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弘田三枝子

昭和歌謡_其の六十一

愛されて、忘れられて、捨てられて

『人形の家』弘田三枝子

まっとうな時代

このところ数回、オハズカシナガラと前置きをさせて頂きつつ、私の性の情動がらみの「若気の至り」……ヰタ・セクスアリスを、つらつら披歴して来ました。

その当時、その当時の記憶を思い返しつつ、私がやらかした出来事を、ひたすら文字に転化することは、まことに身勝手な理屈でありましょうが、やはり、いささかながら懺悔の心持ちも含まれております。それが本音です。

原稿を書き終えた時に、長年、自意識の奥にべったりとこびりついていた、澱(おり)のようなモノが、ほんの少しではありますけれど、剥がれ落ちたようです。

想えば私の人生、欲情がらみの出来事には、今時ならばネット炎上必至の、破廉恥きわまりない言動が付いて回りましょう。禿げナス頭になった今、つくづく感じますことは、昭和という時代の、いろいろな意味での懐の深さです。まさに懐の広さに、救われっぱなしでしたね。

世の中自体に余裕があったということでしょうかね。正直、「何をしたって許される!!」ような、良い意味でも悪い意味でも、どこか脳天気な【空気】が、街のいたるところに漂っていました。

その事実を見識者どもは、バブルというミモフタモナイ【たった一言】で片付けてしまいますし、それはそれで経済史的には〝正しい〟のでしょうが──、

昨今のコロナ禍で、アレをしても駄目!! コレをしても駄目!! 大人も子供も、みずからの欲望を「ほんの少し」でも具現化させた瞬間、まるで〝赤の他人〟の自粛警察とやらに、待ってました!! ばかりに「人間のクズ!!」「非国民め!!」と罵倒され、ネットに同居家族の個人情報まで拡散されるという、……はなはだ理不尽かつ窮屈極まりない!! 息苦しくてたまらない!! ストレス満載の日常に置かれますと、

思いっきりバカが付くほど脳天気でいられた、私の子供時代&青春時代の毎日が、人間の営みとすれば、冗談抜きに【まっとう】だったように感じます。

世の中の空気が【まっとう】だった時代の、私のヰタ・セクスアリスは、ほじくればほじくるほど、呆れるほど記憶の彼方から飛び出して来ます。【それら】はまた、読者の皆さんのご迷惑も省みず、あくまで私の懺悔のために、たびたび、こちらに綴らせていただきます。どうかご容赦を。

さて【まっとう】だった時代は、音楽業界にも、【まっとう】な歌手が多く活躍しました。

歌手の【まっとう】さとは、何ぞや? さまざまな理屈がありましょうが、「歌が上手い!!」、「歌唱力が抜群!!」……それ以外の【まっとう】さなど、歌手に必要ないはずです。

その意味において、きわめて【まっとう】だった女性歌手が1人、また彼岸へ旅立ちました。昭和歌謡のビッグスター、弘田三枝子。享年73。現状、TVもネットも、マスコミ報道のほとんどがコロナ情報一色!! ……である中、7月21日の彼女の訃報を、どれだけの日本人が知り得たでしょうか?

たまさか民放のワイドショーの途中に、ほんの数分、訃報を流したとしても、番組に出演の面々は、司会者も含め、まぁ、当たり前といやぁ当たり前かもしれませんが――、誰一人して弘田三枝子の活躍はおろか、名前すらご存じない顔つき!! でしてね。

あまつさえコメント報道のBGM代わりに流される、彼女の代表曲が、『人形の家』のサビの部分という皮肉。あー、いや、楽曲の存在も知らないわけですからね、私が皮肉と感じる【意味】にも、100%、感応しないでしょう。

♪~埃(ほこり)にまみれた 人形みたい
愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ~♪

洋楽カバーの『子供ぢゃないの』(昭和36年11月発売/作詞:John Schroeder/作曲:Mike Hawker/歌唱:ヘレン・シャピロ)で、デビューしたのが14歳。レコード発売後、たったひと月で6万枚を売り上げてしまい、

翌年の『ヴァケーション』(昭和37年10月発売/作詞:FRANCIS CONNIE/作曲:HUNTER HANK)も、伊東ゆかりたちと共作ながら、20万枚の大ヒットを飛ばしました。

当時の愛称は、MIKO(ミコまたはミーコ)。熱狂的ファンだった、サザンオールスターズの桑田は、看板ソングの『チャコの海岸物語』(昭和57年1月21日発売/作詞&作曲:桑田佳祐)の歌詞の中で、その想いを打ち明けたほどです。

♪~心から好きだよ ミーコ 抱きしめたい
甘くて すっぱい人だから~♪

都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりやほか、ニューミュージック&ロック系の大物ミュージシャンに、多大な影響を与えた歌手でもあります。

彼女の、初期の頃の歌声のエナジーは、まさにダイナマイト級の迫力がありまして、今、YOU-TUBEで聴いても、その野太く唸りを上げて唄い切る、〝完璧すぎる〟歌唱力は、鳥肌が立つするほど凄いです。

国内外の芸能史に精通している、作家の小林信彦は、自著の中で、ミーコの出現を「まさに大天才の少女あらわる」と評し、「戦後の17年は無駄ではなかった」などと、最高級の賛辞を送りました。

彼女の比類なき群を抜いた歌唱力は、まさしく天性の【才】だったのでしょうが、もう1つ、おそらくは親から譲り受けた天性の……顔立ちが、ミーコの最大の不幸でした。〝ずんぐりむっくり〟という形容がピッタリ来る、いわゆるタヌキ顔。おまけに小太り。ハッキリ言って、美人じゃなかった!!

いえ、今、当時の歌唱映像をyou-tubeなどで鑑賞させてもらうと、【これ】は【これ】で、なかなか愛くるしい印象も強く、茶目っ気あふれる性格と相まって、先輩芸能人たちにメチャメチャ贔屓にされたのも、よく解る気がします。

あまりに彼女の存在が眩しいものだから、つい、口が悪い……ハナ肇や前田武彦、大橋巨泉あたりが、愛情を込めて〝わざと〟「ブスだ!!」「ブスだ!!」と、からかうわけですよね。

言われた彼女は、まだ中学を卒業する前ですよ~。なかなかに賢い娘だったらしいですから、如才なく「あはは、そうなの、私はブスで~す」などと、軽く笑いながら受け流す──風を装いつつ、内心、猛烈に傷ついてしまっていたはずですよね。

実際〝その通り〟でして、レコードが売れれば売れるほど、スター歌手として大金が舞い込めば舞い込むほど、彼女の悲願は、洒落でも冗談でもなく、「お金をかけて、全身、どこもかしこも綺麗になりたい!!」になってしまいました。

そのうちに昭和40年代に入ると、急に洋楽カヴァーも飽きられてしまいます。また、昭和37年6月以降、オリジナルの歌謡曲のレコードを何枚も発売しましたが、ほとんど話題になりません。気付けば、熱狂的なミーコ旋風も、どこかへ消えてしまい……。

人形の家

それまでの明るく元気でポップ一辺倒なイメージを、がらりとひっくり返し、アダルトな女の心情を切々と唄い上げる楽曲、『人形の家』(昭和44年7月1日発売)を、作詞家のなかにし礼&作曲家の川口真から提供された時、ミーコは22歳。華々しいデビューから、早くも8年の月日が流れていました。

♪~顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて
とても信じられない 愛が消えたいまも
埃(ほこり)にまみれた 人形みたい
愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた

あれはかりそめの恋 心の戯(たわむ)れだなんて
なぜか思いたくない 胸がいたみすぎて
埃にまみれた 人形みたい
待ちわびて待ちわびて 泣きぬれる部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた~♪

この楽曲を熱唱し、ふたたびTV画面を通して、全国のお茶の間に姿を現した時、ミーコファンは大いにたまげました。何故? 彼女の顔が、タヌキでなくなってしまったから。彫りが深い、イタリア人女性のような顔立ちで、ステージの中央、スポットライトを浴びたのです。加えて彼女の体型も、いつの間にか〝ほっそり〟!!

念願かなって、ということなのでしょうね。ミーコは、スター歌手として稼ぎまくったマネーの、すべて(かどうかは、分かりませんが)を、当時、芸能人たちの間で流行りだした、整形外科手術に注ぎ込みまくったのです。

結果は? まぁ【大成功】した……のでしょうね。〝その〟風貌が、日本人の顔立ちに似合うか否か? は別にして、とりあえず「私はブスで~す」では、なくなったわけですから。

まるで別人に変身したミーコは、『人形の家』によって、46万枚以上のレコードを売りまくるともに、見事に音楽業界へのカムバックを果たしたのです。

……が、生身の体を〝いじった〟代償は大きく、ミーコ自慢のダイナマイト級の歌唱力は、残酷なまでに【消えて】しまいました。代名詞代わりの声量がガタ落ち、かつ美しく伸びやかだった高音域も「無理をしないと出せない!!」という、致命的な有り様に。

デビューがほぼ同期の中尾ミエが、某生放送の番組にて、相変わらずの口の悪さと言いましょうか、ハッキリと意地悪な口調で、当時の印象を語りました。

「彼女がブレイクした時、私も歌唱力には自信があったけど、弘田さんには負けたわね。そのぐらい、迫力ある唄い方だったから。でも、ほら彼女、突然、綺麗になったでしょ、手術して。それも全身ね(笑)。綺麗になればなるほど、声が出なくなったのよ。もったいないこと、しちゃったわよね」

さらに年を経るごとに、ミーコの顔は、明らかに整形の後遺症でしょう、観るも無残に崩れて行きます。それでも彼女は、持ち前のパワーで、可能な限りの歌謡番組に出演し続けました。

以降、月日だけが素早く過ぎ去り、令和の時代に突入しても、ミーコは唄い続けます。歌唱力がなくなろうが、高い音のフレーズが出せなかろうが、そんなことに一切、頓着せず、自分が唄える場所がある限り、スポットライトを浴び続けます。

ネット上で、口が悪い連中に「化け物あらわる」とあけすけに書かれまくりましたが、ありがたいですねぇ、熱狂的ファンという方々は。噂によれば、某静岡市内に住む資産家が、後援会の会長で【居続けてくれた】おかげで、ミーコは生涯、彼女をスター歌手として崇(あが)めてくれる〝お仲間〟に囲まれながら、『人形の家』を熱唱しまくって来たのです。

とっくの昔に、世間の大半に【忘れられた】はずなのに……。

つい数ヶ月前も、コロナ自粛下のリモート出演の格好で、YOU-TUBEの画面に「化け物」の顔をさらしつつ、【忘れられて】【部屋のかたすみに捨てられた】人形同然……の、女の悲しみを、高音域どころか、音程さえもアヤウイという、ほぼ聴くに耐えぬ状態であることなど、まったくお構いなしに、自分の世界に酔いしれた印象で、熱唱しておりました。

♪~埃にまみれた 人形みたい
愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ~♪

リスナーの心情はどうあれ、弘田三枝子は、自分の世界観において〝スター歌手のまま〟死ねたのでしょう。非肉抜きに〝あっぱれ〟なことです。

勘違いだろうが、気狂いだろうが、大きなお世話じゃないですか!! 自分は、昔も今も、今生(こんじょう)でも彼岸でも、あくまで弘田三枝子なのですから。ず~っと〝現役歌手〟なのですから。

これを記しつつ、ふと、喜劇映画の名監督・ビリー・ワイルダーが撮った、ブラックコメディと呼ぶには、あまりに恐ろしすぎる内容の、『サンセット大通り』(1950年公開)を思い出しました。

サイレント映画時代の大スター女優、今や、妄想狂と化した【ただの老婆】が、気まぐれに取材に来た、若造シナリオライター相手に、毅然として、以下の台詞を放ちます。

「あなた、ノーマ・デズモンドですね、昔、大女優だった?」
「昔? ふん、私は今でも大女優。小さくなったのは映画よ!」

――合掌

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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