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お口の医者 林晋哉 その三

昭和歌謡_特別編③

昭和歌謡コラムの特別編・その3

『遠き昭和の……』 by 小林旭

「戦後昭和のど真ん中 セピア色とは言わせない」

令和の「ウイズコロナ』時代は、ただ真っ当に生きるのみ!!

えーと、……ですね^^;。こちらのコラムは、まぁ〝仮にも〟と申しましょうか、〝なんちゃって〟でも構いませんが、昭和時代に大ヒットした数多くの歌謡曲……のうち、あくまで私が勝手に愛好する楽曲【のみ】を、

これまた私が勝手に歌詞の分析を試みたり、妄想を膨らませたり、メロディに感応したり……した結果を、恥も外聞も捨て去り、ただただ正直に、時にべらんめぇ調に乱暴に、時に妙に女々しく、時に過剰に押し付けがましく(笑)、書き綴って来ました。

今回で78回になるそうで、これもひとえに、このサイトの主筆、秋山先輩(と、あえて呼ばせて頂きますが)の手腕と忍耐力の賜物だと、秋山さんの住まう南の方角に向けて、毎朝、ポンポンと2つ、柏手を打っているのですが。

間違って頂きたくないのは、私は歌謡曲【評論家】でも【研究家】でも、ありません。時折、たまさか私のコラムを流し読みして下さった方から、「アンタの、あの曲の評価は、明らかに違うぞ。勉強不足も甚だしい!!」などと、あからさまに叱られることが(ほんの、たまにですけれど)ありますけれど、

ハッキリ言って大きなお世話です。私はてめぇが好きで【その曲】を【そのよう】に斬ってみただけで、そこに、何のアカデミックな、流行りの言葉でいうエビデンスとやらが無くたって、痛くも痒くもないのです。元来、そんなタマじゃあ、ございやせん。

ただ私は、偶然か必然か、たまたま幼少時代、敗戦後の高度経済成長、真っ只中の昭和40年後半、東京の最南端の歓楽街、蒲田という場所の、それも当時の国電の駅の真ん前、昼夜、どこかしらの飲食店、商店街の有線放送ほか、……から、ふわりと飛んで来る〝流行り歌〟の数々を、親譲りで耳(音感)だけは良いものですから、一度聞くと覚えてしまい、鼻歌になり、

そのうち日々の生活の喜怒哀楽に侵入し、大袈裟にいえば、私の人生の応援歌になった!! ……ものですから、秋山先輩からこのような場を頂戴した際、当時、私の生活を、ある意味〝救って〟くれた昭和歌謡の数々への恩返しを、コラムの形で文章に遺そう、と決めただけのことです。

と同時に、ついで、ってことになりましょうか? いや、むしろ最近、【そちら】へのマインドが、より強くなって来ましたが、私が生まれ育って、ハッキリと、ほぼ100%!! 影響を受けたはずの昭和時代、……64年続いたうちの、私は昭和37年生まれですから、【64】から、実際に私が体感した、リアルな時の流れ【64-37=27】年間×365日──への、私なりのラブレターであり、時に離縁状であり、時に謀反状であり──を、思いつくまま正直に、パソコンのキーボードを叩いて来た、という自覚だけは常に持ち合わせています。

昭和の〝あの〟時代は、確かに熱かったですねぇ。良い悪いは別にして、子供もジジババも、みんな熱かった。

手酷い敗戦の体験者は、【それ】を乗り越え、死なずに生きた!! という実感から生じる熱量でしょうし、われわれガキだった世代は、巷の空気が常に前向きでしたから、誰かに何1つ遠慮することなく、ただただ単純に、ただただ無邪気に、ただただ好き勝手なことをやらかして、メチャメチャ喜んだり、猛烈に叱られたり、フィジカル的にも快い想い、痛い想い、の数々……。嘘でも冗談でもなく、昭和という時代が、確実に私の体を、精神を、創り上げてくれました。

最近、私のお袋が愛好している歌謡曲がありまして。御歳82になる、昭和のビッグスター、小林旭が、今から11年前、平成22年4月21日に発売した『遠き昭和の……』(作詞:高田ひろお/作曲:杉本眞人)という楽曲です。

♪~あの人 この人 あの顔 この顔
みんなどうして いるんだろう

酒とタバコと 遊びに暮れた
やんちゃ時代の 仲間たち

酔いどれ男 薄情おんな
俺もおまえも 泣かされた

喧嘩もしたさ 突っ張りもしたさ
遠き昭和の まぶしい時代

遠き昭和の 灯りが恋し~♪

正直、この歌詞は、まだ私ら世代が唄うには、早すぎるというか、「そこまで回顧的じゃねぇぞ!!」という抵抗感が滲みますが……。

でも、数回前から昭和歌謡のコラムを中断させてまで、採り上げております、高校時代の同級生、「口腔科」ドクターの林晋哉とのインタビュー……で交わした2人の肉声を、出版業界用語であります「文字起こし(音声を原稿に変換する)」していますと、

無性に小林旭の歌声、それも、ポ~ンと高音が、天まで届くかのごとく、一気に跳ね上がる歌声が聴きたくなりましてね。

すると、たちまち林が、取材時、下町ならぬ、場末町(亀有)育ちのべらんめぇ口調、かつ野太く大きな声で、

「おい、ハゲ、昭和っつーのは、俺たちにとって、まだまだ、決してセピア色じゃねぇよな。冗談じゃない!! まだ十分に輝いているじゃねぇか、な?」

と、まさに昭和時代の象徴とも言うべき〝煙草〟を、口に斜めにくわえ、紫煙を吐き出しながら、腹立たしいがことく私に同意を求めてくる姿が、すーっとリアルに私の網膜の裏に映し出されるのです。

〝アキラ〟世代に比べりゃ、むろん当然ながら、私ら世代は、まだヒヨッコでしょうけれど、どっこい、昭和のど真ん中に生まれ、日本がまだ、メンタル的に、現在よりは、よっぽど真っ当だったはずの【あの】時代を、俺たちは俺たちで生き抜いて来た!! 実感だけは、嫌になるほど、来年還暦を迎える禿げナス頭の私にも、自意識の中心に根強く絡みついています。

【あの】時代を知らない若い連中が、さして手前で勉強もせず、調べてもいない癖に、学校の教師だか、何かのテキストだか知りませんが、青臭せぇロジックを振り回し、「昭和の時代は、現在の法律やルールから捉えりゃ、たまげるほど頭が悪いことばかりの連続で、何1つ、学ぶことはない!!」──なんて、ほざかれると、即座にぶん殴りたくなるほど憤ります。

そうじゃない!! そんなはずないじゃねぇか!! という私なりの情動を、長年、物書きの端くれとして、さまざまな媒体に書き散らしてきたのですがね。

期せずして同じことを、林は歯科医の立場で、いや、そんな立場など遥かに超えて、若い世代のうち、解るヤツラだけには、訴えて来た……らしいのです。

40年ぶりに再会して、初めて私は知らされました。しかも本人からではなく、【育てられた】実感を強く持つ、今年の春、国家試験に合格したばかりの、歯科医のニューフェースたち数人の口から、直に私は伝えられました。

真っ当な歯医者

林の口癖に、「何事も真っ当が一番」というのが、あります。

ニューフェイスの1人も、苦笑交じりに話してくれました。

「林先生に教わったことで、一番肝に据えたのは、その言葉です。真っ当って言葉、生まれて初めて聴きまして、最初は意味も解らないので、先生にどやされました(笑)。ある時、『歯医者にとって、真っ当って何ですか?』って訊いたら……」

林は、こう答えたそうです。

「自分の歯に不安を抱えて、本当は来たくもねぇのに、仕方なくクリニックを訪ねて来る患者さん。歯医者は怖い。『でも直して欲しい!!』患者さん。そんなか細い心持ちに寄り添い、不安を100%払拭してやること。『嗚呼、先生に診てもらって良かった』と、本音で患者さんに感じてもらうこと。それ以外の真っ当さが、他にあるかい?」

「なのによ、ハゲ、よく聴けよ……」と、林はインタビューの途中で、こんなことを私に訴えます。

「巷を歩く大概の人たちが、歯医者について訊かれると、何て答えるか? 真っ先に『歯医者さんは怖い』だ。治療をしてもらいたくて歯医者に行ったのに、『いきなり叱られる』、『怒鳴られる』。あろうことか『汚い歯だね』と罵られる。『ここまで悪くしときゃ、痛くなるに決まってる!! 自分が悪いんだから、治療が痛くても我慢するように!!』……こんな横暴なことほざく歯医者が、実際、いるんだぞ。信じられるかよ?」

「歯が痛くなるまで放っておいたのは、コイツらみてぇな歯医者が、町のあちこちでクリニックの看板、掲げてるもんだから、歯医者に対する不安や恐怖、嫌悪感で、患者の気持ちが一杯だからじゃねぇか。その恐怖を取り除いてやるのが、プロの医療従事者の、せめてもの義務だろ。それがよ、治療の痛みを『我慢するように』だと? そんなことヌカす歯医者は、免許を剥奪しまえばいいんだよ」

「胃が痛くて、生まれて初めて内科に行って、『この痛みはアンタの責任だから、我慢しろ』なんて医者に罵られたら、どうだ? 事件だろ? なのに昔も今も、歯医者にだけは、こんなふざけた話がゴロゴロ転がってやがる。少しも真っ当じゃない。似非野郎ばかりなんだよ、歯科業界は!!」

お天道様は見ているぞ

今回、私も共著の恰好で制作に関わる、『目からウロコのお口の話』(仮タイトル)は、現役30年を超える歯科医である、林自身の「総まとめ」はもちろんのこと、それ以上に、日本人として、およそ60年ほど生きてきた立場からの、日本人総括!! ──私説『日本人論』という色合いも濃厚です。

加えて、敗戦後75年を経て、期せずしてウイズコロナ時代に突入した日本人が、この先、子供も大人も、どうやって「希望を持って明るく生きれ」ば良いか? という重要なテーマ。

場末町に住まう、きわめて〝人間臭い〟住民どもに揉まれて育った、べらんめぇ野郎だからこそ、みずからも悩み、怒り、泣き、吠え……た結果の【答え】が、元同級生である私の、まるで忖度なきインタビューによって、導き出されたのです。

はなはだ手前味噌になり、気恥ずかしいですが、これほど血の通った肉声、本音だけで綴られた、……仮にも医療関連本……など、私も長年、出版業界の末端におりますが、いまだかつて観たことも聴いたこともありません。

林──「令和3年の今日現在、コロナ禍で何が解ったか? と言うと、人間の本性は変わらないってことが、ハッキリしたんだよね。例えば、ハゲ(私)が住まう高崎とかな。不要不急でもなく、仕事と親の介護のために、週に一度ずつ高崎と東京を行き来するだけで、お前は近所でバイ菌扱いされるわけだろ。この差別意識って、まるっきり、75年以上前の戦時下の【非国民】扱いと一緒じゃねぇか」

「変わらないはずだよ。だって、それって人間の、というか日本人特有の、と、あえて言おうか、本性なんだもん。令和に元号が変わって、すぐ、コロナウイルスの【おかげ】でな、日本人は、改めて人間の本性に気付いたんだよ」

本の構成上、最後の章において、「お口の話」を飛び越えて、ズバリと現状のコロナ禍で、ある種のパニック状態に置かれている日本を、日本人のマインドを、林の嗅覚で炙り出し、断を下します。

林──「平成時代、証拠さえなけりゃ、嘘を言い張っても大丈夫、みたいな風潮が蔓延した。森友問題の時に、財務省の佐川って局長が、「そういう資料はございません」、「資料は廃棄いたしました」と言い張っただろ。でもだよ、てめぇの部下は1人、自殺してるじゃないか。俺はね、あの時の佐川の国会答弁を観ていて、いったい何がコイツに、こんな見え透いた嘘を付かせているんだろ? まるで見当がつかなくて、気分が悪くなったんだ」

「人間のモラルと言うと、恰好つけて聴こえるが、少なくとも俺は、人間は乱暴でもよ、トコトン最後まで嘘は付けねぇよ(笑)。ハゲだって一緒だろ? いくら嘘を付き始めてみても、途中で「あー、ごめん。もう限界!! 神様、俺は嘘ついてましたぁ~」とゲロしちゃうじゃん。それがモラルなのか? それとも古い時代の日本人の血に、確実に流れているはずの、「お天道様は観てますよ~」という道徳観か? 正直、よぉわからんけれど。……でも佐川は、徹底して嘘を付き続けたんだぜ。『あー、ごめん』がまったく無いどころか、顔色1つ変えなかった!! これって何だ? てめぇ自身、100%嘘だと解ってるんだよ。でも、徹底して嘘をつき続ける、その厚顔無恥な神経。怖いだろ? 背筋がゾッと来るじゃねぇか」

「俺ね、考えちゃった。コイツ、こんな破廉恥なことをして、それも国会の場で行って、てめぇの子供や孫に顔向けできるのかな? とね。まぁ、百歩譲って、他人の噂は75日で消えるとするよ。それはイイよ。でもさ、コイツ、どうやって老後を生きるんだろ? 昭和時代の感覚なら、『嗚呼、俺は畳の上じゃ死ねねぇな』ってなるけれど、まず間違ってもコイツは、そう感じねぇよな」

「俺流の、これからの令和時代を生きる肝を言うとな。昭和時代の日本人に、当たり前に根付いていた『お天道様が観てますよ~』──だからバチが当たる!! っていう道徳観。そのお天道様が、今や監視カメラに代わったんじゃねぇかな。いたるところで『監視カメラが観てますよ~』──そんな世の中になった。もちろん、お天道様の【監視】は、日本人の心の問題。監視カメラは、ミモフタモナイ、機械技術の【監視】だ。それを同等に扱うのは、乱暴ではあるんだがさ、でもね、どちらにせよ、人間の心理に、『やっぱ、ズルは駄目だな』、『嘘は絶対にバレるな』って想いが強く宿れば、世の中は正しい方向へ進むはずだよ」

「だからこれからの時代、大人も子供も、巷のいたるところに張り巡らされた、あまたの監視カメラによって、100%──『ほんの少しも誤魔化せない!!』日常を生きることなる。これ、確かに窮屈ではあるけれど、どんな立場の人、どんな業種の人、小学生も会社員も教員も政治家も医者も、もちろん歯医者も、ただひたすら『真っ当に生きる!!』……それだけで良いんだよ」

「自分に与えられた仕事を、当たり前にこなす。ズルをしない。自分にも他人にも嘘をつかない。……おい、ハゲ、そういう日常が窮屈と感じるなら、お前がほざく【真っ当さ】なんて、しょせん似非だ、つー証拠だぜ。あははは、ざまぁ見ろ。苦しめ、苦しめ(笑)。俺は、少しも窮屈じゃねぇよ。監視カメラに向かって【あっかんべぇ~!!』してやるぐらいにな」

……さぁて皆さんは、身の周りに監視カメラだらけの、今の世の中を、少しの窮屈もなく、平然と生きられていますでしょうか^^;?

まぁ、変態作家の花園乱としましては、監視カメラの存在を知らずに、つい、可愛い女子高生が、痒い股間をポリポリ掻いてしまうとか、あけっぴろげに鼻クソをほじったりとか、そういう隠し撮り映像は、大好きですけれどね(笑)。

法律やモラルに〝引っかかる〟ズルな行為や嘘を、監視カメラの活躍によって、一切、この世から排除したうえで、ついカメラの存在を忘れて、ヒト様の前では、笑っちゃうほどみっともない行為をしでかすような……そんな〝ユルイ〟人間を、昭和の時代も、そして令和のこれからの時代も、私は愛し続けましょう。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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