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中尾ミエ 由紀さおり

昭和歌謡_其の二十一

ジュリーのドタキャン騒動+α

『可愛いベイビー』

『夜明けのスキャット』

劣化という言葉

いつの頃からでしょうか、ネットの書き込みを中心に【劣化】というミモフタモナイ表現が、すっかり市民権を得てしまったようですね。

「最近、ベテラン俳優○○の劣化がヤバイ!!」
「300%劣化!! 元アイドル歌手△△の悲劇」

要するに、昔、一世を風靡した芸能人が、全盛期からウン十年経った今、地デジTVの超鮮明デジタル画面に映し出されりゃあ、顔は皺くちゃ、頬も弛みまくり、下っ腹はたっぷんたっぷん……、オソロシイほど見る影もない、と。

まぁ、そういうことが言いたいんでしょうけれど、いくらなんでも「劣化はねぇだろうが、劣化は!!」と、初めてこの表現に接した際、私は義憤に駆られました。

前回、ジュリーのドタキャン騒動を話題にしました。確かにジュリーの現在の風貌および体型は、腹が立つほど〝変形〟しまくりですけれど、

それでも〝天下の〟ジュリーを指して、さすがに【劣化】は使えない。武士の情けと言いましょうか、本音で使いたくないなぁ。そこまで彼を貶めたくない。なぜか、そんな心理が働きます。

「正直いうと、半分は安否確認の意味もあるのよ」

ファン歴「半世紀」というオバハンが、TVの芸能レポーターの取材に、苦笑まじりに答えていました。

「だからドタキャンされようが、なんだろうが、ジュリーが元気なら、それでいいの。ああ、まだ生きてるわ。私も頑張ろうって、前向きな気持ちになれるからね」

別の数人のオバハンが、口々に〝証言〟していましたが、どうやらジュリーの歌声のキーは、全盛期から「ほとんど変わっていない」そうです。数曲、唄うごとに、舞台袖に置いてある酸素吸入器を使って、呼吸を整えることはあっても、

「〝声の伸び〟も、キーと同じで、若い頃とほとんど変わらないわよ~」

それが事実なのだとしたら、御年70歳で、たいしたもんです。歌手なのだから、見かけはどうあれ、「ちゃんとカネの取れる歌唱をしているのだから、文句はないだろ!?」ということを、ジュリーは本音として、言いたいのかもしれません。

ジュリー同様、芸歴が半世紀ほどになる、昭和歌謡のスターはもちろんのこと、世代的にはもっと若い部類でも、きちんと日々のボイストレーニングを欠かさずに、全盛期さながらの歌声を披露してくれる皆さんが、どれだけいるか?

それを想えば、全盛期から歌唱のキーも、声の伸びやかさも変わらない……というジュリーのことを、見かけの激変だけをあげつらい、罵倒など出来ないはずです。

それぞれに、それぞれの

たとえば、毎年、紅白の紅組のトリを務める、日本を代表するスター演歌歌手の、石川さゆりですが、今年還暦になったばかり、まだジュリーの年齢まで10歳もあるというのに、ここ数年、高音がまったく出なくなっています。

知り合いの整体師が、「マイクを持って立つ時の、体を支える両膝の開き方に問題がある」と嘆いていましたが、声が出づらいためか、明らかに全身から声を張り上げるのではなく、喉だけで唄っているのが分かります。

同じく、高音がまったく出なくなってしまった歌手に、渡辺真知子がいます。彼女も、今年62歳ですから、まだじゅうぶんに「現役も現役」のはず。……なのに、去年あたりから急に、歌唱が苦しくなりました。

渡辺真知子の、ボーカリストとしての魅力は、あのボリュームある体躯の、すべてを使って張り上げる声量の豊かさと、スーッと滑らかに伸びる高音域の歌唱の美しさでしょう。私は彼女の大ファンで、10年ほど前でしたか、渋谷Bunkamuraで開かれたコンサートを夫婦ともども鑑賞し、ライブで彼女の美声に酔いしれました。

その声が、今はもう、出ない。当たり前ですが、本人が一番〝それ〟を自覚しているんですよね。

大ヒット曲『かもめが翔んだ日』(1978年4月21日発売/作詞:伊藤アキラ/作曲:渡辺真知子)の冒頭、♪~ハーバーライトが 朝日に変わる~♪……この【ハー】は、いきなりピーンと音が高くクリアに抜けなくては、格好がつかないのですけれど、発声が苦しいものだから、無理やり喉の奥から声を絞り出そうとし、あとはマイクでうまく誤魔化して唄うようになりました。

もともと声量がある歌手が、こういう破れかぶれな歌唱をするのを、観せられるのは、ファンとしてとても辛く哀しいですね。

 ジュリーに「シノゴノほざく前に、とにかく痩せなさい!!」と、視聴者の大半の気持ちを代弁してくれた中尾ミエは、石川さゆりや渡辺真知子に、何とお説教するのでしょう?

体型を痩せさせるなら、強制的でもダイエットを実践させりゃあいいのでしょうが、声の、ということは、つまり声帯や肺活量の衰えばかりは、生理現象ですから、どうにもなりませんよね。

では、洋楽のカバー曲『可愛いベイビー』で大ヒットを飛ばし、和田アキ子と並ぶ毒舌キャラで、お茶の間の人気者〝だった〟……中尾ミエ自身は、どうなのか?

これがですね、有言実行と申しましょうか、常日頃、趣味の水泳で筋トレをしまくっており、肉体は「若い頃より、ずっと健康的だわね」だそうです。

肝心の歌声の方も、たまたま私の幼馴染みのミュージシャンが、彼女のライブのたびに、バックでギターを弾いております関係で、数年前、某会場にて、ライブの熱唱を聴く機会に恵まれましたが、いやぁ、見事な声量でした。かえって全盛期よりも歌唱に深みが増し、改めて聞き惚れてしまったくらいです。

今回のジュリーの件で、久しぶりに中尾ミエが〝吠えた〟ことを知った時、彼女には「その資格がじゅうぶんにある!!」と感じたものです。

もう1人、じゅうぶん過ぎるほど資格がある、大スター歌手は、由紀さおりです。BS民放で、彼女が司会を務める歌謡番組が放映されていますが、歌唱の美しさも声量のボリュームも、『夜明けのスキャット』(1969年3月10日発売/作詞:山上路夫/作曲:いずみたく)や、『手紙』(1970年7月5日発売/作詞:なかにし礼/作曲:川口真)などで大ヒットを飛ばした〝あの頃〟と何も変わりません。

御年ジャスト70。ジュリーと同期です。彼との大きな違いは、ルックスの美しさですかね。中尾ミエの水泳と同じく、由紀さおりも日々、筋トレを欠かさないのか? と思いきや、何かの番組で本人が語るところによると、「そういうことは、まったくやらない」んだそうです。生まれ持った資質に恵まれた、というわけでしょうか。

ルックスにしても、喉(声帯)や肺活量にしても、正直、老いには勝てません。

先ごろ亡くなった樹木希林のように、若い頃から婆さんの役ばかり演じまくり、後年、癌の発病をみずから公表し、眼を失えば、それも公表する。皺だらけになった肉体を、あえてさらけ出すがごとく、〝ヒト様〟にお見せする……という人生のスタイルがあります。「ありのままの自分」であり「老いに抵抗しない自分」であることが、彼女の芸風であり、美学だったようですね。

一方、名前は伏せますが、人気絶頂だった若い頃の〝自分〟から逃れられず、整形手術を重ねまくることで、必死に皺や弛みを消し去りつつ、見るからに「頑張っちゃってる」かつての大スターも、1人や2人ではありません。

どちらの人生が〝正しい〟か? なんて、誰にも決められませんよね。もちろん私にも、それを決める権利も資格もございません。

ただ……「この道で行こう!!」と決めたなら、その意志に覚悟を持っていただきたいな、とは感じます。それが、仮にもプロと名の付く芸能人、特に、今回のコラムにおいては歌手の、まっとうにギャラが受け取れる、最低限のルールではないですかね。

ジュリーが報道陣の前で、みずから語った「意地を通させてもらう」という覚悟の決め方が、歌手として、「俺は若い頃から、半音すらキーを下げていない。声量も少しも衰えていない。それがすべてだ。文句があるか?」というのであれば、私は認めます。

たとえルックスは別人と化そうとも、熱狂的ファンの前に、昔と変わらぬ歌声を聴かせられる。歌唱の力で、大衆の心を圧倒してくれるのであれば、確かに文句などありません。

歌手の命は、生身の肉体から発せられる歌声です。

つい最近、とある音楽関係者に聞いた話ですが、ベテラン演歌歌手の大半が、声帯や肺活量の衰えを誤魔化すために、自分のコンサートにおいて、若い時に吹き込んだCDの音源に合わせて、いわゆる〝口パク〟で唄っているのだそうです。

「特に、ここ数年のM・Sはひでぇやね。音感も悪くなっているから、イヤホンから聴こえてくる自分の歌声と、口がまったく合わなくてさ(笑)。会場の客に、もろバレちまった」

私の意識の中に、何の躊躇いもなく【劣化】の2文字が浮かびました。

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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