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大塚博堂 其の二

昭和歌謡_其の八十三

「発掘!! 大塚博堂って知ってます?」(後編)

『めぐり逢い紡いで』
by 大塚博堂

by &布施明

by 市川由紀乃

布施明の〝持ち歌〟

前回、大塚博堂の、知る人ぞ知る名曲、『ダスティン・ホフマンになれなかっ たよ』を取り上げながら、稿の結びに、

【私も、この(楽曲の)主人公も、映画『ジョンとメリー』のダスティン・ホフマンに「なろう!!」と思うこと自体、愚かしいのですがね。では、この楽曲を作 曲&歌唱した大塚博堂自身は、どうだったか?】……と、書きました。

さらに前々回の稿の結びに、

【大塚は、プロ受けする楽曲ばかり創り続け、ほぼ一般の皆さんに知られること なく、37歳で早逝します。】……とも、書きました。

つまり彼は、プロの歌手&作曲家として、私が当コラムの話題に採り上げたくなるほど、魅力的な楽曲をクリエイトしながら、まぁ、早い話が、ほとんど世間に認知されずに彼岸へ旅立ったわけです。

ただ1曲だけ、結構ヒットし、現在も多くの歌手に歌い継がれ、カラオケファンに愛され続けている楽曲がありましてね。

布施明の〝持ち歌〟としても定評のある、『めぐり逢い紡いで』です。

♪~胸のボタンひとつはずして
あなた好みに変わってゆく
ただひたむきに愛されたい
惜しみなく 奪ってほしい

はじめてつけたマニキュアが
もろい かける 割れる はがれる
めぐり逢い紡いで 愛の色に織りあげた
あなたへの燃える火を
断ちきれない 消せはしない

束ね髪をふわり広げて
かわいい女つくろって
ただひたすらにつなぎとめる
行かないで こっちを向いて

はじめてつけたマニキュアが
もろい かける 割れる はがれる
めぐり逢い紡いで 愛の色に織りあげた
あなたへの燃える火を
断ちきれない 消せはしない~♪

この楽曲の話に入る前に、大塚の足跡を、ちょこっと(でもないかな?)書い ておきます。なにしろ、世間的には〝ほぼ〟誰もご存じない!!はずの大塚博堂 ですからね。

大塚たけし から 大塚博堂へ

彼は昭和19年に大分県で生まれてますから、存命ならば77歳でしょう。プロの〝歌い手〟を目指して、東洋音楽大学(現・東京音楽大学)の声楽科に入学しま すが、何故か中退して故郷へ戻り、別府や博多の著名クラブでジャズシンガーとして活躍した、……そうです。

その後、28歳の時に、渡辺プロダクション(以下ナベプロ)にスカウトされ、 大塚たけしの芸名でデビュー。4年間に2枚のシングルレコードを出し、そのうち1枚は、フジテレビのドラマの主題歌に選ばれたり、……も、しましたけれど、 「憧れのプロシンガー!!」の夢が叶ったにしては、厳しく哀しく情けない〝現実〟でした。

「カネはないけど、ヒマなら捨てるほどある!!」毎日の中で、たまたま書店で、詩人であり、ポップス歌謡の作詞家としても有名な、藤公之介の詩集を見つけてメチャメチャ惹かれたんですと。

詩集の中で特に気に入った作品に、勝手に曲を付けて、都内のライブハウスで歌唱するうち、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』が評判を呼び、レ コーデイングの話が持ち上がったんですね。それも、思い切って芸名を換えての 【再デビュー】という流れになりました。すでに32歳になってしまった、大塚博堂の誕生ってことになります。

それでも、やっぱり──、2年ばかり〝ほぼ〟売れません。歌詞も曲もグーだと しても、それ〝だけ〟では「ヒットに結びつかない!!」ところが、歌手も役者も 芸能ビジネスの厄介なところです。

大塚は、シンガーソングライターを名乗っていますが、曲は書けても歌詞は (基本的に)書けません。このタイプの歌手って、じつは意外なほど多いです。 一番わかりやすい例を挙げると、矢沢永吉ですかね。彼も、キャロル時代には、 メロディと同時に歌詞も、〝それなりの数〟書いていますけれど、ソロ歌手に転 向以降は、ほぼ全曲、歌詞はプロの作詞家に一任しています。

理由はさまざまありましょうが、まぁ、……メロディ創作のクオリティの〝高 さ〟に、自作の歌詞は及ばない!! と、自分で悟ったか? レコード会社のス タッフに説得させられたか? 私も良くわかりませんが、現実的に大塚博堂の楽 曲の歌詞は、どれも〝他人〟からの提供です。

そんな彼が、「るい」という、ヘンテコな名前の作詞家が書いた作品に、メロ ディを付けて歌唱し、シングルレコードを発売(昭和53年7月5日)したとこ ろ、一般の歌謡ファンにまでは、〝まだ〟認知されずにいた、……ものの、音楽業 界内の評判は〝かなり〟高まりました。

お待たせしましたが、ようやく、今回の本題にたどり着きました。『めぐり逢い紡いで』の話をしましょう。

大塚は、先に記した通り、天下のナベプロに所属歌手です。現在でも同様ですが、昭和40年代のナベプロの勢力は、もう、もう、尋常じゃないほど凄かったで すね。子供時代の私の感覚でも、民放TV局の音楽番組はもちろん、バラエティ番組も、大袈裟に言えば、ナベプロの所属タレントだけで制作されていたよう な、……そんな印象が強いです。

ナベプロの所属歌手には、当時、すでに売れっ子の1人、いや2人、布施明と 森進一がいました。社内で、この楽曲の魅力が話題になり、無名の大塚以外の「売れてる歌手にも歌わせたい!!」と、競作レコーディングの募集をかけたとこ ろ、この2人が候補に挙がったそうです。

森進一は、すでにディナーショーなどで『めぐり逢い紡いで』を歌唱していた経緯で、「どうしても!!」と頑張ったみたいですね。でも社内〝力学〟とやらで、布施明1人が、シングルレコードの発売に至ります。

じつは、……私が先ほど失敬にも〝ヘンテコ〟と決めつけた作詞家の「るい」 は、本名を小坂洋二と言いまして、大塚博堂のマネージャーを長年務め、その前は、布施明のマネージャーだった人物です。大塚の楽曲の多くの作詞も、手掛け ています。

どうやら小坂は、最初から布施の声質に「ピッタリだ!!」との判断から、コレ を唄わせたかったらしいです。社内で募集を掛けたのは、あくまで〝形〟だけと いうことで。森進一は、その事実を知らされていなかった、と。……まぁ、よくあ る大人の事情でしょうか?

結果的に、小坂の〝読み〟は怖いほど的中し、布施バージョンの『めぐり逢い紡いで』は売れました。

……というよりも、大半のカラオケファンにとって、この楽曲は、イコール布施の歌唱という認識しか、無いんじゃないでしょうかね。大塚【も】レコードを出している。いや、本来『めぐり逢い紡いで』は、大塚がこの世に産み落とした楽曲なのだ、という〝事実〟をご存知な方、いらっしゃいます?

いや、それより何より、「ぶっちゃけ、大塚って誰?」が本音でしょ。

一方、作詞家「るい」こと、小坂洋二の方は、1978年、当時のCBSソニー が、別会社のエピック・ソニーを立ち上げる際の、レーベル・プロデューサーと して招聘され、最初に手掛けたのが佐野元春ですからね。会社員をしていた佐野 の才能を、誰よりも早く見抜き、超一流のビッグ・スターにまで育て上げました。

さらに大江千里、TM NETWORK、渡辺美里、岡村靖幸、念押しのトドメがPUFFY ですよ~!! プロデューサーとして〝売った〟業績があまりに凄すぎちゃって、 大塚と比べるのも野暮なほどです。

ふうむ……、それこそ野暮な疑問。これほどの御仁が、何故、大塚を、上記ビッグスターの面々ほどじゃなくて全然構わない。せめて、もう少しぐらい〝売れっ 子〟の歌手に、してあげられなかったのか?

大塚は、おそらく、いや、きっと、ダスティン・ホフマンになんか「なれなくて」良かったはずですけれど、プロ歌手になったからには、1人や2人、「こん なスターになりたい!!」と強く願う、芸能人としての目指すべき理想があっ た、……に違いありません。

仮に、それが布施明だったとしたら? こんな残酷な話はありませんよね。

布施は大塚の3つ歳下。でも芸能界のキャリアでいうと、10年以上、布施が先輩で、かつ大塚が再デビューした段階で、布施はすでに大スター。同じナベプロ の中でも、周囲の〝扱い〟の差異は、天と地ほどもあったでしょう。

布施明が歌唱したことで、自分のオリジナル楽曲の『めぐり逢い紡いで』は ヒットした。作曲印税だって、そりゃ入ってきます。つまり懐は潤います。

けれど世間は……、よほどの歌謡マニアでもない限り、この楽曲の、一度聴けば否が応でも耳に絡みつく、あまりに印象深い、情緒過多なメロディを紡ぎ出したのが、大塚博堂という〝無名〟なシンガーソングライターである事実などに、頓着したり、しませんよね。

大塚は、『めぐり逢い紡いで』以降、〝無名〟から、少しは「知る人ぞ知る」 歌手に成長しましたが、昭和56年5月14日早朝、自宅マンションにて、脳内出血の発作を起こして意識不明になり、4日後、あっけなく彼岸へ旅立ちました。享 年37歳!!

マネージャだった小坂洋二の方は、令和3年現在、まさに泣く子も黙る、 〝超〟が幾つも付く大物のプロデューサー!! 音楽業界のトップの座です。

今回は、いささかナマグサイ話になりました。書いていて、決して愉快な心持ちになれません。そんなタイミングに、……真鍋敏郎という、御年90歳!! の気象物理学の研究者が、ノーベル物理学賞を受賞した、というニュースが飛び込んで 来ました。

この朗報で、私が一番嬉しかったのは、真鍋先生にとって、おそらくは「生き ること=研究すること」であり、仕事の定年もヘッタクレも一切関係ない日常生活であると、表情や語り口からリアルに窺い知れたことです。

また、その姿があまりに自然であり、言動も快活なため、報道陣の誰一人も、 90歳という年齢に言及しない(出来ない)!! という空気感が、何ともアッパレ、かつ感動的でもありました。

ガキの時分、他の同級生に比べてダントツで成績が良いと、周りの大人は脳天 気に「末は博士か大臣か」ってな言い回しで、無責任にも〝その子〟をおだてたものです。真鍋先生も、そんな1人だったか? 私は存じ上げませんけれど、分 野を問わず、何かしらの研究に「没頭したい!!」者が目指すべき、最高に輝かしいゴールは、ノーベル賞を受賞なんじゃね? などと、門外漢の私は、勝手に決めつけてしまいます。

翻って……、芸能界の〝輝かしきゴール〟を想起する時、「ダスティン・ホフマンになれ」ず、売れっ子歌手にもなれなかった大塚でしたが、唯一、彼が産み落とした名曲『めぐり逢い紡いで』は、彼の死後、ウン十年を経ても、布施明はもちろんのこと、実に多くの後輩歌手が歌い継いでいることだけは、確かです。

大塚がメロディに込めた情念は、歌唱する歌手それぞれの、胸の奥に宿り続けることでしょう。中でも絶品なのは、演歌歌手の市川由紀乃のバージョンですかね。
大塚の追悼も兼ねて、市川の歌唱映像とともに、ご存じならば、皆さんも一緒に口ずさんでみて下さい。

♪~胸のボタンひとつはずして
あなた好みに変わってゆく
ただひたむきに愛されたい
惜しみなく 奪ってほしい

はじめてつけたマニキュアが
もろい かける 割れる はがれる
めぐり逢い紡いで 愛の色に織りあげた
あなたへの燃える火を
断ちきれない 消せはしない

束ね髪をふわり広げて
かわいい女つくろって
ただひたすらにつなぎとめる
行かないで こっちを向いて

はじめてつけたマニキュアが
もろい かける 割れる はがれる
めぐり逢い紡いで 愛の色に織りあげた
あなたへの燃える火を
断ちきれない 消せはしない~♪

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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