令和七年 小満
世界一貧しくて、豊か

足るを知る
丘を越えて
小満_草木萌え清々しく満ち満ちている季節に、燻(くすぶ)る親爺がひとり。
この頃吹く風には、若葉・新緑の薫りを纏い運んでくるものが多い。薫風、風薫るである。こんな日は、すべての部屋のあらゆる窓と扉を開け放して、風を通すのが心持ち良い。親爺の加齢臭が飛んでなくなり、清々しい緑萌える香で部屋が満たされる。あまりの心地よさに、ソファーに寝転んでビールで朝酒と決め込もうとも思ったが、グッと堪えた。分別がついてきたのか、目の前の幸福なひとときを逃してしまったのか、どちらか分からぬ。
こんな心地の良い時に、私の頭の中で繰り返し鳴るのは、『丘を越えて/作詞:島田芳文、作曲:古賀政男』である。
丘を越えてゆこよ
真澄の空は朗らかに
晴れて楽しい心
鳴るは胸の血潮よ
讃えよ我が青春(はる)を
いざゆけ
遙か希望の丘を越えて
それも本家・藤山一郎ではなく矢野顕子のヴァージョンである。
楽しい、気分上々である。ひと時、全ての悩みも忘れ去る(大した悩みもないが—)。やはりビールであったか。
そんな中の先日の早朝、あたり一面に朝霧が立っていた。生半ではない濃さであった。多摩川の向こう岸どころか水面、河川敷のグランド、我が家の前の小径さえ見えない。雲海が地上に降りてきたような濃霧が湧いていた。
いつもは腰が重いのに、こういう時にはフットワークの軽い親爺は、外に出てみた。一メートル先も見えない〝一寸先は闇〟ならぬ〝一寸先は真白け〟である。土手を越え、いつも保育園児が駆け回る河川敷に出た。ただでさえ覚束ぬ足取りが、さらに定まらぬ。舞台でドライアイス・スモークを誤って出しすぎたような真白な世界にボーッと佇んだ。クタばった直後はこんな景色で、この先に閻魔大王が控えているのだろうか、と想像していたら、突如、閻魔ならぬ白い秋田犬が飼い主と共に白霧のさきから現れた。我・犬ともにドッキリして吃驚目(まなこ)で見つめあった。このまま白霧に覆われていると本当にお迎えが来そうなので、そそくさと部屋に戻った。
暇な親爺は、抹茶を抱えて部屋から眺めていたが、一時間ほどで朝霧はどこかへ消え去ってしまった。
古くから日本人の中には、儚く消え去るものに慈しみを抱くという感性がある。特に季節の花鳥風月といった自然の営みに向けられることが多い。人に対して感じるように、自然に対しても〝会うは別れ〟という情念を持つ。早朝の朝霧に対しても同じである。仏教の〝愛別離苦、是故会者定離〟〝生者必滅、会者定離〟の「出会って愛しみをもった者とも必ず別れがくる。世は無情である。これを憂うるなかれ」の教えにもつながる。
だが、教えを前にしながらもわれわれ煩悩多き者たちは、
初めより あふは別れと 聞きながら 暁知らで 人を恋ける
と藤原定家が詠うように、別れがあると知りながら、性懲りもなく人に恋し、苦しみもがくことを繰り返すのである。
しかし、齢を重ねた親爺が最近感じることは〝女性を恋する心〟ともお別れしてしまった悲しさである。〝恋しさと切なさを胸に抱いて過ごす日々〟ともお別れし、その日々や恋しという寂しーい毎日を送るという、煩悩だらけのおのれである。
別れといえば、先日、尊敬すべき人が亡くなった。
故・ムヒカ大統領
五月十三日、〝世界で一番貧しい大統領〟と称されたウルグアイの元大統領ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ( José Alberto Mujica Cordano)が亡くなった。1935年5月20日生まれで一週間後には90歳を迎えるはずだった。
ウルグアイの首都モンテビデオの貧しい家庭に生まれたムヒカは、大学卒業後に訪れたキューバでチェ・ゲバラの「どんなデモよりも、一発の銃弾が社会を大きく動かすことがある」という演説を聞いて衝撃を受け、ウルグアイに戻ってゲリラ組織に入り、ゲリラとして活動。やがて組織の中心的存在となった彼は、政府により捕らえられて12年間投獄された。出所後は、武力による社会革命に別れを告げて国会議員となった。国会議員としての実績を積み、2010年には第40代ウルグアイ大統領となった。
2012年、ブラジルのリオデジャネイロで国連主催の環境に関する国際会議、通称「リオ+20」が開催された。この時スピーカーとして壇上に立ったムヒカ大統領のスピーチは、環境や資源の表面上の問題ではなく本質を語たり、これを伝えたメディアにより、瞬く間に世界中に広まって、多くの国々の人の共感を得た。
「市場経済は市場社会を作り出し世界規模にまで拡大してしまった。これが、いわゆるグローバリズムです。我々はこのグローバリズムをコントロールできているでしょうか、逆にコントロールされているのではないでしょうか」「人類は消費社会をコントロールできていない。人類は逆にその強大な力に支配されているのです」
このスピーチは、日本でも『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ/汐文社2014年刊』というタイトルで絵本が発行されるほど話題となった。また大統領離職後の2016年4月には来日もしている。
ムヒカ大統領が「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた理由は、大統領給与の90%を社会福祉に寄付し、残りの10%の約十万円(ウルグアイ国民の平均的月収)で生活したことや、大統領公邸には住まわず自分の質素な農場で暮らし、公用車も使用しなかった。大統領になった時の個人資産が、むかし友人達から贈られた古い中古車〝フォルクスワーゲン・ビートル〟1台の約18万円のみだったなどである。しかし、どの国の大統領よりも豊かな魂の持ち主であった。
ムヒカ大統領については「2018年12月22日のコラム」に書いた。お時間があれば是非。
ムヒカ大統領の「貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことです」という言葉はまさに、仏教でいう「知足の戒」である。
「知足」は、仏陀の言葉を遺した『遺教経』の修行者の守るべき八つの徳目のひとつとして記されている。
八徳目は
「小欲/多くを望まない」
「寂静/静かなところに住む」
「精進/勤め励むこと」
「不忘念/法を守り忘れない」
「禅定/心を乱さない」
「修智慧/智慧を修める」
「知足/足るを知る」
からなる。
この『遺教経』に「知足」は
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」
〈足ることを知る者は、たとえ貧困であっても心が満たされており安らかである。しかし、足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても心が満たされず、常に不安である〉と示されている。
誠の真理とは、南米ウルグアイであっても、その地球の裏側であるアジアにあっても同じである。敬虔なキリスト教徒であった遠藤周作も晩年には「絶対真理というものは、どの宗教であっても変わらない。ただその頂にたどり着くための道と登り方が違うだけだ」と述べている。
ムヒカ大統領の言葉に「発展は幸せの邪魔をしてはならない、発展は〝人生の幸せ〟〝愛〟〝子育て〟〝友達を持つこと〟そして〝必要最低限のもので満足する〟ためにあるべきものなんです。なぜなら、それらこそが一番大切な宝物なのだから」もある。
こんな大統領を持ててウルグアイの国民は幸せである。「方向性を間違った発展により〝幸薄く〟〝子も持てず〟〝最低限の物を持つのさえままならぬ〟」日本人からすれば羨ましい限りである。
日本の政治家と比べようもない。元々の次元が違いすぎて、比べることさえムヒカ大統領に失礼である。
我々日本人は、ムヒカ大統領が旅立ってしまった天を仰ぐのみである。
編緝子_秋山徹