令和八年 白露
リウマチにあらず

皺の寄ったを憐むばかり
色なき風
白露_草木に降りる露が白く光る候である。
夏休みが終わり一週間が過ぎた。早朝から聞こえていた球児の声が消え、授業終わりの夕刻からのみとなった。もうじき、昼間の暑さに河川敷を避けていた保育園児たちが戻ってくるだろう。その声が待ちどうしい。
早朝の東雲時と夕まぐれの風が涼しくなり秋風が立つ。秋は風の季節だという。秋風は多くの名を持つ。秋に初めて吹く風を〝初秋風〟、雁が飛んでくる初秋の風を〝雁渡し〟、台風を〝野分〟などで、秋全体の風は〝素風〟と呼ばれる。素風とは色のない風という意味である。
本来、色なきものの風であるが、これは五行思想からきたもので、四季の色はそれぞれ、春—青、夏—赤(朱)、土用—黄、秋—白、冬—黒(玄)とされ、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」で表される。これから秋の風は白で色がないとされる。
物思へば色なき風もなかりけり
身にしむ心ならひに 源雅実
と、色なき風は平安の世から歌にも詠まれる。
おしなべて物を思わぬ人にさえ
心をつくる秋の初風 西行
西行が、普段、四季の移ろいに気を配らぬ人にさえ、初秋風は物思いにふけさせる、と詠むように人に寂寥感(せきりょうかん)を与える秋風は、無色透明がふさわしい。
人生の晩秋を迎えている我が身には、秋風に一層、物悲しさが襲う。
井伏鱒二の訳詞がなんとも染みる。
「照鏡見白髪」 張九齢
宿昔青雲志
蹉跎白髪年
誰知明鏡裏
形影自相憐
※蹉跎(さだ)—ぐずぐずして時を失うこと
出世しようと思うてきたに
どうかする間に歳ばかり寄る
ひとり鏡にうちより見れば
皺の寄ったを憐むばかり
『厄除詩集』
出世しようと思ったことはないが、怠惰に歳ばかり重ねてきた反省は大いにある。
現代医者孝
人生の晩秋を迎えた私の目標は、歳と共に徐々に弱っていき早めにクタバル、というものだった。クタバルのは、父親が逝った七十五歳を理想にしていた。これまでお世話になった人が、七十過ぎで亡くなった方が多かったのもある。
だから、痛風や膝の痛みにも真剣に向き合ってこなかった。発作の痛みが出れば、痛み止めのボルタレンを飲み発作をやり過ごしてきた。
しかし、家人が脳卒中で倒れ左半身付随の要介護4となってしまっては、徐々に弱りながら早めにクタバルともいかなくなってしまった。まずは、このよちよち歩きの原因の膝をどうにかしなければと、膝専門のクリニックを予約した。膝のMRI画像を指定機関で事前に撮りクリニックへ。膝の専門医はMRI画像と同時に私の手足の関節の腫れと変形をCTで見て、これは膝だけというよりはリウマチの疑いがあるのでリウマチの専門医に見てもらった方が良いでしょうと言う。
改めてリウマチ・膠原病専門クリニックを近隣で探し行った。専門医はMRIの画像とCTで確認しながら、これはリウマチの可能性もあるが、持病である多発性の痛風の可能性もありますね、血液検査をして確かめましょうと言う。この専門医は、これまで私が痛風で通った先の医者とは毛色が違った。懇切丁寧にMRI・CT画像の説明をし、リウマチの場合、多発性通風の場合の治療計画を段階的に説明してくれた。
1週間後、血液検査の結果を聞きに行く。リウマチ特有の項目の検査では陰性でリウマチではなく、多発性痛風であろうという結果であった。それ以上に気になる点が見つかったと言う。腎臓の数値がかなり悪く、年齢・性別と今回の数値をもとに計算すると、腎臓の機能が35%まで落ちており、このままでは人工透析になるらしい。多分これは、痛風の発作が頻発したことと、これに伴いボルタレンを飲み続けたことが、腎臓を痛めつけたんだろうという診断であった。
1ヶ月間、今までの痛風治療とは違う腎臓に負担をかけないアプローチで様子を見て、再度血液検査をして、それでも腎臓の数値が悪ければ、専門医に見てもらいましょうということになった。
頻繁に起きる痛風の発作と、痛み止めのせいで腎臓に負担がかかっているだろうなとは思っていたが、35%まで機能が落ちているとは思わなんだ。兎にも角にも今回は、私の体の問題点が明確になって良かったと思う。また、今後の結果にかかわらず、信頼に足る医者に出会えたことも私にとっては大きかった。
私見であるが、現代の医者に圧倒的に足りないものは哲学、とくに死生観であると思う。己がいかにして生き、いかにして死ぬかという哲学のない者に、どうして我が命を預けることができようか。血圧が高いので降圧剤を出しておきましょうと言うだけで、その原因を探ろうともしないファーストフードの店員のような医者は、単なる製薬会社のセールスマンに過ぎない。高血圧という診断の数値の根拠にしてからが、怪しいものである。高齢者と若年層、男女の別もなく、押し並べて130/80mmHg以上を高血圧とするのは素人目にもおかしい。しかも、厚生労働省が令和六年度からは「すぐに医療機関を受診」するのがよい人は、血圧が160/100mmHg以上と目安を変更しているにもかかわらず。あいも変わらず130/80mmHg以上で自動的に投薬しようとする医者のなんと多いことよ。
まともな死生勘を持たない医者にかぎって、もう穏やかにお迎えが来るのを待ちましょうとはならず、一分一秒でも長生きさせようと、せっせと高額な終末医療を施す。これでは医療費が膨らむばかりである。
野巫(やぶ)医者とは、病気を治すことしかできず、人を精神的に導けない医者を指す。現代はヤブ医者以前の輩のオンパレードである。
編緝子_秋山徹












































































































































