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喜多條 忠

昭和歌謡_其の八十六

緊急追悼 作詞家・喜多條 忠(まこと)

『メランコリー』
by梓みちよ

 

姉御

 前回のコラムの末尾に、「次回は桂銀淑のことを書きましょう」と宣言しましたけれど、当サイト主筆の秋山さんの話では、「かなり前に、桂銀淑は書いてますよ」だそうで。 ハテ?そうだったかしら……、と慌てて調べたところ、おっ と!!ありました。2019年3月21日付が、まさに桂銀淑のことでした。

それも、ですよ。うっかりして今回、書くつもりでいた内容と、ほぼ一緒だっ た事実に気付き、思わず笑ってしまいました。書いた本人は、とっくに忘れていたのです。

というわけで、桂銀淑については〝そちら〟を読んでいただくとして、急きょ、今回は……、何にしましょうか?

と、しばし思案している最中(さなか)、飛んで火に入るナントヤラ、てなことを書いてしまうと、不謹慎の極みでしょうが、ヒットメーカーとして名高い作詞家の喜多條忠(まこと)が、11月22日に冥界へ旅立たれた、と新聞の訃報で知りました。 享年74。

これまで私がコラムに採り上げた昭和歌謡の楽曲群に、彼の作品がいくつあっ たか? 数えたこともないので判りませんが、「特集」の形で喜多條忠を扱ったことは、ありませんでした。理由は? ……自分でもよく判りませんけれど、彼の作詞活動について、私の好奇心がさしてヒクヒク刺激されない……んですよねぇ。

たとえば阿久悠なら〝ああ〟、なかにし礼なら〝こう〟、佐伯孝夫なら、秋元 康なら、……あくまで私が勝手に思い定める〝おおよその特徴〟ってなモンがあるのですが、喜多條忠には、それがない!! いや、断言してしまうのも失敬でしょ うが、私の感覚として、ないとしか言いようがない、のです。

でも1曲だけ、歌詞の内容というよりも、メロディ構成に斬新なものを感じ、 長年、妙に惹かれている楽曲なら、あります。梓みちよのヒット曲であり、現在 もカラオケファンが集う、スナックなどの店で、ひと晩に必ず1度ぐらいは誰かが歌唱するだろう、『メランコリー』(発売:昭和51年9月21日/作曲:吉田拓郎)です。

俗に言う「歌が上手い歌手」は、昭和歌謡史を紐解けば、各年代にかならず数人ずつ存在しますけれど、宝塚音楽学校出身の彼女の歌唱力は、年代を超えて図抜けていましたからね。

おまけに、気性の強い女性を多く排出する(らしい)福岡県出身ですので、デ ビュー当時から態度もデカイし、相手がどんな大御所プロデューサーだろうが歌手だろうが、言いたいことは歯に衣着せずに言いまくる!! 同様な性格の、和田アキ子や中尾ミエなどと並ばせて、マスコミ的には、〝姉御〟扱いしていましたよね。

特に同じナベプロ所属の中尾ミエは、歳は3つ下でもデビューは半年ほど早く、かつ〝育ち〟も一緒の福岡県ですから、下世話な大衆の関心として、「ブッチャケ、どっちが強いの?」とか「本当に仲が悪いの?」という疑問は、梓が逝去(令和2年1月29日)して以降も、ネットの書き込みの定番だったりします。

真実は不明ですが、生前、梓が何かのインタビューで、余裕の笑みを浮かべて答えたところによると、「避けているのはミエの方」で、「私は普通に接しているのにね」……だそうですが。

そんな梓は、欧米の人気ポップスの日本語カバーでデビューした1年後、永六輔が歌詞を書き、中村八大が作曲した『こんにちは赤ちゃん』(昭和38年11月発売)が、国民歌謡なるほど大ヒットして……。

この楽曲は、たしかに素晴らしい〝歌〟だ……と私も思いますけれど。でもねぇ~、あまりにも色気がないし、毒も無さ過ぎな歌詞は、梓のような〝姉御〟タイプの歌手にとって、いくら世界中で愛されたとしても、唄っていて、少しも胸が弾まなかったんじゃないか? と、勝手にそう私は思うのです。

それが理由だったのか? 梓は長いことスランプに陥り、私生活では俳優の和田浩治と結婚したかと思えば、1年足らずで離婚したり、……しましたね。

たぶん本人も、周囲のスタッフも、強烈すぎる『こんにちは赤ちゃん』のイメージを、思い切って変えたかったはずでしょう。それが叶ったのが、昭和59年3月25日に発売された『二人でお酒を』(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃)で した。

梓本人の自己演出だったそうですが、床に胡座をかいて座ったまま歌唱する…… スタイルが、全国のお茶の間の歌謡ファンに大受けしましたね。久々の超大ヒッ トを飛ばすと共に、〝姉御〟キャラの本領発揮というわけで、以降、ようやく彼女が望むアダルトな楽曲を次々と発表します。

吉田拓郎が作曲した『メランコリー』も、この流れの中で生まれた楽曲で、昭和歌謡史に遺る〝名曲〟の1つと言えるでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=fhk1lQPetMQ

♪~緑のインクで 手紙を書けば
それは さよならの 合図になると
誰かが 言ってた

女は 愚かで かわいくて
恋にすべてを 賭けられるのに
秋だというのに 恋も出来ない
メランコリー メランコリー

それでも 乃木坂あたりでは
私は いい女なんだってね
腕から 時計を はずすように
男と さよなら 出来るんだって
淋しい 淋しいもんだね~

人の言葉を しゃべれる鳥が
昔の男(ひと)の 名前を呼んだ
にくらしいわね

男は どこかへ 旅立てば
それでなんとか 絵になるけれど
秋だというのに 旅もできない
メランコリー メランコリー

それでも 乃木坂あたりでは
私は いい女なんだってね
恋人つれてる あの人に
平気で 挨拶しているなんて
淋しい 淋しいもんだね
淋しい 淋しいもんだね~♪

四畳半から青山へ

梓の新曲を担当したプロデューサーは、先に拓郎に、作曲の依頼をしたそうで す。その時、拓郎は、作詞家のチョイスは「俺にアテがあるから、任せてくれないか」と言ったんですって。そして、遊び仲間の後輩(1つ年下)の喜多條忠に声をかけます。

「梓みちよの新曲を頼まれた。テーマは、都会の大人の女の本音だ。でもさ、お前、貧乏ったらしい四畳半の歌詞ばかり書いていやがるから、大人の流行歌の詞なんて、書けるわけねぇよな。そうだ、やっぱり松本隆に頼むとするかね」

えげつないばかりの、拓郎の挑発に、喜多條は「やらせてもらいますよ。書きゃあイイんでしょ、書きゃあ!!」……と、口走ってしまって。

すぐに後悔したんですって。そりゃそうでしょう。東京は港区青山生まれの松本隆にとって、都会の女を描くのは朝飯前でしょうが、喜多條は出自が違いますからねぇ。嗚呼、引き受けなきゃ良かったなぁ、ブツブツ……。

でも、喜多條にだって意地がありましょう。ウンウン唸りつつも、どうにかこうにか、締切の日時までに歌詞を書き上げました。

結果オーライという発想で捉えりゃ、この楽曲はかなり売れましたし、プロ作詞家・喜多條の〝新境地〟が、広く芸能関係者に知られる存在になりました。

その証拠と言いましょうか、翌年には、当時、トップ級のアイドルグループ・ キャンディーズの、シングル曲の作詞を、みごと3つもGET!! 『やさしい悪魔』(昭和52年3月1日発売/作曲:吉田拓郎)、『暑中お見舞い申し上げます』(昭和52年6月21日発売/作曲:佐瀬寿一)、『アン・ドゥ・トロワ』(昭 和52年9月21日発売/作曲:吉田拓郎)」……。

すべての楽曲が、オリコンの「週間チャート」のベスト5にランクインしたわけですからね。まさに、拓郎サマサマでしょう。

喜多條は『メランコリー』の歌詞を書き上げるまで、歌唱の梓みちよ同様、結構長いことスランプに陥っていた、……と本人がエッセイに書いています。

早稲田大学を学費滞納により中退した彼は、文化放送のラジオ番組をメインに 放送作家として活躍します。番組の構成作家と出演者の関係で、喜多條は、か や姫というフォークグループを率いる、南こうせつと出会いまして、25歳当時、 こうせつの依頼で、『神田川』(昭和48年9月20日発売/作曲:南こうせつ)の 作詞を手掛けることになります。

このシングルレコードが、トータルで200万枚売れまくったことで、たちまち、かぐや姫には【四畳半フォーク】の歌い手という、不名誉? なレッテルが貼られました。加えて、歌詞を手掛けた喜多條も、「貧乏クセェー四畳半をモ チーフにした歌詞しか書けない」作詞家だと、業界内で勝手に〝仕分け〟されてしまった、……ようですね。

そんな喜多條が、ある意味、生まれて初めて書き上げた、(すでに死語でしょうが)〝シティ・ポップス〟の歌詞が、『メランコリー』なのです。

青山や乃木坂あたりの、いかにも小洒落た酒場で見かける、小洒落た〝大人の女〟が、胸中の本音を、酔いどれたフリをしつつ、ふと……物憂げに愚痴る。

拓郎が紡ぎ出す、細かく上下に揺れ動く音符進行が、ややもすると辛気臭くなる〝空気〟に、少し手前でブレーキをかけ、自嘲気味な私を自己演出している 〝風〟に見えるので、愚痴を聴かされる側も、どこかホッとする……。歌詞とメロ ディの融合が、お見事!!です。

この原稿を仕上げるため、you-tube音源で何度もコレを聴きました が、いやぁ、改めて、梓みちよって歌手の凄さを感じました。もちろん解ってはいたんですよ~。でも、ううむ、唸ってしまいたくなるくらいに上手いなぁ。

自他とも認める圧倒的な声量を、楽曲の世界観に合わせて、あえて抑え気味にし、やや斜に構えて立ち、マイクも傾けながら、まるでバーの止り木で隣り合わ せた、見知らぬ客に、嘯くがごとく唄う……。タイトル通りの〝メランコリー〟な光景が、ふわりと、聴く者の目の前に拡がります。

楽曲の発売当時、私はまだ十分にガキでして、彼女のアダルトな色気を感じられずにいましたが、いやはや、梓みちよ、最高です!! 彼女の他の楽曲も、聴きまくってみたくなりました。こうなりゃ次回、続けて、梓みちよ特集を書きまく りましょう(笑)。

ひょっとして、さほど歌謡曲に興味のない皆さんは、いまだに、梓みちよイ コール『こんにちは赤ちゃん』と思い込み過ぎているかも? しれませんね。

違います。それは、あまりに〝もったいない〟誤解です。『メランコリー』以外にも、多々、大人の女の色気を感じさせる、昭和歌謡の名曲はございます。次回に、乞うご期待。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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