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編曲家というお仕事

昭和歌謡_其の十五

歌が歌で、曲が曲であるために

編曲って

「塀の中の懲りないスターたち」    芸能史上、最悪の犯罪者は!?

いやぁ、暑い暑い。前回のコラムの書き出しも【これ】でしたが、今回もまず、この殺人的な猛暑、39度、40度……、人の平熱をはるかに超えてしまった、この夏の異常な気温の高さについて、触れずに本編へ入ることはできません。

暦だけは、立秋を迎えたわけですが、今年の残暑はまだまだ続くとの予報です。

連日、それも早朝、深夜の変化もなく、垂れ流しのごとく暑さが続きますと、脳のメカニズムが狂い、思考がおかしな方向に走ります。私の場合、普段は気にならないことが、やたら〝引っかかったり〟します。

真夏の炎天下、それも今年のような殺人的猛暑のなか、新築住宅の建築現場などで働く大工ほか土建関係の職人さんは、実際、どんな気持ちでいるのだろう、と。

もっとハッキリ言わせていただければ、たとえば柱に打ち込む釘1本、壁にはめ込むネジ1本、〝そうでない〟季節の作業に比べると、いくらか手抜きになるのではないか? あともう1、2回ネジをキツく回せば、しっかり固定されるものを、額から引っ切り無しに垂れ落ちる汗と格闘しつつ、「まぁ、いいか、このへんで」と……、つい自意識が、厳しい自然環境に負けてしまうのではないか?

いや、私は屋外作業の職人さんを責めているわけではありません。むしろ逆、かなりのシンパシーを込めて「そりゃ、そうだよ。当然だよ」と言いたいのです。小学校のプールが温水化する現実のなか、肌に突き刺さるほど痛い直射日光を、長時間浴び続けながら、直径わずか数ミリのネジを、「きちんと最後まで、固くキツく締めなさい!!」との要求は、酷としか言いようがないでしょうし。

ちょうど今、わが家の左斜め下のお宅で、3階建て住居の全面改築が行われているのですが、ここ3週間ほど、外壁関係の作業がほとんど進んでいないように見えるもので、余計にそんなことを考えてしまうのです。

たまたま馴染みの飲み屋で、大工の親方の3代目を自称するオッサンと知り合いましてね。失礼を承知で訊いてみたのです、「手抜きはないのか?」と。答えは簡単、「あるよ。あるに決まってんじゃん。この猛暑だぜ。そうでもしなきゃ、俺たちみんな、死んじまうよ(笑)」でした。

嗚呼やっぱりな。ほぼ予想通りの返答でしたので、さしたる驚きはありませんでしたが、わずか数%ほどは、「冗談じゃねぇ!! こちとらプロだぜ。熱中症で倒れたって、万にひとつ、手抜きなんぞはするもんかよ」ぐらいの、景気の良い啖呵も期待していたのですがね。

「ただね、手抜きったって、あんたら素人がチェックしたところで、決してわからねぇようなレベルだよ。まっすぐに打ち込むはずの釘が、ほんの零コンマ数ミリずれる。均等に塗られるべき接着のボンドが、やや凸凹になる。その程度のことであって、事故につながるような、明らかな手抜きは、少なくとも俺の現場じゃ絶対に許さねぇ。3本の柱で支えるところを、暑くて面倒だから2本に省いたりな。板を数枚重ねるところを、1枚に省いたり……、そんな手抜きは、間違ったって、あっちゃいけねぇ。犯罪だよ、犯罪!! いくら気温40度の炎天下だって、やっちゃいけねぇことだけは、死んでもしないのがプロってもんよ」

確かに、どんなジャンルの仕事においても、絶対に〝やっちゃいけねぇこと〟がありますよね。われわれプロの物書きでいえば、盗作でしょうか。どんなに〆切に追われ、ネタ創りに詰まっていても、それをやっちゃあ、おしまいです。犯罪です。悪魔の誘惑とやらに乗せられて、いざ実行した瞬間、仕事を、いや人生を失います。

昭和歌謡全盛期、ビッグスターの座に君臨しつつ、絶対に〝やっちゃいけねぇこと〟をやってしまった。――犯罪に手を染めてしまった例として、一番わかりやすいのは麻薬関係ですかね。大麻、覚せい剤の所持や吸引。歌手の実名を挙げていくと、キリがないほど、数多くの皆さんが逮捕されてきました。

最多の逮捕歴を数えるのは、間違いなく清水健太郎でしょう。

1976年11月21日に『失恋レストラン』(作詞&作曲&編曲:つのだひろ)でデビューした時は、同期の新人たちの中で一番の売れっ子でしたし、年末の賞レースである「日本レコード大賞」と「日本有線大賞」の最優秀新人賞をダブルで受賞し、スター街道まっしぐらという、猛烈に恵まれた環境に置かれていたんですけれどね。

映画俳優としても、デビュー早々、翌年に公開の東映製作の映画、『ボクサー』の主役に抜擢されました。これは、ボクシング好きとして知られる、〝あの〟寺山修司が、清水の個性からイマジネーションを膨らませて、脚本の大筋を決めたうえで、みずから監督も引き受けたという、当時、かなり話題になった作品です。

足に障害のある新人ボクサーという、難しい役どころでしたが、落ちぶれたトレーナー役の菅原文太を相手に、丁々発止、みごとに演じきっていましたね。この縁で文太に可愛がられたようで、彼の看板映画『トラック野郎』シリーズ第6弾・『男一匹桃次郎』(1977年12月24日公開)に出演の機会を得ました。

以降、文太が出演する『総長の首』(1979年3月24日公開)、『制覇』(1982年10月30日公開)、『修羅の群れ』(1984年11月17日公開)など、極道モノの映画に立て続けに出演することで、役者としての腕を上げるとともに、プライベイトでも、本物のヤクザ者たちと親しくなり始め……。気づけば、シャブに溺れる体になってしまったのです。

じつは清水は、芸能界にデビューする前に、すでに一度、逮捕されています。1973年、大学在学中に、みずから運転する車が歩行者の女性をはね、死亡させました。業務上過失致死の現行犯として逮捕され(1回め)、罰金15万円と免許停止180日の行政処分を受けていたのです。

このことを、本人は隠してデビューしたものですから、発覚後、けっこうなスキャンダルになってもおかしくない話ですが、当時、さほど騒がれなかったような印象があります。

大騒ぎになったのは、極道モノの映画には〝欠かせない役者〟になりつつあった、1983年、大麻取締法違反で逮捕されました(2回め)。同じ罪で1986年にも逮捕(3回め)。さらに1994年、大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反で逮捕(4回め)。この時は、懲役1年6か月の実刑判決を受けています。

2004年には、またしても覚せい剤取締法違反で逮捕(5回め)。懲役2年4ヶ月の実刑を喰らいました。2008年には引き逃げ事故により、3日後に出頭して逮捕(6回目)、懲役7ヶ月の実刑処分。2010年に、懲りずにまた覚せい剤取締法違反で逮捕(7回め)、懲役1年10か月の実刑処分。それでも懲りずに2013年、合成麻薬の使用の容疑で逮捕(8回目)……。

逮捕歴を記すだけでも疲れてしまうくらいに、繰り返し何度も何度もパクられてきた清水健太郎。刑務所の〝臭い飯〟とやらは、そんなに美味しいのか? ムショの塀の中とシャバとを行ったり来たりの人生。彼も今年で65歳になりました。

4年ほど前、久しぶりに清水のニュースとして、逮捕ネタではなく、個人事務所の社長を務める18歳年下の女性と、3度目の結婚の発表、および『リスタート(再起動)』というアルバムを発売した……との報道がなされましたが、売れ行きはどうでしたか?

女性版の清水健太郎といえば、ご年配の皆さんはご存知でしょう、青山ミチという名前が飛び出します。〝ミッチー〟という愛称で親しまれ、そのパワフルでパンチのある歌声は、後輩分の和田アキ子などより、はるかに格上のはずです。

1963年に発売した『ミッチー音頭』(作詞:岩瀬ひろし/作曲:伊部晴美)、1965年にエミー・ジャクソンとの競作になった『涙の太陽』(作詞:R. H. Rivers(訳詞:湯川れい子)/作曲:中島安敏)などが、大ヒットしまして、文句なし、ビッグ・スター歌手の1人だったはずですが……。

1966年11月、覚せい剤取締法違反で逮捕されて以降、清水同様、何度も何度も覚せい剤でパクられ、万引きでもパクられ、長らく行方知らずだったようですが、去年(2017年)の1月、急性肺炎で亡くなったそうです。新聞の片隅の、ほんのちっぽけな訃報扱いでした。

大麻および覚せい剤の所持や使用で捕まっても、正直な話、本人の心身がボロボロになるだけのことですが、罪が〝殺人〟となれば、話がまったく異なります。

昭和歌謡全盛期の大スターでありながら、人を殺してしまった、それも偶発的でも何でもなく、あくまで用意周到、小賢しく計画をたてて愛人を殺してしまった、極悪非道な歌手といえば、こいつしかいないでしょう。克美しげる!!

1960年前後に始まったロカビリー・ブームに乗って、1962年、ジョン・レイトンのヒット曲『霧の中のジョニー』の日本語カバー(作詞:漣健児/作曲:ゴダード)でデビューしました。いきなり40万枚を売り上げる大ヒットとなり、克美しげるの名前は、全国の歌謡曲ファンに知られます。

翌1963年に放映されたTVアニメ『エイトマン』の主題歌(作詞:前田武彦/作曲:萩原哲晶)を唄い、子どもたちにも彼の歌声は親しまれ、さらに翌1964年、初めてオリジナルの歌謡曲『さすらい』(作詞:十二村哲/作曲:北原じゅん)を吹き込んで、60万枚の大ヒット!! NHK「紅白歌合戦」にも2年連続出場しました。

しかし彼のブレイクは、残念ながらここまで。その後は、出すシングルがことごとく売れず、にもかかわらず、多額の借金(およそ1000万円)をしてまで〝見せかけ〟のスターを演じ続け、毎夜のように銀座のクラブで遊びまくりました。

その過程で知り合った人気ホステスOさんに、「妻とは離婚した」と嘘をついた上で、毎月30万円(現在の100万円)をもらい、借金は完済します。

これに味をしめた克美は、賭けマージャンなど各種のギャンブルで膨れ上がった、新たな借金も、Oさんに貢がせて返済。彼はOさんの懐だけをアテにし、芸能活動もそっちのけで放蕩無頼の生活を続けます。

Oさんの持ちカネが足りなくなると、克美みずから説得し、トルコ風呂(現在のソープランド)に働かせて貢がせ続けました。その額は、当時の金額で4000万円近くにのぼったそうです。

さらに驚くべきことに、岡山にあるOさんの実家を訪れ、彼女の両親に「娘さんと結婚したい」と告げ、先方の親族、知人だけ集めた偽装結婚式まで挙げているのです。こうしてOさんの親族からも、あらゆる理由をこしらえて、大金を融通させました。

ここまで記すだけでも、克美が桁違いの〝ひとでなし〟であることは明らかでしょうが、でも、いつの時代もヒモ体質の野郎はいるもので、Oさんが彼に本気で惚れているのなら、他人が意見する必要もないかもしれません。

ところが、どういう風向きの変化でしょうか、所属のレコード会社の内部で、にわかに「克美しげるカムバック作戦」と名付けた企画が進みだしたのです。3000万円の制作予算をかけ、芸名は漢字の「克美茂」に変えたうえで、新曲の『傷』で再デビューを果たします。スタッフからは、「くれぐれも身辺はきれいに整理しておけよ」と命じられたため、克美は急にOさんから離れ、妻子の元へ帰ります。

このことでOさんに偽装結婚がバレてしまい、騙されたことにようやく気づいた彼女は、「すべてマスコミに暴露してやる!!」と克美を責めました。

もはや何ひとつ言い訳が通用しなくなったことを悟った彼は、カムバックの邪魔になると考え、1976年5月6日、Oさんの首を締めて殺害。友人所有の車のトランクに遺体を隠したまま、羽田空港の駐車場に車を停め、新曲『おもいやり』(作詞:阿久悠/作曲:三佳令二)のキャンペーンのため、札幌へ飛び立ったのです。

5月8日、車のトランクからの異臭、加えて「体液らしきものがしたたり落ちている」と警備員が通報し、捜査の結果、克美の犯行が発覚しました。何も知らず、脳天気に羽田空港へ戻ってきた彼を待ち受けていたものは、懲役10年の実刑判決と、刑務所での新たな生活でした。

彼の逮捕以降、しばらくの間、TV番組も新聞紙上も、日本の芸能史上、まさに前代未聞の一大スキャンダルを、繰り返し繰り返し報道し続けました。皮肉なことに克美しげるは、スター歌手ではなく、人でなしの殺人犯として、見事にカムバックを果たしたのです。

ううむ、あまりにオゾマシイ!! 事件のあらましを記すだけでも、気色悪さに反吐が出ます。

真夏の夜の怪談話がわりに、本当にあった怖~い話です。

少しは、猛暑で火照りまくった体が、涼しくなりましたか?

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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