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筒美京平 其の五

昭和歌謡_其の六十八

昭和歌謡ポップスの神様 作曲家・筒美京平先生を偲ぶ(其の五)

『ビューティフルヨコハマ』
平山みき

 

昭和歌謡のまっとうな〝絆〟

75年前に惨敗した太平洋戦争の末期と同じく、相手が鬼畜米英からコロナに変わっただけ、帝国陸海軍もとい政府の「感染症対策委員会」の旗の元、「自粛の時、来る」、「3密は敵だ」、「不要不急の外出は敵だ」、「欲しがりません(コロナに)勝つまでは」、「我慢の3連休」、「勝負の3週間」……、さんざん身も心も痛め付けられた以外、馥郁たる情緒豊かな話題など、公私ともに、何一つ起こり得なかった、2020年も、残すところ僅かな日々になりました。

全国に住まう老若男女の、おそらくほぼ全員が、たかが目に視えぬほど微細な新種のウイルスごときを恐れ、大なり小なり私生活を犠牲にしてきたでありましょう。

その犠牲も、「きっと真夏のバカンスまでには」が「おそらく味覚の秋頃には」になり、それでも巷の空気は少しも変わらず、とうとう期待していた年の瀬の忘年会シーズン、ないし年末年始の帰省シーズンに突入し、イイ加減、誰しもの本音として、「コロナなんか糞喰らえ!!」の心境で、自棄のヤンパチ、思いっきりハメを外したくなっている……というのにね。TV画面から漏れ聴こえてくるのは、人の声色を覚えたオウムのごとく「我慢せよ!! 我慢せよ!!!」のヒステリックな声ですよ。

俺で良けりゃ、一丁、サシでね、コロナ王国のトップとやらと真っ向勝負!! 野郎を目の前にし、ズバリと核心を問い質したいところだね。「おい、いってぇぜんてぇー、お前さん方はさ、俺たち人間を、どうしてぇんだよ?」と。

嗚呼、スミマセン^^;、いやはやナントモ、そんな下らない妄想しか浮かびません。さて本題。前回に引き続き、またしても筒美先生の追悼です。

ざっくりと〝ポップス系〟昭和歌謡の系譜を、作曲家のDNAとでも言いましょうか、つまり前奏を含めたメロディの出来具合で眺めるならば、明らかに服部良一が【親】、筒美京平が【子供】ってイメージが、私の中に濃厚にありましてね。まぁ、これは歌謡曲ファンならば、誰しもが容易に思いつくことですけれど。

私など比べ物にならないほど、昭和歌謡を熱愛し、研究しまくって来た、大滝詠一は、何度もコラムの中で紹介させていただいた、平成9年発売のアルバム、『HITSTORY/筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967~1997』のライナーノーツ(楽曲解説)に、ロングインタビューに応える格好で、服部良一と筒美京平の間に、ジャズピアニスト出身の作曲家・中村八大がいた【事実】を語ってくれています。

八大さんは、作詞を担当する永六輔とのコンビで、昭和30年代に、水原弘のデビュー曲『黒い花びら』(昭和34年7月発売)や、坂本九のデビュー曲『上を向いて歩こう』(昭和36年10月15日発売)ほか、数々ヒットを飛ばしますが、

メロディの構想やアイデアは、まず間違いなく八大さんが、幼少時代から聴きまくった、ジャズを含めた洋楽系ポップスの大量の作品群から【盗んだ】……はずです。同様な音楽環境に育った筒美先生は、9つ歳下です。本格的に作曲活動を進めるにあたり、八大メロディを意識しないわけがないでしょう。

大滝詠一説に準ずるならば、祖父の服部良一のDNAが、息子の中村八大に引き継がれ、さらに孫の筒美京平に伝播する。──これが〝ポップス系〟昭和歌謡の、まっとうな【絆】というわけです。

【筒美京平レコード(CD)売り上げベスト10】というランキングがありまして、トップは『魅せられて』(昭和54年2月25日発売/歌唱:ジュディ・オング/作詞:阿木燿子)、2位は『スニーカーぶるーす』(昭和55年12月12日発売/歌唱:近藤真彦/作詞:松本隆)、3位が、前記した『ブルーライトヨコハマ』、

以下、『また逢う日まで』(昭和46年3月5日発売/歌唱:尾崎紀世彦/作詞:阿久悠)、『ロマンス』(昭和50年7月25日発売/歌唱:岩崎宏美/作詞:阿久悠)、『木綿のハンカチーフ』(昭和50年12月21日発売/歌唱:太田裕美/作詞:松本隆)……と続きます。

どうです? 歌詞カードなど無くても唄える歌、ばかりでしょ(笑)?

皆さんが、どこぞのカラオケスナックやらBOXで、筒美京平の楽曲を唄えば唄うほど、生前の先生の振込口座には、チャリンチャリンと莫大なカラオケ印税が振り込まれ、そして今後は、著作権を相続される、ご家族のどなたかの振込口座へ、チャリンチャリン……、てな下世話でナマグサイ興味は、まだ四十九日が済んだばかりの頃合いでしょうし、慎みましょう。

秘蔵っ子〝平山みき〟

前回のコラムにも記しましたが、筒美先生は、どれほど自分が業界の頂点に君臨しようとも、昭和当時はもちろん、平成以降もなお、とにかく才能ある若い歌手(ミュージシャン)のムーブメントには、強い関心を抱いていたそうです。

昭和歌謡の全盛期、先生が特に〝入れ込んだ〟新人アイドル歌手は、南沙織と平山みきですね。特に平山の、あのしゃがれたボイスとルックスに、先生はえらく惚れ込んだらしく、その熱愛ぶりは、『筒美京平自薦ベスト』のごとくアルバムが編まれると、真っ先に彼女の『真夏の出来事』(昭和46年5月25日発売)と『フレンズ』(昭和47年3月10日発売)をチョイスするほどです。

平山みきについて、私には、いささか個人的な思い出があります。まぁ、下らないって言やぁ下らないネタなんですけれど(笑)。それも、歌手・平山みきではなく、あくまで私生活を送っている時の彼女と、中学生当時の私が、何故か? 絡んでしまうエピソードです。

当時の平山の実家は、東京は大田区蒲田の1丁目というエリアに実在しました。同じく私も1丁目に在住、加えて通学していた中学が、彼女の実家から、まっすぐ歩いて1分足らずの場所にありましてね。幼い悪戯と言えども、犯罪的行為でしょうが、あれから半世紀近くを経て、今や時効としてお許し願わないと、この先、書き進めなくなりますが……。

中学の悪ガキどもの間で、誰が言い出したか、「あそこの家に平山みき(当時は三紀)が住んでる!!」と噂しだし、いわゆるピンポンダッシュ!! 玄関のチャイムを鳴らすだけ鳴らし、逃げるという、ロクでもねぇ遊びに興じていたわけです。一度成功すると、ガキは必ず調子に乗るんですね。次第に悪戯もエスカレートし、チャイムを押すにとどまらず、敷地内にゴミを投げ捨てたり、あろうことか石を投げつけ、窓ガラスを破壊するという、不埒な行為に及んだバカ野郎もいた、という話を、私は後から担任教師に聴かされました。

そんなある日、友人と誘い合わせ、私も、そのピンポンダッシュというのを、やってみようと思い立ったのです。ドキドキしながら平山家の玄関チャイムを鳴らそうとした、そのタイミングに、ドアが思いっきり内側から開けられ、中から飛び出して来た平山本人に、バケツ一杯の水を、頭からぶちまけられました。

「この糞ガキ、二度とすんじゃねぇぞ、バカ野郎!!」

歌声そっくりの(当たり前ですが)しゃがれ声で、かつドスまできかせて、そう怒鳴られた次第。あの時の恥ずかしさと、異常に冷たかった記憶は、今でも鮮明に残っています。

そんな私が、最後に皆さんにご紹介したい、彼女の楽曲は、上記2つのヒット曲ではなく、平山みきのデビュー曲『ビューティフルヨコハマ』(昭和45年11月10日発売)です。

これも作詞:橋本淳&作曲:筒美京平の名コンビの作品ですが、残念ながら、オリコンチャートは64位止まりでした。しかしながら、彼女の声質の特徴【しゃがれながら鼻に甘く絡みつく】が、音楽業界人の関心を強く惹き、以降、現在まで、平山みきと言えば「あの声!!」の印象が、すっかり定着しております。

♪~ヨコハマ ヨコハマ 素敵な男が
ヨコハマ ヨコハマ いっぱいいるわ
遊び上手なミツオにサダオ
話し上手なジローにジョージ
わたしの好きな あの人は
ひとりで海を 見ているわ
ラララ ララララ
ビューティフルなお話しね~♪

(其の六に続く)

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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