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ちあきなおみ

昭和歌謡_其の二十三

NHK『紅白』史上、最悪の放送事故

『夜へ急ぐ人』

平成最後の年の瀬に想ふ

早いもので、今年も(この原稿を書いている時点で)残すところ、あと10日を切りました。

自然現象でもいろいろ、政治経済でもいろいろ、教育問題でもいろいろ、加えてプライベートでも、いろいろあり過ぎ、言いたいこともあり過ぎ、……な2018年ではありましたが、こと平成時代の最後の年だという事実に関して、私の心の襞は、まったくもってピクリとも反応しませんでした。

昭和時代の最後の年、昭和64年当時、私は26歳。現在は56歳。平成は30年で終焉を迎えるわけですから、当然、私も、あれから30歳分、年取ったということになりますが、自分が生まれ育った昭和が消え、新たに平成の世の中が始まると知った時の、あの、なんとも言えぬ物寂しさが、今回は綺麗サッパリございません。

これ、私だけの鈍い感覚なのか? と気になり、周囲の、私と同年代に数人、年上の数人にも「どうよ?」「どうです?」と訊いてみたところ、全員が全員、「俺(私)も、あんたと同じ。今回の年号の変更には、べつに何にも感じない」と異口同音に応えてくれたのです。

では若い連中はどうか? と、私がいま、小論文を指導している、現役高校生数人に訊いてみたところ、彼らも一様に「べつに何にも」だそうで、そのうちの1人などは、「俺は西暦で生きてるから、年号が何に変わろうとも、べつに興味なし」と冷たく言い放ちました。

私は先ほど、あえて「平成の最後の年」と記しましたけれど、すでに皆さんもご承知のように、来年……つまり平成31年も、実際にはGWまで「続く」わけです。ということは、昭和64年がそうだったように、きっと平成31年の、正真正銘の〝ラストデー〟前後に出産を予定されている妊婦さんは、気が気じゃあないでしょう。

わが子の母子手帳に記される年号が、平成なのか? それとも日本人全員が、おそらく言葉として初めて認知させられる、新年号なのか?

還暦まであと4つ数えるだけとなった私が、あえて、このような場で明言するのも気恥ずかしいですけれど、私は、常に「昭和の男」だという強い意識を持って、平成の30年間を泳いできました。

そのココロは、物心ついたあたりから、私の自意識に刺激を与え、心の襞を豊かにしてくれた、さまざまな文化は、すべて〝昭和産〟だからです。小説に映画にTVドラマ、落語に歌謡曲ほか、私が憧れをいだき、自分も〝そう〟なりたい!! と願い、少しでも〝そう〟なれるよう、私なりの悪足掻(あが)きを続けてきた、その対象すべてが、64年も続いた昭和時代に沸き起こったムーブメントなのです。

平成時代に生まれた文化のほとんどは、私の心の襞を少しもヒクつかせてくれませんでした。

他ならぬ昭和が産んだ人気バンド、サザンオールスターズのヒット曲『匂艶(にじいろ) THE NIGHT CLUB 』(1982年5月21日発売/作詞&作曲:桑田佳祐)の歌詞の、♪~ナイトクラブで男も濡れる~♪ の調子をもじるならば、平成文化は、私を少しも濡らしてはくれない。下品ついでに、先走りの汁ほども、感じさせてはくれませんでした。

この話を聞いた、今年25歳になる、平成キッズであり、ゆとり世代のド真ん中であり、でもオツムの回転だけはやたら素速い、糞生意気な新進女流ライターは、いかにも蔑んだ眼差しで私を眺めつつ、

「それって自分がジジイになり、時代に追いついて行くだけの、感性のアンテナが鈍くなった、ということを周囲に宣言しているようなもんですから、止めた方がいいですよ」

それを聞き、私が黙ってしまったのを良いことに、「勝沼さんを論破した」とばかりにほくそ笑んていましたが、コイツは何もわかっておりません(笑)。

こと文芸や芸能の文化全般、コレが正しい、いやアッチが正しい、なんて取り決めなどナンセンスで、自分が惚れてしまえば、その対象が、傍からみて面白くもなんともなかろうが、当人にすれば、はなはだ大きなお世話というものです。

自分の感性が、自意識が、わずかでもヒクつく刺激に出会うことが肝要で、それ以上でも以下でもありません。まして、その対象が真の芸術かどうか? など、議論すること自体が野暮の骨頂です。

その理屈でもって、〝平成産〟の文化を、私なりに眺め回してみた結果、100パーセントすべて、とは言いませんけれど、大概のブツが、ただただ小賢しく、薄っぺらく、色気もなくチープで、結果的にちっともピクリとしない。濡れない。……というわけです。

懐古趣味というのとも、違います。これでも〝平成産〟のサブカルチャー系のブツに関しては、仕事と割り切って、なるべく小まめにチェックだけはしています。特にTVドラマは、初回の放送だけ、ほぼすべての番組を視聴します。もっとも、この癖は、学生時代から変わりませんけれど。

その上で、〝昭和産〟の文化は、それだけ人の心を強く激しく打ったのだ、と言い切っているだけです。あえて、残念ながらと前置きしておきますが、〝平成産〟の文化で、〝昭和産〟を凌駕するブツとは、(一部の際立ったクリエイション、例えば宮藤官九郎の作品ほか、を除いて)なかなか出会えない、……と。

だからというわけでもありませんが、来る新年号の時代に生まれる文化には、皮肉抜きに、おおいに期待したりもしているのです。隔世遺伝と言うじゃないですか。

振り子というのは、いくら大きく振れても、かならず元の位置に戻って来ます。その意味で、さまざまな事象が「進み過ぎてしまった」反動により、〝○○(←新年号)産〟の文化のいたるところに、異化効果的な面白い結果をもたらすのでは? と、私はかなり本気でそう信じてもいます。

さて、いきなり話題は昭和歌謡に移りますけれど、いくら時代が変わろうとも、当分の間、それこそ文化として、おそらく変わらないだろうというのが、大晦日の夜の、NHK「紅白歌合戦」という番組でしょうね。

ちあきなおみ『紅白』放送事故

私はかれこれ10年以上、オンタイムでまともに鑑賞したことがありませんが、時代は1977年の大晦日、紅組の歌手として参加した、ちあきなおみが、もちろん生放送の最中、ある意味、放送事故とも考えられる〝事件〟を起こしたことを、ご存知の方、いらっしゃいますか?

昭和歌謡の長い歴史の中で、ちあきなおみというビッグスターの存在は、美空ひばりとは異なる次元で、今後も歌謡曲ファンの間で、語り継がれていくことになりましょう。

彼女がいかに凄い歌手か? あるいは何故、人気絶頂で表舞台から姿を消したか? それを記しだすと、とても簡単には済みません。……ので、まことに勝手ながら、〝そちら〟の話題は、またの機会に回させていただいて、

1977年前後、彼女は新曲の吹き込みに際して、従来の、いわゆる流行歌の作詞家、作曲家ではなく、当時、流行りだしたニューミュージック系のアーチストや、フォーク歌手などに楽曲を提供してもらっていたんですね。

この動きは、彼女みずからなのか、所属事務所およびレコード会社のスタッフからなのか、詳しくは私もわかりませんが、中島みゆきには『ルージュ』(1977年4月10日発売)、河島英五には『あまぐも』(1978年2月1日発売)という楽曲を書いてもらっています。

そして、上記の2曲に挟まれるようにして、問題の楽曲『夜へ急ぐ人』を、友川かずき(現在は友川カズキ)に書いてもらいました。シングルレコードの発売は、1977年9月1日です。

団塊世代の、ある傾向の皆さんには、フォーク歌手としての友川かずきの存在は大きかったはずです。岡林信康に影響を受けて、音楽の道を志しますが、無名時代も、有名になってからも、飯場の土方仕事が〝本業〟だという意識が猛烈に強い、……そういう人です。

フォーク界のスター歌手としてマスコミに持ち上げられようが、ギャラをいくらふんだんにもらおうが、彼は常に社会的弱者と称される皆さんの味方で、そういう人たちと共に生き、共に唄い、共に酒を喰らうことが、人生の最上の喜びだと笑う、……そういう人です。

一方のちあきは、当時、売れっ子も売れっ子、歌謡界のビッグスターですよね。まるで水と油のはずの2人でしょうが、おそらくは、ちあきの中の、流行歌手にしておくには、あまりにもったいない、ある種のアート性にも似た内なるクリエイション、情動、エナジーのようなものが、意識、無意識を問わず、友川のような〝血〟を求めてしまったのでしょう。

事実がどうであるか、私には判りかねますが、結果として、ちあきは友川の書いた楽曲を喜んで受け入れました。

いったん受け入れた以上、ちあきは歌詞の内容の意味、メロディの〝色〟を、最大限に自分の体に染み込ませます。友川がこの楽曲に込めたマインドのすべてを理解しようと、全神経を集中させ、いざ視聴者の前で歌唱する際には、この楽曲の主人公の化身のごとく、全身全霊で唄い切ることになります。

『夜へ急ぐ人』

歌詞は、以下の通りです。

 ♪~夜へ急ぐ人が居りゃ その肩 止める人も居る
黙って過ぎる人が居りゃ 笑って見てる人も居る
かんかん照りの昼は怖い 正体あらわす夜も怖い
燃える恋ほど 脆(もろ)い恋

  あたしの心の深い闇の中から おいで おいで
おいでをする人 あんた誰~♪

字面をざっと読み進めるだけでも、まったくもって、流行歌というシロモノじゃあないことが、お判りでしょう。だいいち、さらりと、この歌詞を読んだくらいでは、意味をよく把握できません。何故、かんかん照りなのか? 正体って何? 「おいで、おいで」をする人は、あたしの恋人でなけりゃ、それこそ本当に「あんた誰?」なのでしょう。

それでもね、アルバムに収録された1曲というなら、まだ理解の範疇ではあります。れっきとした、彼女の26枚目のシングル曲ですからね。

さらにたまげるのが、コレを引っさげて、ちあきなおみは大晦日の「紅白」に出場したのです。尋常な神経の歌手なら、しごく当たり前に、他の曲を選ぶでしょうね。でも彼女は、それをしなかった。

むしろ大晦日の夜、家族団らんで「紅白」に興じる、その平和そのものというべき、日本人家族の垂れ流す〝空気〟を、メチャメチャに掻き乱したい!! 冷水をぶっかけたい!! とばかりに、あえて『夜を急ぎ人』を熱唱した……、んじゃないか? と、まぁ、私が勝手にそう妄想してしまうほど、1977年大晦日当日の、NHKホールの生放送の映像は、いま観ても、あまりといえば、あまりに凄まじいインパクトに貫かれています。

この年の「紅白」は、紅組のピンクレディが『ウォンテッド』で、白組の狩人が『あずさ二号』で、それぞれ初出場を果たしました。そうです、ちょうど時代は〝あの頃〟です。皆さんの記憶を、すーっと巻き戻してみて下さい。1977年の「紅白」……、紅組の歌手・ちあきなおみ……、唄うは『夜へ急ぐ人』……。ほら、「あ~ッ!?」と思い出された方も、結構な数いらっしゃるのではないですかね。

番組のスタッフが彼女に用意したセットというのが、これまた楽曲のテイストにドンピシャリでした。60年代初頭に土方巽や大野一雄などが率いた暗黒舞踏、のちに麿赤兒の大駱駝艦、山海塾へと続く……あの独特なモノトーンの舞台空間を擬したセットの奥から、ちあきなおみが『夜へ急ぐ人』を歌唱しながら、登場します。

1小節、1小節、唄うごとに、徐々に内に秘めた情動の高まりを、会場じゅうの観客、さらにTVカメラの向こうの視聴者にぶちまけるがごとく、キッと正面を見据え、ざんばらと長い髪を振り乱しながら、

 ♪~おいで、おいで ……おいで~♪

前屈みになった彼女が、狂気に満ち満ちた風貌と、あの独特な迫力ある声で、不気味に手招きする姿が、お茶の間のTVのブラウン管に、それも超ドアップで映し出された現実を、思い浮かべてみて下さい。

大晦日の夜ですよ~。老若男女が、……特に幼い子も、この日だけは、眠い目を擦りつつ、年越しの「おめでとう」を言いたくて、起きてるわけです。

全国の幼子たちは、あまりの恐ろしさにギャーギャー泣きわめき、困り果てた親御さんは、NHKに苦情の電話をかけまくった、と。

たまげたのは、舞台の上手下手の袖に引っ込んで、番組の進行を見守っていた、歌手仲間たちも、舞台下に居並ぶ、市川染五郎(現在の二代目松本白鳳)ほかの審査員たちも同様でした。

それまで、紅組白組それぞれの応援合戦が華やか、というより、やかましいほどだったのに、ちあきが唄い終わった途端、会場も舞台上もみごとに静まり返ってしまいました。

番組のメイン司会を務めた山川アナは、さすがに黙っているわけにもいかず、その場のアドリブで言い放った台詞が、のちのち、今でもマニアの間で語り草になっている、こちらです。

「それにしても、なんとも気持ちの悪い歌でしたね」

あろうことかNHKの人気アナが、ビッグスター歌手の持ち歌を、「気持ち悪い!!」と批判しまったという……。NHKの「紅白」史上、おそらくは最大級の放送事故となってしまった所以です。

この7年後の「紅白」にて、メイン司会の生方アナという、NHKのベテランが、紅組のトリを務めた都はるみのことを、うっかり「ミソラ(美空)……」と口走ってしまった、例の事件。この一件で生方は、大阪放送局に〝飛ばされ〟、ほどなく退職〝させられた〟ことになっています。

だとすれば、天下の〝お嬢〟こと美空ひばりほどではないにせよ、超売れっ子歌手である、ちあきなおみの歌唱を、理由はともかく批判したのですから、放送事故扱いとしての罪は、相当に重いはず……なんですがね。

山川アナが〝飛ばされた〟という話は、どこを探しても見つかりませんでした。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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