令和八年 小寒
杉作ッ

天狗の相棒
貴女方の体感は
小寒_寒の入りである。暦の上では大寒までが一年で最も寒い季節となる。
私のような爺様は、寒くなればなるほどに縮こまりチンマリとするが、河原の元気印の保育園児たちは飛び回り跳ね回り、我が身を追い越す勢いである。
最寄駅を目指し、着物姿で羽織の懐に手を温めながらそろそろと歩く。向こうから女子高生の一団がやってきた。上半身は制服の上にショートコートを羽織り暖かそうであるが、下半身は短いスカートにショートソックスにスリッポンの靴。逞しい太もも以下ソックスまでは素肌である。寒風吹き荒ぶ中、見ているこちらの方が寒い。思わずブルッと冷えが背中を走る。オーバーパンツのようなものを履いているのかもしれぬが、下半身は下着と素肌とソックスだけであろう。長年、あの十代の女の子の体感温度はどういう仕組みにななっているのだろうと、不思議でならない。あまりじろじろ見ていると狒狒爺(ヒヒジジイ)に勘違いされそうなので、視線を逸らしているが、誰かその辺のところを教えてくれぬか。
お正月には
二日の午後、近くの神社・六所神社に初詣に行った帰り、住宅街を通り抜けていた際、一軒の家から出てきた娘と母の親子が自転車に乗るところであった。小学生低学年と思しき女の子の手には、手作り風の〝獅子舞〟の衣装があった。段ボールをふたつあわせた獅子頭は、地に赤い色紙が貼られ、その上に大きな目と耳、鼻、口が書かれた紙が貼られている。獅子頭の首元からは唐草模様の布地が垂れ下がる。獅子の顔に荒々しさがあり、なかなかの力作である。二人は獅子舞衣装を携えて、楽しげに友達たちが待つのであろう近所の何処かへ、自転車で向かって行った。
母娘の後ろ姿を見送りながら「ほおー」と声が出た。
手作りとはいえ〝獅子舞〟の衣装を見たのは何十年ぶりだろうかという思いが声になった。今では神社の大祭・例祭など特別な時や場所で神楽として見ることが多い獅子舞だが、私が幼かった頃は、正月になると門付として獅子舞はやってきて、泣きながら頭を噛まれたものである。
獅子舞は江戸の商売を記した草子によると「正月の獅子舞は近所の若い衆が道楽できたが、〝一文獅子〟という物貰いの芸能の一種もあり、正月はもちろん普段の日にも来た」とある。
獅子舞が頭を噛むのは、「噛みつく」と「神憑く」の語呂合わせから縁起が良いと云われ。正月に邪気を払い、無病息災を願って特に子供の頭を噛ませた。
もともと舞楽であった獅子舞は、田楽に取り入れられ、神事にも用いられるようになった。獅子舞を街道演芸として生業としたものに、上方で越後(新潟地方)の方から来るため〝越後獅子〟と呼ぶもの、江戸では獅子頭の名工であった角兵衛の名を取った〝角兵衛獅子〟と呼ばれたものがあった。この中には、大名諸侯に招かれるものもいたが、市中を流す角兵衛獅子の一行は四人一組で、笛と太鼓が一人ずつに、獅子を舞うのは七歳から十四・五歳までの子供たちであった。
昔懐かしアラカンこと嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』(原作:大佛次郎)に登場する杉作少年がまさに角兵衛獅子であった。鞍馬天狗に出会ったばかりのころの杉作は妹と組んで芸を見せていたが、妹とは離れ離れになるという悲しい運命を迎え、その後天狗と行動を共にするのである。
杉作役では、美空ひばりが1951年から52年にかけてアラカンの『鞍馬天狗 角兵衛獅子』『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』『鞍馬天狗 天狗廻状』の三本に出演している。
角兵衛獅子の子供は、貧しい農家の子が売られて行く先でもあったらしく、川柳の歌集『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』に、「あねぇは女郎 弟は角兵衛獅子」というのがある。角兵衛獅子の芸は15歳までのようだが、その先、笛や太鼓の囃子方になれなかった者はどうなってしまったのだろう。
江戸市中を流した角兵衛獅子であるが、遊里吉原には出向かなかったようで、吉原の大晦日と正月には、狐の面を被って幣(ぬさ)と鈴を振って、笛太鼓のお囃子で舞う〝狐舞〟が舞い込んできたという。この狐舞に抱きつかれると子供ができるという迷信があったため、新造(若い遊女)たちは狐舞が来ると逃げまどったらしい。
正月由来の芸能のひとつに「猿回し」がある。こちらはさすがに我が郷里のような辺鄙な田舎には出向いてこなかったが、地方でも神社の祭りなどの賑やかな場所では芸を披露したようである。江戸時代の猿回しには、武家に行く者と、町家を廻る者がいて、武家に行く者は羽織袴で、町家廻りは古手拭いの頬かぶりにぼろ着物で、二尺ほどの竹を持ったと云う。「猿回し」は、馬の疫病を防ぐというので、武家屋敷では正月に厩(うまや)で舞わせた。
今思えば、私たちの子供の頃にはあった正月の行事・遊びというものが、どんどん姿を消していった。獅子舞しかり、和凧も見ることがない、独楽回しも見ない。福笑い、百人一首・カルタ遊びは辛うじてあるのか。晴れ着を着た女の子が二人で羽子板を撞いているなんていう光景は遥か昔の幻影である。そもそも着物姿の日本人の少ないことよ。一軒家の並ぶ街並みで日の丸を掲げている家が稀である。門松が立たないマンションが多い。生まれてこれまで屠蘇を飲んだことのない三十代がいる。仕事始めに若い女性社員が振袖を着て出勤する姿がない。むかし、銀行の仕事始めの日、窓口に並ぶ女子銀行員の着物姿にワクワクし、用も無いのに銀行の本店に行ったのは私だけではないはずだ。(今日、さしずめそんな事を復活させようとしたら、リベラル系の似非フェミニストに吊し上げを食うのがオチであろう)
そんな正月に、これからも決して無くならないものが、ひとつだけある。それは〝お年玉〟である。もらう立場から、あげる立場になって、唯一「これ無くならないかな」と思った正月の慣習である。
世の中、所詮〝金〟か。
編緝子_秋山徹













































































































































