我がエロス 其の参
これが...初体験
ヰタ・セクスアリス③
十三歳_煩悩の更衣室
中学生になった。
部活は水泳部に入った。
この頃の性的な体験としては、中学校に入学して最初の中間試験の時期に初めて射精をした。
中間試験に向けて早起きした私は、勉強をすべく机に向かっていた。
しかし、起きた時から勃起が激しく、下半身が猛り立って仕方がない、勉強どころではなかった。
やがてペニスの根元から何かが湧き上がってきたと思ったら、オシッコ以外の何かがいきなり放出された。
椅子から転げ落ちそうなくらい驚いた—いや、実際に転げ落ちた。
その音に、「何だっ!」と、親父がやってきた。
「な、なんでもない」と私。
「朝からうるさい!」と拳固を喰らってしまった。
一瞬「何か大変な病気になったのでは」と思ったが、気持ち良い—非常に気持ち良い。
ああこれが噂に聞く射精かと思った。
家族に気づかれぬよう汚れたパンツを洗面所で洗い洗濯機に放り込んで、新しいパンツを履いてトイレに行った。
ペニスは、まだワナナクようにヒクヒクいっている。
水泳部の先輩が「気持ちいいぞー」といって動かしていた手の動きを真似して、しごいてみた。
「あっ!」という間に再び放った。
これ以降これが私の毎日の日課となった。
須らく男はみな、この最初の何も手を施さないで放った射精の瞬間が生涯で一番の肉体的快楽・リビドーを味わったときではないだろうか。
これに対して、精神的な快楽の瞬間は女性(性対象)を初めてイカせたと感(錯覚)じた瞬間か。
—とまれ中学生の私である。
初めての射精から三ヶ月ほど経って夏休みになった。
水泳部はこの時期が一番忙しい。
夏休みにはプールが全校生徒に開放となるが、水泳部は早朝の練習を終えた後は、プールの監視委員をさせられる。
二年生と三年生は日毎に交代で当たるが、一年生は毎日である。
夕方に一般の生徒が帰った後の男女の更衣室を掃除して、やっとその日のクラブ活動がようやく終わる。
プールサイドから階段を降りた左右に男女に分かれたシャワーがあり、シャワーの横にあるコンクリートの衝立の向こうが男女の更衣室だった。
更衣室は、ブロック壁の正面と左右の壁一面に作り付けの木製の棚と屋根があるだけの簡素なものだった。
それがそのまま水泳部の部室でもあった。
同和部落の子供が多く通っていた私の中学は不良が多く、中学校全体のガラが悪かった。
高校に進学するものは少なく、その多くは中学校を卒業すると同時に近くの工業団地の工場に勤めに出る。
当然のように先生の言うことなど全く聞かぬ奴が多かった。
特に水泳部には女子部員に札付きのワルが多かった。
当時で云うスケ番グループが何故かことごとく水泳部であった。
水泳部以外のスケ番達も水泳部の更衣室をよく溜まり場にしていた。
その理由として、女子が素っ裸になる場所であるため、教師もうかつに立ち入ることができないということがあった。
更衣室の中には、タバコはもちろんのこと、シンナーやボンドを吸った後のビニール袋などが散乱していた。
その更衣室を最後に片付けるのが一年生の男子部員の役目だった。
ある日、同じ一年生部員とこの掃除当番をかけた50メートルのクロール競争に敗れた私は、まず男子更衣室を綺麗にしてから、頃合いを見て誰もいないはずの女子更衣室に入った。
そこには三年生の女子部員が、それもスケ番グループのリーダー格三人が裸同然の姿でいた。
その時二人はタバコを吸っていたが、一人はボンドの入った袋を口に当てていた。更衣室はボンドの甘い化学合成物の匂いが充満していた。
真新しい使用済みのビニール袋が二つコンクリートの床に落ちていて、タバコを吸っている二人も直前までボンドを吸っていたのがわかった。
私自身、シンナーやボンドには手を出さなかったが、タバコは当たり前のように吸っていた。
鼻歌まじりの咥えタバコで入ってきた私に最初は「ギョッ」として剣呑な眼差しを向けていた三人は、私が水泳部の一年生であるのを確認するとまた続けた。
あわてて出て行こうとする私の手を、目の焦点の合わぬひとりが「ボク、可愛い顔してるね」と言いながら引っ張った。
それから何がどうなったのかよく覚えていないが、誰かがコンクリートの床に敷いたバスタオルの上でボンドでラリっている三人を相手に夢中でセックスをした。
セックスをしたと言ってもただ闇雲に挿入して果てると云う行為を三回繰り返しただけで、むしろ輪姦(まわ)されたと云った方が良いだろう—しかし事が果てた後は、当たり前だが悲壮感はなくただただ淫らな快感に浸された。
この出来事は、たとえ輪姦されたのであっても射精を覚えたての少年にとって、この上なく素敵な初体験であった。
さらに正直に白状すると、この三人のスケ番のうちのひとりは、私がマスターベーションする際の卑猥な妄想に思い浮かべる相手のひとりだったのも嬉しかった。
三歳の互いの性器を合わせると云う行為から十年を経て、射精をともなう性行為と云う意味での私の初体験となった。
私が自らの初体験を何がどうなったかよく覚えていないというのは、更衣室に充満していたボンドの影響で私も彼女らほどではないにしろラリっていたせいだった。
そのせいで家に戻ってからもボーッとして頭に靄がかかっていて、翌日は午前中いっぱい頭がガンガンした。
事が終わった帰り際、ひとりが強いる感じでもなく「内緒だよ」と言ったが、言った本人自身が別にどうでも良いという様子だった。
私もこの「秘め事」を部員の誰にも言わず、自分の胸に仕舞い込んで幾度となく快感を思い出しては楽しんでいた。
この出来事のあと、私は再びの遊戯の時間を求め、どちらかというと自分が掃除当番になるように仕向け期待してその時を待ったが、残念ながらついに二度目はなかった。
二学期となり、スケ番グループを学校で見かけることがめっきり少なくなった。
さらになんと水泳部自体が廃部になってしまったのである。
私たち水泳部員は常にOというキャプテンから「いいかお前ら、もし親や先生にタバコやシンナー、ボンドが見つかっても自分だけでやっていたと言えよ。間違っても水泳部はみんなやっているなんて口が裂けても言うんじゃないぞ」と諭されていた。
実際に私は、当時発売されたばかりの「セブンスター」を机の中に入れているのを親父に見つかってしまい。
嫌になるほどブッ飛ばされたが、決して水泳部のことは話さなかった。
自分はやっていないとはいえ、水泳部のほとんどがやっているシンナー、ボンドのことがバレてしまえば、本気で「親父に殺されてしまう」という思いがあった。
その頃、それほど我が家の親父は怖かった。
私のタバコが親父に見つかってから程なくして、あれほど他人に口止めをしていたキャプテンのOがシンナーを吸っているところを教師に見つかり、全員の名前から何からすべて白状してしまった。
初めて人の裏切りというものに触れ唖然茫然とした。
やがて水泳部全員が一人一人職員室に呼ばれて詰問された。
私は職員室で尋問され涙を流した。
教師は私が反省と悔悟の念から泣いたと思ったようであったが、実際は人の裏切りがあまりに悔しく泣いた。
この時、私は自分がタバコを吸っていたことは認めたが、他人のこと特にシンナーに関しては知らぬ存ぜぬを通した。
私の筆下ろしをしたあのスケ番たちも、一人一人呼ばれるたはずであるが、どうなったかはまるで分からなかった。
義務教育である中学それも市立であるため、謹慎や停学といった処分はなく、シンナーが明るみになった者は父兄に連絡され厳重注意がなされたが、タバコに関しては教師から生徒への厳重注意のみで親への報告はされなかった。
今では考えられないことだろうが、当時の私たちの地方の中学校は、教師は生徒がタバコを吸ったくらいでアタフタしてられないほどシンナーの蔓延が深刻で、中毒で病院送りになった奴が大勢いた。
教師達は、生徒の体を蝕み健康を害すること甚大なシンナーの蔓延を抑え込むことに必死であった。
私達は何度も教師から「タバコはまだいい。シンナー・ボンドは絶対やめろよ。勃たなくなってセックスできなくなるぞ」と冗談でなく真面目に脅された。
とにかく喫煙の事実は親に報告されることはなかった。
これには私も心底ほっとした。
職員室の涙には、親父への恐怖も含まれていたからである。
この事件で水泳部は即刻廃部となった。
裏切り者のキャプテンのOは、洒落者で有名な男であったが、その後、駅の便所でボコボコにされた挙句、その頃ただの長い溝に用を足すタイプであった小便所に落とされた上に小便をかけられて晒し者になった。
誰がやったかは皆が知っていたが、Oは決して誰にやられたかを口にしなかった。
Oには妹がいて、私と彼女は小学校からの同級生であった。
後に上京してモデルとなったほど顔もスタイルも良く学年でも人気のあった娘であった。
水泳部が廃止され、三年生だったOも卒業し年度が変わった頃、私は彼女から「好きだ」と告白された。
しかし、変なところで意固地で頑固な私は、裏切り者Oの妹ということで彼女の告白を無視した。
心の中では私も彼女のことが好きであったが、どうしても彼女の背の後にOの顔が浮かびその気になれなかった。
女性への好意よりも、その兄に対する憎しみの方が遥かに勝っていた。
数年後、大学生として上京した私は、彼女の写ったポスターを渋谷駅のホームで偶然目にした。
それは地方都市の観光ポスターだった。
洗練されて大人びた姿ではあるが、それは確かに小学生の頃から私の知っていた顔だった。
大学生の私は「惜しいことをした」とおのれの強情を悔やんだが、それより40年を経た今では、付き合わなかったからこそ今でも彼女の顔を染み染み思い浮かべることができるのだと思っている。