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紅白歌合戦

昭和歌謡_其の四十七

大晦日の風物詩、NHK「紅白歌合戦」

 

大晦日の夜、落語の『芝浜』じゃありませんが、部屋の大掃除を済ませ、埃まみれの体を銭湯で洗い清め、湯船で温まり、あらためて家族揃って食卓を囲み、年越し蕎麦をいただきます。

「来年は良い年になるといいね」「そうだね」

別段どうってことなさげな台詞を夫婦なり、親子なりで交わすのも、日本人にとっては大切な、言霊というやつでしてね。台詞の中身にリアリティがあろうがなかろうが、そんなこたぁどうでもいいんです。その言葉を、あえて【音】として声に出し、天界に住まうさまざまな神々に「聴いていただく」ことが肝要なのです。

意識してポジティブな言葉を天に放てば、意外に単純な神々は、「ほぉ、そうかそうか」と、福々しい笑顔で、実際に来年を【良い年】にしてくれる。逆にネガティブな言葉ばかり【音】にしていると、「ふむ、そんなにお前さんは、暗く鬱々とした毎日がいいのかい」と、苦虫を潰した顔で、来年を(当人がお望みの)【暗く鬱々とした年】にしてしまう。

「だから、年の瀬の数え日(※両手の指で「あとウン日」と数えられるほど、暮れが押し詰まった日々のこと)には、嘘でも明るい話、笑っちゃう話、希望が湧くような話を、周りのみんなと交わさなきゃいけないんだよ」

昭和時代の大人たちは、学歴に関係なく、今よりはずっと生活に根付いた教養とやらを、持ち合わせておりました。私も、誰に聴いたか? とんと忘れてしまいましたけれど、たしか銭湯で一緒になった、背中に観音様のモンモン(刺青)を入れたオッサンだったような……。湯船ではしゃぐ、われわれ子供たち数人に、ひとしきりドスの利いた声で説教したあとで、こんな風な話をしてくれたものです。

【言霊】と【数え日】という聞き慣れぬ言葉の、【音】の響きが、やけに私の自意識に絡みついたようで、還暦まであと3つに迫った私にとって、何よりも大切な意味を持つ日本語として、認識しています。

さて、親子団欒、年越し蕎麦を喰い終わると、さも、それが当然のように、大晦日の風物詩、日本人なら誰もが、どの家庭もが、ほぼ同時多発的に行う作業として、某国営放送で生中継される『紅白歌合戦』を観る──わけですね。

みんなの紅白歌合戦_大トリ考

何故、観るのでしょう? 私は今、間違いなく【観る】と書きました。日本国民の合言葉でもある、通称『紅白』は、れっきとした歌番組です。歌は【聴く】ものです。そんなこたぁ、幼稚園児だって知っています。なのに私は【観る】……。おそらく、結構な数の日本人も同意してくれるのではないでしょうか? 『紅白』は、歌番組でありながら【観る】──んです。何故でしょう? つまり、それが大晦日の風物詩であるからだ、と私は考えます。

風物詩を名乗るからには、どの季節におけるモノであれ、それが【その時】のジャストタイミングとして、誰もが価値観を共有し、納得できなければ意味がありません。

たとえば同じ、年の瀬の風物詩として古典落語ファンは、猫の手も借りたいほど忙しい合間に、どうにかして時間をこしらえ、都内いずれかの寄席に足を運び、〝それなりに〟腕に自信のある噺家を目当てに、名作・人情噺の『芝浜』を聴く!! という習慣があります。

大晦日の風物詩ならば、全国各地の寺院で叩かれる、〝百八つ〟の除夜の鐘の音でしょう。そう私が決めつけても、誰からも文句は出ない……はずです。

では、歌番組であるはずの『紅白』は、どうでしょう? わかりやすく白組、紅組、双方のトリを飾る歌手、およびその楽曲は、本当に大晦日の風物詩になり得ているか、どうか?

かく言う私は、かれこれ数十年、とっくの昔に『紅白』を、大晦日の風物詩だとは捉えていません。その年、その年、NHKの小賢しいスタッフが〝厳正に〟選んだはずの、男女さまざまな歌手──の歌唱を【聴く】気にならないのはもちろん、ただ映像として【観る】気にもならなくなって、久しいです。

じつは私は、すでに小学生の時分から、NHKの『紅白』ではなく、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で『紅白』より数時間早く、ライブで劇場中継される、『なつかしの歌声』という歌謡番組が大好きでした。

それでも、NHKの『紅白』のトリだけは、かりにも大晦日の風物詩として、番組の直後に始まる『ゆく年くる年』と並び、「観なくては年が越せない!!」という強迫観念のようなものが、私の意識の中に強くあり、長いことTV鑑賞し続けて来ました。

いつの年から、それすらも、まったく観なくなったのか?

今さら記憶はおぼろげで、「○○年から」という確証はないのですが、酔狂にも、ちょいとネットで調べてみましたら、そうだ、そうでした!! ふいに思い出しました。

平成15年(2003年)、どうやら私は41歳になっていたようですが、この年の『紅白』の、白組のトリ……、

ベテラン歌手でも演歌歌手でもない、いわゆる人気アイドル歌手(グループ)が、それもメチャメチャ歌唱が下手糞なSMAPが、北島三郎やら五木ひろしやら細川たかし、あるいは谷村新司ほか、個人的な好悪は脇へ置き、とりあえず「歌唱は上手い!!」部類に入る、先輩歌手の顔ぶれをふっ飛ばして、TVカメラの前に立ったんですね。

 

楽曲が、連中のロングヒットソング、令和元年においても国民歌謡として老若男女に愛される、『世界に一つだけの花』というのも気に入らねぇですよ。歌詞内容の気色悪さが、私には受け入れがたいものがありますが、それでもまだ、コレを作詞作曲したマッキー、こと槇原敬之がみずから唄うなら、わかります。性的マイノリティであることを、カミングアウトした彼だからこそ、

♪~No.1になれなくてもいい もともと特別なOnly one~♪

のフレーズの意味があるだろうことが。

日本人のうちの、どれくらいの皆さんが、1年の締めくくりにSMAPの連中の顔を拝んで、馥郁たる想いに至りましょうか?

平成15年当時、リーマン・ショックまでは、まだ5年ほどありましたが、私の意識とすると、SMAPがトリを飾った大晦日に、「ああ、日本は終わっちゃったな」という、絶望的な感慨をおぼえました。

私が子供の頃、さして興味もないながら、『紅白』のトリを務める、いわゆる芸能界の大物、超がつくスター歌手が、貫禄満点に朗々と、自分の十八番の楽曲を歌唱する姿を、TV画面ごしに【観る】……。いったい、どんな男性歌手&女性歌手ならば、大晦日の風物詩に匹敵するのでしょう?

たとえば昭和47年(1972年)のトリは、紅組が美空ひばりの『ある女の詩』、白組が北島三郎の『冬の宿』ですが、この年は、〝お嬢〟ひばりにとって、『紅白』のラスト歌唱なんですね。(※実際には、特別出演という形で、昭和54年(1979年)も歌唱しましたが)……大物同士の歌唱対決!! 好き嫌いはともかく、これなら文句なしに、年が越せそうです。

 

もう少し後の時代、昭和54年(1979年)のトリになると、紅組が八代亜紀の『舟歌』、白組は五木ひろしの『おまえとふたり』。……どちらの楽曲も、2人の看板ソングともいうべき、演歌の名曲ですから、これまた、まぁ、日本人の心境として、許せましょう。

 

 

 

白組のトリが唄い終わり、蛍の光の合唱が終わり、番組が終わると同時に、『ゆく年くる年』の冒頭、どこぞの寺院の除夜の鐘が、ボ~~ンと聴こえてくる。この【流れ】が、ごく自然に受け入れられて、あらためて、新年を迎える準備が叶う……。風物詩たる所以です。

今年の『紅白』に、はたして、その価値があるのか? 令和初めての『紅白』ですからね、私も、せめてトリぐらいは、久しぶりに【観る】ことにしましょう。

というわけで、皆さん、良いお年をお迎え下さいませ。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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