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筒美京平 其の一

昭和歌謡_其の六十四

昭和歌謡ポップスの神様 作曲家・筒美京平先生を偲ぶ(前編)

『太陽が泣いている』『ブルー・ライト・ヨコハマ』
いしだあゆみ

 

国威発揚の歌

今回のコラムは、古関裕而という作曲家の楽曲について、書こうと思っておりました。現在、NHKの朝ドラマ『エール』の主人公が、他ならぬ古関裕而なのですが、……この人、ハッキリ言って【戦犯】です。それも、A級に値する【戦犯】です。なにしろ彼は、戦前および戦時中に活躍していた流行歌の作曲家の中で、楽曲の数にして【抜きん出て】多く、後に国民が軍歌と称するたぐいのメロディを、「軍の幹部に頼まれるまま」に、【やたらめったら】書きまくったのですから。

生来、あまりモノを深く考えないタイプと言いましょうか、楽天的? 脳天気? ま、そういう性格ゆえ、大本営発表の「輝かしき戦果」を鵜呑みにしたんですね。実際は、戦果どころか、外地における、どの戦闘エリアも負け戦が続き、戦死者が日々激増!! その大半が若者であった!! 事実をまるで知らなかった。

いや「知ろうとしなかった」んですね。かりにもマスメディアで仕事をする身でありながら、旧友の新聞記者から【本当の話】を聴かされたにも関わらず、古関は、あえて自分の耳に蓋をして、軍部に洗脳されるがまま、ただただ「兵士の戦闘意識を煽(あお)る!!」目的の、大本営PRソング──軍歌、もとい戦意高揚歌を書きまくったのですから。

『露営の歌』(昭和12年9月発売/作詞:籔内喜一郎/歌唱:伊藤久男)、『暁に祈る』(昭和15年発売/作詞:野村俊夫/歌唱:伊藤久男)、『若鷲の歌(予科練の歌)』(昭和18年9月10日発売/作詞:西條八十/歌唱:霧島昇&波平暁男)、『ラバウル海軍航空隊(昭和19年発売/作詞:佐伯孝夫/歌唱:灰田勝彦)、『嗚呼神風特別攻撃隊』(昭和19年11月発売/作詞:野村俊夫/歌唱:春日八郎)など。……以上は、ほんの一部です。

朝ドラの筋書きによれば、戦後、〝一応〟彼は反省します。それも「大いに反省した!!」──ことになっています。あくまでドラマでは、ね。

「僕は、自分の作った歌に勇気づけられ、歌に導かれるがごとく、激戦地へ飛び立つ若い彼らの姿を見聞きして、正直、気持ちが大いに高ぶった」……と。つまり作曲した彼自身が、手前の感性から紡ぎ出すメロディに酔いしれ、大いに【戦意高揚】されていた、というのが本音でしょう。

ふうむ、嗚呼しかし、それにしても、よくもまぁ、次から次へと書きまくったものです。

……と、まぁ、そんな前説をもとに、コラムを書き進めておりましたら、作曲家の筒美京平、逝去の報が、ネットニュースに飛び込んで来ました。

歌謡ポップスの偉大なる【創世神】

昭和歌謡の全盛期のみならず、平成ポップスの若きアーチストにも、膨大な数のメロディを提供してきた、歌謡ポップスの偉大なる【創世神】、超!! 超!! 大ヒットメーカーの、作曲家・筒美先生が、10月7日に亡くなられたんですね。享年80。死因は誤嚥性肺炎だったそうです。

筒美先生が彼岸に旅立ったと知ったなら、古関裕而のごとく犯罪者にかまっているヒマはございません。同じ量産体制の作曲群でも、筒美メロディは、どれもこれも聴く者の心を、朗らかにリズミカルに躍らせてくれます。

コロナ禍に巻き込まれる以前の日本において、北海道から沖縄まで、カラオケ機器が入った店では、毎昼毎晩かならず、まず間違いなく、誰かしらが何かしらの筒美メロディを熱唱していたはずです。

おそらく【素人歌手】の大半は、その楽曲が先生の手に拠る作品であることなど、まったく気に留めないでしょう。好き勝手に選曲したら、それが〝たまたま〟先生が作曲(多くは編曲も)した昭和○年、平成△年のヒット曲だった……と。

いやぁ、それにしてもメチャメチャ凄い仕事量ですよ。昭和41年8月15日に発売された、藤浩一、またの名を子門真人!! そうです、♪~毎日 毎日 ぼくらは鉄板の~♪の『泳げたいやきくん』を唄った、あの髭面のオッサンのシングル曲『黄色いレモン』(作詞:橋本淳)が、先生の記念すべき作曲家デビュー曲になりまして、

遺作は去年、令和2年5月22日に発売された、田所あずさという声優&歌手のアルバム『ネヴァーランド』に収録された、『あなたの淋しさは、愛』(作曲:売野雅勇)……ですからね。

その間、ざっと半世紀、ず~~~っと【現役】のクリエーターとして活躍し続けて来て、生涯の作曲総数は3000を超えます。

この数字──、刊行冊数が共著を入れて23冊、作品数ざっと数百程度しか書いていない、小説家・花園乱などにとっては、夢のまた夢、いえいえ、まずもって妄想すら浮かびません。

もう、だいぶ前の話になりますが、私が月に1度、赤坂の酒場で主宰している『昭和歌謡を愛する会」にて、筒美京平作品の特集をやったことがあります。

その時に披露させてもらったのが、平成9年、先生の【作曲家生活30周年】を記念して企画発売された、CD8枚組のセット『筒美京平 HITSTORY』……に添付された【全楽曲リスト】です。

アルバム制作直前までに書きまくった楽曲の【すべて】が掲載された、B2サイズ(73cm×52cm)の巨大ポスターが2枚!!

それぞれのポスターに、米粒の3分の1ほどの細かい文字で、ずらずらと楽曲タイトルおよび作詞家、編曲家、発売年月日が、横書きで5列、記されているのですが、2枚分を縦に並べると、ちょうど私の身長と同じ高さになりまして、……会場に集まった会の常連さんが、一様に「うわぁー、すごい数!!」と、驚きの声を上げた光景を、今でも記憶にとどめています。

もっとも流行歌の世界には、作曲総数だけに着目するならば【上には上】がいます。「演歌は強い!!」ってことでしょうか?巨匠クラスの古賀政男が4500、遠藤実が、なんと5000超え。同じく5000を超える作曲家がもう1人、冒頭に記した古関裕而です。

フン、数を多く書きゃあイイっつーもんじゃない!! ブツブツ……と、小声で嫌味を吐きつつ、

先生の偉大なところは、数だけじゃないんです。出す曲、出す曲、軒並みヒットソングに化けてしまう!! という事実でありまして。

作曲家デビューして間もなく、GSブームの勢いに乗り、ヴィレッジ・シンガーズに書いた『バラ色の雲』(昭和42年8月1日発売/作詞:橋本淳)が大ヒット!! まだオリコンのチャートが発表される前の【非公式】なデータではありますが、レコード売り上げで「第2位」に輝きました。

以降、しばらく、いくつかのGS系のバンドに提供した楽曲でヒットを飛ばしまくる中、作詞家:橋本淳とのコンビの【初期の最高傑作】ともいうべき、『太陽が泣いている』(昭和43年6月10日発売)を、いしだあゆみに書きます。

この楽曲は、前奏を含めたメロディのセンスといい、演奏スタイルのセンスといい、歌詞の言葉選びのセンスといい、和製ポップスの完成体でしてね。当時、これほど〝お洒落〟な歌謡曲は、他に見当たりません。

ただ、……時代がちょいと早すぎたのか? 一般のリスナーの耳には馴染みにくかったようでして。オリコンチャート的には18位止まりでしたけれど、後年、山下達郎や大滝詠一、竹内まりやほか、ロック&ニューミュージック系のミュージシャンに多大な影響を与えました。

♪~夏が来るたび 思い出す
小麦色した 20才(はたち)のあなた
忘れたくない恋だから
あの日のことが せつないの
くちずけのあとで 太陽は泣いている
知らない人に さそわれて
あなたの海へ 帰ってきたの
太陽は 太陽は 泣いている~♪

この半年後、カラオケファンでなくても、ある年代層にとっては【国民歌謡】とも言うべき楽曲、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(昭和43年12月25日発売/作詞:橋本淳)を、いしだあゆみに書いて、先生にとって初めて、念願のオリコンチャート「第1位」を獲得します。

♪~街の灯りが とてもきれいね
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
あなたと二人 幸せよ
いつものように 愛の言葉を
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
歩いても 歩いても 小舟のように
わたしはゆれて ゆれて あなたの腕の中~♪

以降は、『雨がやんだら』(昭和45年10月21日発売/歌唱:朝丘雪路/作詞:なかにし礼)、『また逢う日まで』(昭和46年3月5日発売/歌唱:尾崎紀世彦/作詞:阿久悠)、『17才』(昭和46年6月1日発売/歌唱:南沙織/作詞:有馬三恵子)……『夜が明けて』(昭和46年11月11日発売/歌唱:坂本スミ子/作詞:なかにし礼)、『ロマンス』(昭和50年7月25日発売/歌唱:岩崎宏美/作詞:阿久悠)、 …… 『魅せられて』(昭和54年2月25日発売/歌唱:ジュディ・オング/作詞:阿木燿子)、『ギンギラギンにさりげなく』(昭和56年9月30日発売/作詞:伊達歩)などなど、

日本全国のお茶の間で、老若男女が、すぐに鼻歌で口ずさめるほど【売れに売れた】楽曲を、連射砲のごとくブッ放しまくります。

作曲家デビューして数年、書く曲、書く曲、ほぼすべてが売れず、コロムビア・レコードの幹部たちや担当プロデューサーから、「お荷物」「粗大ごみ」扱いされまくった、古関裕而とは、音楽業界における【生まれ育ち】が格段に違います。

昭和15年5月28日、先生は東京市牛込区、現在の新宿区に生まれ、小学校から大学まで、ずっと青山学院に通った……そうですから、相当なお坊ちゃん育ちだったのでしょうね

超人的な大活躍の軌跡のわりに、【筒美京平】のプライベイトな情報&データというものが〝ほとんど〟外部に流れない、というより、本人がそれを望まない人なんですね。この事実には、過去、さまざまな憶測、風評を生みました。

チーム〝筒美京平〟?

中でも有名な話が、「筒美京平は実在しない。幾人もの凄腕作曲家を集めて、ヒット曲を量産するための職人集団を作っていて、そのチーム名が筒美京平である」……と。このココロは、作品数が、それも大ヒットしたメロディの数が、あまりに多すぎて、「とてもじゃないが、1人の作曲家で【こなせる】量じゃない!!」から。

前出の『筒美京平 HITSTORY』のライナーノーツ(楽曲解説)に、かの吉田拓郎も【こう】綴っていましてね。

「すごくいいナ~」と思うと 必ず筒美京平の曲である。
「やったナ~」と思うと やっぱり筒美京平の曲である。
「whmm」と口ずさんでいるのは いつも筒美京平の曲である。
それに何て言ったって 「筒美京平」という名前がカッコいい。
皆のアコガレなんだナ。

訃報により、先生の本名が渡辺栄吉であることを、初めて知りました。ふうむ、……嗚呼、ペンネームの魔力って大きいですね(笑)。拓郎だって、まさか「渡辺栄吉」って名前じゃ、さすがにアコガレないでしょうし、ね。

ここは、やっぱり筒美京平でないと!! ちなみに、このペンネーム、10月13日付の東京新聞(朝刊)の記事によれば、「鼓が平らに響く」という意味が込められているとか。

大学卒業後、1963年に日本グラモフォン(後のポリドール・レコード→ユニバーサルミュージック)に入社しましたが、幹部との面接で、「僕は洋楽のレコードの制作以外、関わりたくないです」とハッキリ告げたそうです。

その願いが叶ってか? 3年ほどはずっと、洋楽レーベル専門のディレクターを務めましたが──、ある時、大学(青学)の4つ先輩の作詞家・橋本淳に、かなり強引に、かつ何度もしつこく、以下のごとく頼まれます。

「洋楽のメロディに精通した、お前だからこそ、ぜひ、その知識を歌謡曲に生かして、歌謡曲の作曲にチャレンジしてくれよ!!」

先生には、まったくその気がなかったんですね。いや、それどころか、日本の歌謡曲の〝ダサさ〟を、猛烈に嫌悪し、愚弄していたはずですから、内心「いくら先輩の頼みだからって、冗談じゃない!!」って気分だったでしょう。

それに、先生はそれまで、専門的な音楽の勉強などしていません。そこで、遊び仲間の先輩、すぎやまこういちに相談します。すぎやまは当時、フジテレビのディレクターをしながら、膨大な数のCM音楽を作曲&編曲していました。加えて、すぎやまは、作曲法も編曲法も、あくまで独学です。

すぎやまのラフで陽気なキャラもありましょうが、「洋楽のメロディの美味しいとこをさ、あっちもこっちも拝借しちゃえば、歌謡曲なんてチョロイよ。譜面の書き方は、僕で良けりゃ教えてあげるよ」

こうして先生は、すぎやまの弟子になり、にわか仕込みで作曲&編曲の基本を学び、先ほど書いた通り、晴れて『黄色いレモン』で作曲家デビューにこぎつけたのです。

其の二に続く

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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