令和七年 霜降
カタチにせえ

門司港のパゴダ
ブーン
霜降_晩秋から初冬の時期に降る通り雨「時雨」が訪れる頃である。
時雨がパラパラと降った後に晴天が広がると、草木は瑞々しく清清とした心持ちで深呼吸の一つもやりたくなる。同じくこの時期に現れる日本では小春日和、アメリカでインデアン・サマーと呼ばれる日は愉しみで心が安らぐ。
しかし、今年は小春日和がなかなか訪れず、どんよりとした曇り空に秋の長雨が居座っている。気温もグッと下がった。一昨日21日の東京は最低気温10度前後と十二月中旬の冷え込みとなった。
気温が下がると体温が下がり頻尿の具合が思わしくなくなるのは、爺いの宿命である。先日、明け方に三回目かのトイレから戻った際、部屋の外から〝ブーン〟という聴き慣れない機械音がしていた。寝床に入ってもその音が気になって眠れない。どこで鳴っているのかと、他の部屋を確認するもわからない。音というものは気になりだすと堪らない。寝床に潜り込んで布団を頭から被っても聞こえてくる。実際の音か残響かも分からなくなる頃には完全に目が醒めてしまった。
顔を洗い歯を磨いたところで水が止まった。パソコンを立ち上げるが、インターネットに繋がらないというエラーメッセージが。携帯もネットに繋がらない。WIFIのモデムをチェックするとこちらもエラー。テレビを点けてみるも映らない。管理センターに連絡するも不通である。部屋の電気は点いているので停電ではなさそうだ。やがて早朝にもかかわらず館内放送が響いた。
「ただいま共用部の設備関係の電源が落ちたため機能が停止しておりご迷惑をおかけしております。復旧に向け対応中ですので、しばらくお待ちください」
原因が判り、アクシデントでは使用が無いと諦め、読みかけの小説を読むことにした。後に分かったが、ブーンという機械音もこのアクシデントが原因ということであった。
しかし、設備関係の電源が落ちるとインターネット・テレビはもちろんのこと水道まで止まるというマンション機能の脆弱さに不安を覚えた。電気がなければ現代生活というのがいかに脆いか。巨大地震が起きた場合の、震動や津波による被害も甚大であろうが、その後に続くインフラ破壊による生活基盤の崩壊の方が長く辛いものになるのだろうなと、体力気力の衰えの著しい年寄りである私は、その前にくたばりたいと切に願うのである。
名前が呼べません!
前回「寒露」のコラムでタイ仏教のことを書いていて、縁あったタイのおもろい坊主「藤川チンナワンソ清弘・和尚」と旅した時のことを思い出した。
私が初めて会った時、藤川さんは比丘(僧)としておよそ4ヶ月の雨季の間に寺に籠もって勉強をする上座仏教の修行「雨安居(うあんご)」を十度過ごし、布教・修行の場を自分自身で選べる〝長老〟と呼ばれる立場になっていた。我々は日本風に和尚という呼称で呼んでいた。当時、藤川和尚はバンコクから車で2時間ほどのタイ湾に近接するサムットソン・クラームのポムケウ寺に属しながらタイ国内外を精力的に活動していた。〈藤川和尚について詳しく書いたコラムは「タイでおもろい坊主になってもうた前編・中編・後編」〉
藤川和尚の活動の拠点の一つに、ミャンマーのマンダレーから南に2時間あまり下ったメイティーラーという街の小さな寺があった。和尚はこの寺に子供達中心の日本語学校を作っていた。和尚自身が常駐することは出来ないので、学校の授業と運営は現地の人に任せていた。授業はヤンゴン大学日本語学科卒業の若い優秀なミャンマー人が教鞭を取っていた。
藤川和尚と知り合って三年ほど経った時だったろうか、東京の私にタイの藤川和尚から連絡があった。
和尚「来月、メイティーラーの学校を任せている女の人と一緒に日本に行くんや、で、今回あんたの田舎にあるミャンマー仏教界が開いたパゴダに行きたいんやけど、付きおうてくれんか」
私「喜んで、楽しみにしてます」
この場合、私の和尚に対する積徳(布施・タンブン)であるから、私を含めた三名分の旅費等々は私の支払いである。伝えられた日程で飛行機・ホテルの手配をして藤川和尚の到着を待った。飛行機の予約は、和尚同行の女性の名が分からぬので妹の名前で取った。
翌月、藤川和尚が日本に到着し、関係者等との歓迎会などがひと段落したところで挨拶に行った。
和尚の傍らには、年の頃は三十代半ばと思しきミャンマー女性が立っている。控え目で誠実そうな人だった。
和尚「おー、久しぶり、この人が学校を任せている〝まんげ〟さんや」と、和尚はニタニタ笑いながら言う。
私「えっ〝まんげ〟さんですか?」
和尚「そうや。〝まんげ〟や〝まんげ〟」…嬉しそうに公衆の面前で連呼する。
私は、女性がコクリと頭を下げるのを見て〝まんげ〟と言う名前に間違いはなさそうだが、これから道中、人前で彼女の名前を呼ぶのをどうしようと悩んだ。名前を呼ばないのも失礼だし。
そんな私の戸惑いを面白がって、和尚はやたらと〝まんげ〟を連呼している。〈おのれは、小学生か!〉心の中で和尚に怒鳴り、ウーと唸る私。タイで出家して十数年修行しても京都の地上げ屋の気質は変わらんなと、仏教の無力化を疑う私であった。
旅の初日、空港・飛行機内・移動の車内や列車・ホテル・レストランで私が苦労しているのを横目に〝イヒヒ〟と笑う糞爺。
翌朝、ホテルのチェックアウトの際、パスポートを見ながら彼女と話して名前の秘密がわかった。〝まんげ〟ではなく「マ・ンゲ」さんである。それをこのクソ坊主が、わざと〝女性の恥ずかしい毛〟を連想させるようなイントネーションで発音していたのである。さすがに私「あのねー藤川さん。子供じゃないんだから、勘弁してくださいよ」に「ひゃっはっは」と〝でかいガキ〟。私のこの二日間の苦悩の時間を返せ。和尚でなけりゃ、ホテルの前の門司港に蹴落としてやりたい気分である。以降「マさん」とお呼びして何の支障もなく旅は続く。
私たち「マ・ンゲ」一行の初日の目的地は、私の郷里北九州市・小倉の隣、本州下関の対岸・門司港であった。九州の海の玄関口門司港は、横浜や神戸と並んで海外貿易の中心地として栄えた。全盛期には年間600万人の利用者で「不夜城」と称されたほどである。門司港は台湾から近いこともあって、戦前はバナナが大量に陸揚げされた。露天の啖呵売り「バナナの叩き売り」は、門司港が発祥とされている。戦時中は、この港から200万人以上の兵士が戦地に送り出された。門司港は煉瓦造りの倉庫や建造物が多く、これが横浜の赤レンガ倉庫に煎じて同じような観光地化を進めて成功していたが、それまでは、以前の面影もなくなった寂れた港町で暗くガラの悪いところだった。
二日目は、この旅の本来の目的地である「世界平和パゴダ」を訪れた。門司港から車で15分ほどの古城山の山頂、和布刈(めかり)公園に隣接するミャンマー式寺院(パゴダ)「世界平和パゴダ」は、日本で唯一ミャンマー政府・仏教会から公認されていて、第二次世界大戦下で門司港から出征した戦没者の慰霊を目的に1957年(昭和32年)設置された。パゴダには、代々ミャンマー仏教会から派遣された僧侶が常駐している。
古城山を上り和布刈公園を過ぎ、本州方面に源平合戦の地、壇ノ浦を望みながら、さらに坂道を進むと金色の先塔を持つパゴダが見えてくる。さらに先に行くと大きな宿坊の前に出る。
宿坊の玄関で声をかけると、あきらかに僧侶とは違う日本人男性が迎えにきて奥へと通された。がらんとした板の間の大広間に、色の浅黒い痩せギスだが筋骨のしっかりとした欝金の法衣姿の僧侶が胡座の上に座っていた。薄くなった白髪頭の下の白い眉の奥から覗く眼光が鋭く、生半可な能書きを垂れると叱り飛ばされそうで、挨拶よりも先に緊張が襲った。
和尚に「久しぶりやのう。こん前会(お)おたんは東京やったか」
私に「お前小倉の者(もん)か。ここのパゴダ見たんは初めてか」
と、僧侶は濁声でコテコテの小倉弁を話した。法衣を纏っていなければ、どこぞの反社の組長と言われても不思議はない貫禄と迫力があった。しかし、決して威圧的ではない存在感であった。それは、何の気取りもてらいもない。ただただ無駄なものを省きそぎ落とした。長年の修行を積んだであろう真っ当な僧侶らしい僧侶がそこにいた。
この老僧がウダンマサラ僧正だった(と、記憶している)。
僧正の他には、八十代と思しき男性が二人いた。このお二人はビルマ戦線(現ミャンマー)地獄の行軍「インパール作戦」から生還された方々だった。私には知らされていなかったが、藤川和尚の今回の目的は、僧正への表敬訪問と、このインパール作戦の生証人のお二人からお話を聞くことであった。お二人は資料を提示しながら、インパール作戦がいかに日本兵を悲惨な目に合わせたか、また、作戦を指揮した司令部がいかに日本兵の生命を無駄に奪ったかを熱弁された。その内容は重く凄惨であった。日本語がわからぬ「マ・ンゲ」さんには、僧正がミャンマー語で説明された。〈インパール作戦についてのコラム〉
帰り際、帰還兵のお二人から資料のコピーを渡された。僧正が私に「お前、編集の仕事やっとるんやろ、だったらこれを何とか形にせえ」と言われた。どうも藤川さんが僧正に、優秀な編集者が同行するから何とか形になるだろうと伝えていたらしかった。これを後に聞いた優秀でない編集者の私は困った。伝えるべき戦争の実体験であるが、今まで関わってきた出版のカテゴリーとあまりにも違いすぎる。あまり期待しないでくださいと藤川和尚には伝えた。
あれから二十年が過ぎた。資料はまだ手元にある。藤川和尚も僧正もこの世にはいない。あの帰還兵のお二人も鬼籍に入られたであろう。ミャンマーの日本語学校はその後の軍事クーデターで廃校にされた。「マ・ンゲ」さんの消息も不明である。
馬齢を重ねただけの私には、藤川和尚と僧正の叱咤があの世から聞こえる。
編緝子_秋山徹











































































































































