演歌なんて、だいっ嫌いッ‼︎
昭和歌謡_其の十八
貧乏と貧乏臭いのはざま
演歌とド演歌
いきなりナニゴトだ? とお叱りを受けてしまいそうですが、
今回のタイトルにさせていただいた、この激しい演歌への嫌悪感、……覚えてらっしゃる方も大勢いらっしゃるでしょう。昭和歌謡の大スター、ブルースの女王として輝き、晩年はTVのバラエティ番組などで、何かにつけて毒舌を吐きまくりました、淡谷のり子大先生の名言(迷言)ですね。
〝だいっ嫌い〟な理由は、「だって貧乏たらしいでしょ? どの歌もみんな田舎クサイし、ちっともお洒落じゃない」からだそうですが、それを訴える淡谷先生は、田舎者丸出しのズーズー弁なのが、ご愛嬌といいますかね。
じつは私、昭和歌謡全般、ムード歌謡もフォークソングもロック歌謡もアイドルソングも軍歌も、なんなら文部省唱歌や民謡もひっくるめて、基本的には何でもござれ、大丈夫なのですが、
たった1つだけ「猛烈に駄目」なのがありまして、それが、演歌の中の〝ド演歌〟という楽曲群。淡谷先生同様、もう「だいっ嫌いッ!!」もいいところです。
私が月に1回、赤坂の会員制酒場にて主宰しております、『昭和歌謡を愛する会』のご常連の皆さんから、「この会は、もうかれこれ80回も続いているのにさ、演歌は、あんまり聴かせてもらえねぇんだな」てな文句が、たまに出ることがあります。
その時の答えは、いつも決まっていまして、
「そうそう、俺、〝ド演歌〟がだいっ嫌いでね」と言い切ったあとで、
「でも、演歌すべてが嫌いじゃないですよ。北島のサブちゃんのことは、尊敬するほどだし、彼の大ヒット曲の中で、全部じゃないけれど、カラオケで唄いたい楽曲がいくつもあるし。それから都はるみや大月みやこ、長山洋子、五木ひろしや森進一の楽曲も、好きなのは多いのよ」
すると、これもお約束のように、反論が飛んできます。「都はるみや大月みやこなんて、それこそ〝ド演歌〟そのものじゃないか?」
私の抗弁も決まっています。「それはまったく認識が違う!!俺の中じゃ、その2人の楽曲は、〝ド演歌〟じゃない」
私があまりの勢いで「違う!!」と主張するので、皆さんも苦笑まじりに「まぁ、勝手にすれば」という〝空気〟がひろがるのですが……。
熱狂的な演歌ファンには、大変申し訳ないのですが、はなはだ身勝手ながら、私は歌謡曲として〝ド演歌〟を認めておりません。理由は、歌詞もメロディも、どこをどう贔屓目に捉えようとしても、ちっともお洒落でもドラマチックでもないからです。
淡谷のり子は、演歌全般を「貧乏ったらしくて嫌!!」と罵りましたが、私は貧乏なら貧乏で、徹底してドラマチックに描いてくれるなら、それはそれで【あり】です。決して嫌いになることはありません。
昭和歌謡の全盛期、さくらと一郎が熱唱して、150万枚を超えるミリオンヒットを飛ばした、『昭和枯れすゝき』(1974年7月21日発売/作詞:山田孝雄/作曲:むつひろし)という、じつにミモフタモナイばかりの「生活苦」ソングがありました。
♪~貧しさに負けた いいえ世間に負けた
この街も追われた いっそきれいに死のうか
力の限り生きたから 未練などないわ
花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき~♪
これは「貧乏ったらしい」のではなく、正真正銘、貧乏の極地でしょうから、これはこれで、私の中ではじゅうぶんすぎるくらいにドラマチックであり、私の好きな部類に入る演歌です。
私にとっての歌謡曲は、どこかしらがお洒落、またはドラマチックであることが、必須条件です。それでないと面白くありません。メロディの一部でも歌詞でもタイトルでも、前奏のアレンジでも、何でもいいのです、お洒落、またはドラマチックであれば。
私が〝ド演歌〟の代表のように忌み嫌う楽曲は、演歌歌手の三船和子の看板ソング、『だんな様』(1983年8月1日発売/作詞:鳥井実/作曲:岡千秋)でしょうか。
♪~つらい時ほど 心の中で 苦労みせずに かくしていたい
私の大事なだんな様 あなたはいつでも 陽の当(あた)る
表通りを あるいて欲しい~♪
この歌詞を流し読みして、「うわぁ、お洒落だわぁ」とか「なんてドラマティックなのかしら!!」なんて思われる方がいらっしゃるなら、お目にかかりたい。
こんな辛気臭い歌詞を、わざわざ歌謡曲に仕立ててまで、世に送り出そうとするなんて、私には正気の沙汰とはとうてい思えません。
都はるみとのデュエット曲、『浪花恋しぐれ』(1983年5月21日発売/作詞:たかたかし)で大ヒットを飛ばした、岡千秋が紡ぎだしたメロディがまた、前奏からして、少しも私の心を湧き立ててくれません。
もう1つ、「だいっ嫌いッ!!』な〝ド演歌〟は、喜劇役者の芦屋雁之助が唄って、なんと100万枚以上のレコードが売れたという、『娘よ』(1984年2月1日発売/作曲:松浦孝之)です。作詞家の名前をチェックしてみて、思わず噴き出してしまいました。『だんな様』と同じだったのです。
♪~嫁に行く日が 来なけりゃいいと おとこ親なら誰でも思う
早いもんだね二十歳を過ぎて 今日はお前の花嫁姿
贈る言葉はないけれど 風邪をひかずに達者で暮らせ~♪
ううむ、コメントする気にもなりません。手塩にかけて育てた娘が、どこの馬の骨かわからぬ野郎に、奪われてしまう男親の気持ちが、わからないわけではないですよ。この歌詞と似たような台詞を、直接、娘さんに語ってやることを、否定する気持ちもありません。
でも流行歌というのは、老若男女、おおよそ、どんな境遇の人間が聴いても、〝それなりに〟何か感じさせてくれるものがなければ、「レコード(CD)にしてはいけない」と私は考えます。「だんな様への想い」および「娘さんへの想い」、そんなものは、個人的にそれぞれのお宅で、しみじみ吐露なさっていただきたい。
これは実話ですが、その昔、私が馴染みにしていた、某場末のカラオケスナックに、ある時、初老の夫婦客がやってきましてね。いざマイクを握ったら、奥さんが『だんな様』、亭主が『娘よ』、続けて、それも情感たっぷり朗々と唄いやがったんですね。私は気分を害して、すぐに店を去りました。
前回のコラムに、「歌は3分間のドラマである」と書きました。たかが3分、されど3分……、ドラマである以上、その作品に描かれる人間模様を、より〝劇的〟に〝スリリング〟に扱っていただきたいのです。
北島サブちゃんの『風雪ながれ旅』(1980年9月15日発売/作詞:星野哲郎/作曲:船村徹)を例に取りましょうか。
大ヒット曲なのはもちろんですが、NHKの紅白歌合戦の、白組の大トリでサブちゃんが熱唱した際、演出で用意された紙吹雪が、でっかい2つの鼻の穴にヒュンと吸い込まれてしまい、その映像が、全国のお茶の間のTV画面に大映しされたことがありましたね。
この楽曲は、前奏の、最初の1発目の音からしてドラマチックです。太棹の津軽三味線の、力強い音色が ♪~ベンベンベンベン~♪ と入り、それに引っ張られるように、金管楽器、木管楽器、ストリングス(弦楽器)ほか、すべての演奏パートが一斉に、名匠・船村徹が描いたメロディを解き放ちます。
♪~破れ単衣(ひとえ)に 三味線抱けば
よされよされと 雪が降る
泣きの十六 短い指に 息を吹きかけ 越えてきた
アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊~♪
同じく名匠・星野哲郎が描きだす、高橋竹山をモデルとする、盲目の門付け芸(※家々の軒先で三味線を弾き、米やお金をもらって歩く)、津軽三味線弾きの世界へ導いてくれます。なんとダイナミックな演出でしょう。
大月みやこは、デビュー以来、膨大な数の楽曲を吹き込んでいますが、大ヒットの数々は、決まってドラマチックです。ここでは『女の港』(1983月8月21日発売)を取り上げます。
無意識にチョイスしたつもりが、偶然か必然か、この楽曲も、作詞:星野哲郎&作曲:船村徹の名コンビの作品でした。
前奏でいきなり ♪~ダダダダ ダダダダ ダダダダ ダ~ン♪ と、重厚なストリングスの演奏に、出港の銅鑼の音のごとく、ティンパニーを小刻みに叩く音がかぶさって……。まさにこれから、赤裸々に心情吐露される「3分間のドラマ」の主人公(女)の胸中を、予感させるがごとく、情緒たっぷりなオープニングです。
遠洋漁業の漁師だか船乗りだか、要するに「海の男」に惚れてしまった女が、函館で一夜を共にしながらも、はぐれてしまった男を追いかけて、全国の有名な港町を訪ね歩くという……その、じつに大胆な行動を、演歌の作詞家の大御所・星野が、時系列で描こうと企んだ作品です。
♪~口紅(くちべに)が濃すぎたかしら 着物にすれば良かったかしら
二ヶ月(ふたつき)前に函館で はぐれた人を長崎へ
追えば一夜(ひとよ)が 死ぬほど長い
私は港の 通い妻~♪
海猫の声ききながら 港の宿であなたを待てば
尋ねる船は青森にゃ 寄らずに佐渡へ行くという
つらい知らせは 慣れっこだから
夜汽車でマフラー 編むのです~♪
この歌詞をベテラン歌手の大月が熱唱すると、愚かしくも切ない女心が、より一層ひしひしとリスナーの胸中に迫ります。これぞ「ドラマチック歌謡」の決定版と言えましょう。
先に記した〝ド演歌〟の歌詞と、比べるのも嫌になるほど、「3分間のドラマ」のクオリティが高いことが、お分かりいただけると思います。
昔から「歌は世につれ、世は歌につれ」などと申しますけれど、流行歌などというものは、ミモフタモナイ言い方をすれば、しょせん売れてナンボの商品です。
いくら作詞家と作曲家と歌手が三位一体、いや編曲家を入れて四位一体、バックの演奏も加えれば五位一体で、丹精込めて創り上げたところで、お茶の間の老若男女の耳に届かなければ、商品の意味がありません。
たかが歌謡曲、――でも、「されど歌謡曲」であることも間違いないわけでして、
歌謡曲フリークの私としましては、自分勝手な感覚で申し訳ない気持ちはありながら、今後ますます、ムード歌謡、ブルース歌謡、ロック歌謡、フォークソング、ポップス、アイドルソング、アニメソングなど、さまざまなジャンルの楽曲の中から、より「お洒落、またはドラマチック」な楽曲をチョイスし、平成キッズたちへ精力的に継承していきたいと考えます。
ただし〝ド演歌〟は除いて。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。