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ウェディングソングの「絶対条件」

昭和歌謡_其の十六

えっ!それ歌っちゃいます?

サチコ違い

結婚式の披露宴の余興として、歌をプレゼントされる方は、昔も今も多いですよね。

ウエディングソングの〝定番〟となりますと、時代の古い順に、

『ここに幸あり』(歌唱:大津美子/1956年発売)、『新妻に捧げるバラード』(歌唱:江利チエミ/1963年3月10日発売)、『世界は二人のために』(歌唱:佐良直美/1967年5月15日発売)

『てんとう虫のサンバ』(歌唱:チェリッシュ/1973年7月5日発売)、『秋桜』(歌唱:山口百恵/1977年10月1日発売)、『いとしのエリー』(歌唱:サザンオールスターズ/1979年3月25日発売)、『乾杯』(歌唱:長渕剛/1980年9月5日発売)……あたりでしょうかね。

むろん、ここに挙げたのは、あくまで一部ですから、皆様ご推薦の〝定番〟ソングは、他にもたくさんありましょう。それにしても、幾つかならべてみただけで、その時代、その時代を彩る空気感のようなものが、おのずと浮かび上がってきますから、面白いものです。まさに「歌は世につれ」というわけで。

さて時代はまちまち、楽曲のカラーもまちまちな〝定番〟ソングではありますが、1つだけ、すべてに共通している「絶対条件」というものがあります。

逆にいうと、その「絶対条件」さえクリアするならば、極端な話、演歌、ポップス問わず、ロックでもアイドルソングでも民謡でも童謡でも、場合によっては軍歌でも、楽曲の選択は何でも良い、ということになりますよね。

さよう「絶対条件」さえクリアすれば――。歌詞の内容が、おめでたい、晴れがましい、清らかしい、結婚披露宴の席にふさわしい楽曲であるならば、です。

今から30数年ほど前のことになりますが、幼馴染の友人が結婚することになり、物書きになりたての私に、「披露宴の司会をせよ」との命が下りました。新婦は彼の会社の後輩。名前は佐知子でした。

なにぶん初めての経験ですし、不慣れも不慣れ。それでも私なりに、テレビのバラエティ番組などで使われる構成台本と、ほぼ同様なものをこしらえまして、自分が話すべき台詞もしっかり書き込み、……その助けもあってか、新婦のお色直し、さらに「皆様方、ご歓談下さいませ」の時間まで、なんとか無事に会は進行して行きました。

ホッとした、ちょうどそのタイミングに、新婦側の親族のお一人(忘れもしません、小柄で小太りのオッチャン)が、すでにかなり泥酔した足取りで、ふらりふらり、私のところまでやって来ました。

私の司会ぶりをべた褒めしてくれたのです。「お兄ちゃん、なかなかやるでねぇの」と、田舎訛り丸出しの口調で。でも嬉しかったですねぇ、単純に。過度に緊張しておりましたから、少し気持ちが楽になりました。

「でね、お兄ちゃん、急で申し訳ねぇけんども、俺があとで唄う歌、予定してたのとは違うのに、変えてもらいてぇんだけんども。女房はやめとけぇ、やめとけぇ、うるせぇんだが、久しぶりに佐知子のツラぁ拝ませてもらって、それも、あ~んな幸せそうな姿、見ちまったら、俺ぁ、嬉しくって嬉しくって……。だからってこともねぇんだけんどもよ、今の俺の気持ちを、そのまま佐知子に伝えようってぇ~、そう思っちまったわけだよ。なのに、みんなぁ、やめとけぇ、やめとけぇ、って。お兄ちゃん、どう思うよ?」

私は、このオッチャンに褒められた反動と言いましょうか、さして深く考えることもなく、そんなに「唄いたい!!」のなら、楽曲を変えることぐらい、どうってことはない、と……思ってしまったんですね。

むしろ、なんでそんなことぐらい、皆さん「やめとけぇ」と止めるのか? オッチャンの佐知子さんを思う、熱い想いが、どうしてわからないのだろう? 義憤にも似た感情が湧いても来ました。

「ご心配なく。歌の変更など朝飯前ですから、すぐに対処いたします。私もオジサンの素敵な歌、楽しみにしています」

適当に応えたわけではありません。披露宴会場の設備にもよりますが、この時の会場には、当時、流行りだしたカラオケ機器が常設されておりました。係の者に楽曲のタイトルさえ伝えれば、いくら突然の変更であっても、じゅうぶん対応が可能です。

オッチャンは安心して席へ戻り、いざその時を迎えました。新たなリクエストは、新婦の名前と同じタイトルの〝サチコ〟でした。

そうです、『いちご白書をもう一度』(作詞&作曲:荒井由実/1975年8月1日発売)の大ヒットを飛ばした、人気グループバンド・バンバンの、元リーダー、ばんばひろぶみの代名詞ともいうべき『SACHIKO』(作詞:小泉長一郎/作曲:馬場章幸/1979年9月21日発売)――だと、私はそう思い込んでいました。会場のスタッフも同様です。『SACHIKO』の楽曲番号を、カラオケ機器にインプットし終えたようでした。

前奏が流れだしました。するとオッサン、マイクを掴んだまま、大きな声で訴えたのです。

「違う、違う。このサチコじゃねぇ。別のサチコがあるべぇ?」

私はハッとしました。まさかとは思いましたが、オッサンは、確かに別の〝サチコ〟……、ニック・ニューサのデビュー曲にして、大ヒット曲の『サチコ』(作詞&作曲:田中収/1981年6月発売)を唄いたがっているのでした。

何故「まさか」なのか? ご存知の方も大勢いらっしゃいましょうが、まぁ、論より証拠、以下が1番の歌詞になります。

 ♪~暗い酒場の 片隅で オレはおまえを 待っているのさ
サチコ サチコ お前の黒髪
オレはいまでも お前の名前を 呼んだぜ 呼んだぜ
冷たい風に~♪

その昔、惚れ抜いた女、サチコは、今はもう他の男に抱かれている。それを承知で、未練がましく「サチコ~!! サチコ~!!」と泣き叫んでいるような……、そんな女々しいウジウジ男の歌が、ウエディングソングとして適当かどうか? よほどの鈍い野郎でもない限り、たいがいは心得ているものです。

会場じゅうの誰もが、そうであったはずです。オッサンの女房も含めた、新婦側の親族たちが、なぜ「やめとけぇ、やめとけぇ」とうるさくオッサンを制したのか、今頃になって私も思い知らされた次第です。

なのに、〝たった1人〟、オッサンだけがご存じない。「どうしても『サチコ』を唄う!!」と言ってゆずらず、前奏が流れるのを待っているのです。カラオケ機器の前に立つ若い女性スタッフは、不安げに「どうしましょう?」という視線を、私に投げてきました。

私の心臓も、大げさではなく高鳴りすぎて破裂しそうです。どうする? どうする? どうする? しばし思案した後、早足で女性スタッフのところまで行き、彼女に、「そのまま唄っていただきましょう。後で私がフォローしますので」と小声で伝えました。

『サチコ』の、実に印象深い、マイナー(短調)音階の前奏が流れだしました。恋人に去られ、傷つきまくった男心を代弁するがごとく、暗く切ないブルース調のメロディが……。

イイ気になって、朗々と唄いまくっているオッサンをよそに、会場じゅうが、ゾッとするほど静まり返りました。

「流行歌は3分間のドラマだ」と、よく言われますが、この場合、ドラマなのは、ニック・ニューサのリーダー、田中がみずから書いた歌詞内容ではなく、この会場の異様な雰囲気そのものだったはずです。オッサンがまた、見かけによらずメチャメチャ歌が上手いというのも、ドラマの演出を、よりけったいな世界へ導きます。

これはもう、ギャグとしか言いようがない。私はおかしくって、おかしくって……、笑いをこらえるのに必死でした。

オッサンの熱唱が終わりましたが、皆さん、脳天気に拍手をしてよいやら、当惑気味の様子です。すかさず私は言いました。

「えー、ただ今の○○さまの唄声には、新婦・佐知子さんを無事に嫁がせることが出来た喜び、嬉しさはもちろんながら、幼少時代から何かにつけて暖かく、彼女を見守って来られた、新婦の親族の皆様方の元から、佐知子さんが今日、晴れて旅立ってしまう……、そんな、いくばくかの、本音の淋しさを代弁していると感じたのは、私だけでしょうか?」

口から出まかせ、ヤケノヤンパチ、自分でも何を話しているやら、よくわからないままの、一発勝負でした。ほんの一瞬、間が空いて、一気に拍手、拍手、拍手。ようやく、元のまっとうな披露宴会場の雰囲気に戻ったのです。

よろしく哀愁

そして時代は流れて、今から3年前。物書きの後輩の結婚披露宴に、夫婦して招かれた時のことです。新郎側、新婦側、合わせて50人ほどの宴会でした。

私は乾杯の音頭を頼まれ、軽いスピーチとともに、無事にそれを済ませて以降、(あとは呑んで喰うことぐらいしか、やることはないな)と安心しきっていました。

前出のオッサンほどではないにせよ、結構、酔っていたと思います。その自覚はちゃんとありました。会は進み、新郎側、新婦側、それぞれ数人ずつ、カラオケの伴奏で、ご祝儀代わりの歌を披露することになっていたようです。が、新郎側の1人が、呑みすぎて体調を崩し、別室に搬送されてしまいました。

と、会場スタッフの1人が、いきなり私のそばへ寄ってきまして、小声で、「新郎が予定していた方の代わりに、ぜひ勝沼さんに唄って欲しいとのことです。日頃からカラオケがお好きだそうで。ぜひに」と頼むのです。

先に言い訳しておきますが、最初から歌のプレゼントを予定していたならば、以下のようなヘマはやらかさなかったでしょう。突発的に頼まれたので、楽曲を何にするべきか? 考える時間がほとんどなかったのです。

「じゃあ、仕方ないので、郷ひろみの歌にしましょうか」

私は椅子から立ち上がると、スタッフは当然のことのように、「『お嫁サンバ』(作詞:三浦徳子/作曲:小杉保夫/1981年5月1日発売)ですね?」と言い置いて去っていくので、あわてて呼び止め、

「スミマセン。それではなくて、『よろしく哀愁』(作詞:安井かずみ/作曲:筒美京平/1974年9月21日発売)にして下さい」

スタッフは一瞬、「ハッ?」と言いかけたような、そんな気配も窺えたのですが、そのままスルーしました。

しばし後、会場じゅうに『よろしく哀愁』の前奏が鳴り響きました。

じつはこの楽曲、私の十八番でして……。昭和歌謡の超がつくビッグヒットメーカー、筒美京平先生が描くメロディラインが、平易でありながら味わい深く、じつに唄いやすいこともありますが、

サビの部分の歌詞 ♪~会えない時間が 愛 育てるのさ 目をつぶれば 君がいる~♪ のところで、新郎新婦に向けてスーッと指を突き出そうと、そんな姑息な演出も、急きょ頭の中でプランニングしていたのです。

が、しかし、『サチコ』同様、『よろしく哀愁』も、決して晴れがましい結婚披露宴の〝空気〟にふさわしい楽曲ではないのです。私が「熱愛中の恋人同士」を描いた楽曲だと思いこんでいたのは、〝熱愛〟も〝熱愛〟、不倫カップルの恋模様だったんですね。

 ♪~もっと素直に僕の 愛を信じて欲しい
一緒に住みたいよ できるものならば
誰か君にやきもち そして疑うなんて
君だけに本当の こころ見せてきた
会えない時間が 愛育てるのさ
目をつぶれば 君がいる

ふうむ、なるほど、あらためて歌詞を記しつつ、じっくり眺めれば、悔しいけれど、そういうことになりましょうか。

この時、予定通りの演出入りで、前出のオッサンよろしく意気揚々と唄い終えて、席に戻ってきた途端、右から私のカミさん、左から友人のカミさん、怖い顔つきのオナゴ2人に、ほぼ同時、それぞれの手の甲を思いっきり抓(つね)られました。

加えて、左右の耳元で、「知らないからね、私。披露宴でこれを唄うとは思わなかった。バッカじゃないの」、「カッチャン、本当に物書きなの? 歌詞の意味を考えりゃ、すぐわかるじゃん」

ハイハイ、すみませんねぇ。わかりませんでしたよ。『よろしく哀愁』は不倫ソングの〝定番〝であるというのが、世間の常識だったことを。

安井かずみとか阿木燿子というような、感覚派といいましょうか、女性特有の嗅覚といいましょうか、鋭く研ぎ澄まされたセンスで、歌詞を紡ぎだすタイプの作詞家の場合、阿久悠のように、あくまで理屈で歌詞を綴るタイプとは異なり、歌詞内容が一発でスーッと理解できかねる作品が多くて……。

醜い言い訳ですね。この辺でやめときましょう。

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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