真西に太陽が沈む日。
彼岸の入りから随分凌ぎやすくなった。
そろそろ更衣の準備を始める頃であるが、季節の着物の入れ替えはひと仕事である。
10月の更衣は、単衣と紗などの羅物および浴衣類を〝袷(あわせ)〟と入れ替えるのであるが、理想は、まず季節の終わった着物をすべて広げて架け虫干しのあと畳んで仕舞い、その後、これから来る袷をこれまた全て広げてから畳んで箪笥に。仕舞うもので汗染みなどあるものは悉皆屋さんに洗いに出す。私のように単衣・羅物と袷がそれぞれ和箪笥ひと棹分ほどしかなくても、真面目に更衣を行なえば二、三日を要するが、なかなかこれが不精な私にはどうにも面倒で、ついつい手を抜いてしまう。しかし、ここで手を抜いたツケとして、知らぬ間についた染みなどが季節を越して、その後に洗いに出しても取れなくなってしまったりする。それがお気に入りの一枚であったりするので、おのれの怠慢を悔やむことになるのである。
現在の更衣は、大まかに六月一日が袷から単衣に、七月一日に単衣から羅物(うすもの)、九月一日に羅物から単衣、十月一日に単衣から袷へとなっているが、旧暦と新暦で昔はもっと細かかった。
新暦と旧暦で季節感が異なるが、今日のような暖房のなかった昔は、冬には着物に綿を入れたものを着ていた。更衣でその綿は四月一日に抜かれた。「四月一日」と書く珍しい名字の人がいるが、この名字の読みは〝わたぬき〟で更衣が由来である。またしきたりでは四月一日から立夏の前日五月四日までは〝袷〟の着物であるが羽織は〝単衣〟で、また四月一日から重陽の前日九月八日までは足袋を履かないとされていた。そして九月一日から八日まで〝袷〟を着て九日の重陽からは綿入れの着物を着る、と更衣の作法はかなり微に入り細に入りだったようだ。
ちなみに箪笥の数え方は、なぜ一棹(さお)・二棹なのか—昔の箪笥には傍に金属の〝輪っか〟が付いていた。この輪っかは、箪笥を移動する際に棹を通し担ぐために付いていて、ここから箪笥を数える単位が棹になったと、骨董家具を専門に扱う方に教えてもらった。さすがに現在作られる箪笥に輪っかはつけないが、古い船箪笥などに付いているのをよく見かける。
現代でさえ手間のかかる着物の更衣は、その昔江戸時代あたりではこの比ではない。まず仕舞う着物の縫い目を全て解いてからバラバラにしたものを、すぐ解ける程度の仮縫いをして一枚の長い布、もとの一反の状態にして水洗いし、長板に張って乾かす。いわゆる解き洗いである。一反の状態で乾かしたものを次の季節まで箪笥に仕舞う。そして季節となったら箪笥から取り出し陰干ししてから、再度仕立てるのである。この時体型が変わっていれば補正しながら仕立て直す。
この一連の作業を金持ちは悉皆屋や雇いの裁縫師などに任せ、庶民は自分家で行なった。庶民の女房たちは縫い物ができることが嗜みのひとつという時代で、嫁入り前の娘たちは、裁縫を母親から習ったり、縫寺子屋に通って身に付けた。繍寺子屋に通う娘は縫子・縫物子と呼ばれた。
江戸時代、針仕事の職人は、大店の呉服屋などを顧客とする仕立屋のほとんどが男で〝男仕立〟と呼ばれた。一方、女性の裁縫師は、武家屋敷では〝お物師〟、一般の町家・商家で〝針妙(しんみょう)〟、吉原の〝お針〟とそれぞれが個別で雇われ、呼び名も違った。
川柳に「お物師を ひょっとお針と 妾いい」というのがある。
吉原出の妾が、武家の〝お物師〟を思わず吉原の癖で〝お針〟と呼んで、その出自を晒してしまったのを茶化した歌である。
更衣や虫干しは女性たちにとって面倒な作業というだけではなく、これから仕舞う着物や次に出す着物の柄を眺め合い、あれこれと話に花を咲かせるのが楽しみのひとつであった。
昔の日本人は須く器用で、働き者で、楽上手(たのしみじょうず)だった。
生活大国
かつて私は三十年ほど前のイタリア取材で、「サルトSARTO」と呼ばれる仕立て屋が、着物同様の「解き洗いと仕立て直し」をやることを知り驚いたことがある。イタリアのサルトでカスタムメイド「ス・ミズーラSU MIZURA」されたスーツは、時を経て持ち主の体型が変わったり、父親からそのスーツを引き継いだ際、仕立てたサルトに持ち込めば、極端に太ったなどのよほどの体系の変化でない限り仕立て直しが可能であると教えられた。
まずスーツをバラして各パーツに分け、水で洗いアイロンをかけて元の風合いを取り戻す。そして新たに顧客の採寸をして、仕立て直すのである。私はフィレンツェやナポリのサルトで実際に現場を目にした。仕立て職人は上着とパンツでは担当が異なり、上着はサルトの職人が、パンツは年季の入った女性が自宅で担当する場合が多いようだった。スパッカ・ナポリの自宅のベランダに置いた椅子でパンツを縫う女性を見た時は、遠く昔の日本家屋の縁側で着物を仕立てる内儀の姿が重なって映った。手仕事はやはり美しく愛おしい。
サルトで仕立てられたスーツはそれなりの値段がするが、良い生地と確かな腕で仕立てられていれば、日本の着物同様、長く、そして、世代を超えて引き継ぐことができ、決して高い買い物ではなくなる。これは、どんなに高価であろうと工場製品・マシンメイドのハイファッションのブランド物では不可能な技である。
職人文化が残るイタリアでは、スーツの例のように、靴や鞄、家具といったものがリペア・手直しされながら使い続けられている。手仕事で作られた〝物〟は、大量生産品にはない職人の修練の時間と手触りと、息吹が細部に宿っている。
いま日本は少子化が叫ばれ、お上は労働力の確保という名目で外国籍の人間を大量に迎え入れようとしている。
イタリアの国土面積は約30万km2で総人口約六千万人、GDPは約2兆ドルで世界8位である。
日本の国土面積はほぼ同じく約38万km2、人口は倍の一億二千万人、GDPは約4兆ドルで世界4位である。
ひと昔前、イタリアは〝生活大国〟と呼ばれた。GDPなどの経済規模・指数は日本の半分であるが、先進国G7にはちゃんと入っている。少子化で日本の人口がもしイタリア並みに減るのであれば、エコノミックアニマルと呼ばれた過去と決別し、イタリア型生活大国を目指すという選択肢はないのだろうか。移民ばかりが増えて、どこの国かも分からない経済だけは発展している国家に成り下がるよりは、人口規模に見合った経済力で生活大国の方が遥かに幸せに思えるのだが、こう考える私は間違っているのだろうか。
着物の更衣が面倒だなと思っている今この時が、どれだけ幸せな時間であるか有り難く思う。
編緝子_秋山徹













































































































































