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夢魔の棲まう街 その六

第1夜 1st Night

真っ逆さまに、眠りに落ちていこうとしたその刹那

稲光とともに天井窓を叩きつける雨音で、目が開いてしまった。

雹(ひょう)が降ってきたかと思うほど、雨粒は激しく窓を打ちつける。

それは、時に強くそして弱く、寄せては返す波がうねる音となり、頭上から降り注ぐ。

しかし、その音さえ睡魔が振り払おうとして再び目を閉じかけたその時、天井窓の上からこちらを覗く女の姿を見た。

外は大雨の筈なのに、彼女の栗色の髪は濡れておらず、乳白色の顔と大きく見開いた青い目が私を捉えていた。

夢か現か判らぬ光景に、なんの感情も起こらず、しばらく青い瞳を見ていたが、次の稲妻の閃光に照らされた瞬間、完全に私は落ちた。

翌朝、昨夜とは打って変わった穏やかな陽光が天井窓からベッドに降り注いで、私の目を覚ました。

目覚ましをかけるのを忘れていたが、陽の光のおかげで予定の時間に起きることができた。

時差ボケもなく頭はスッキリとしていた。

何事もなかったように頭上に天井窓がある。

そこから放たれた初夏の陽気が、部屋の隅々にまで詰まっている。

あまりの清々しさに、昨夜の稲光と大雨と栗毛の女が、時差ボケを連れ去ってくれたと思った。

実際、同じような体験は何度かある。

フレンチ・ポリネシア・タヒチに黒真珠の養殖を取材に行った際と、タイとミャンマーの国境にある少数民族の難民キャンプの取材時、それにエジプト・ナイル川クルーズ取材で訪れたカイロのホテルで、同じように深夜けっこうな雷雨が降り、それが翌朝にはすっかり晴れ渡り、そして時差ボケが無かった。

同行の人間に聞くと、その度に、みな怪訝な顔で、昨日の夜は雨なんか降らなかったと答えるのだった。

確かに、タヒチの水上バンガローや、タイ国境近辺のホテルでは夜半の雷雨は珍しくないが、私が訪れた時期のエジプト・カイロではありえない話だった。

人は、移動に費やした時間にかかわらず、移動した距離の長さの分だけダメージを受けると云う。

特に海外の場合は、この距離に加えて時差や天候、言語、食事、貨幣の違いなどが、旅人に襲いかかり疲弊させる。

国内で有名なものに、江戸時代に地方の藩士が江戸詰となって罹(かか)った「江戸わずらい」、海外では、パリを訪れた旅人におこる「パリ症候群(シンドローム)」、そしてフィレンツェに迷い込んだ異邦人に襲いかかる「スタンダール・シンドローム」が有名である。

この三都市に共通していることは、古より連綿と受け継いできた伝統、芸術と文化の遺産が街中に溢れているということである。

もっとも「江戸わずらい」の場合は、食べ物による体の変調が主だったらしい。

藩の地元では麦や良くて玄米を食していた藩士が、江戸詰となり白米、いわゆる銀シャリを食べるようになる。
おまけにおかずも多種多彩のご馳走の数々がある。

自然に食べ過ぎるようになり、今でいう生活習慣病となってしまったらしい。
しかし、江戸詰のお役が終わり地元に戻ると再び粗食の毎日となるため、ケロリと治った。
当時は原因が判らなかったので「江戸わずらい」と呼ばれた。

その時代の人は、美味しいものを食べて、まさか病気になるとは夢にも思わなかったのである。
人間何が災いし幸いするか、判らない。

また吉原を理由に、別の「江戸わずらい」を挙げる人がいるが、こちらは華美の違いこそあれ、全国共通の男子の「生まれながらのわずらい」であろう。

パリの場合はもっと深刻である。知人の欧州専門のベテラン添乗員に聞くと、本当にパリに来て、突如として精神に変調をきたす人が年に数名いるというのである。

かつて欧州旅行の人気コースは「ロン(ドン)・パリ・ローマ」と呼ばれる三都市を1週間から10日で周るパッケージ・ツアーだったが、このグループがパリに入った際にツアー客が精神的なトラブルを起こすケースがあるという。

これは、三都市をめぐる順番には関係なく必ず起こるのはパリであるという。

その知人が実際に添乗で経験したトラブルでは

「ルーブル美術館で、それまで他都市でまともであった中年の女性が、ルーブルでは度々、立入禁止のラインを越えて美術品に近づこうとしては注意され、その回数が度を越したため駆けつけた警備員に、いきなり飛び蹴りを食らわして逮捕された」

「パリの高級ブランド店にグループを案内した際、なかなかバスから降りてこなかった、やはりこれも中年女性客が、短いスカートの下に男性用のズボンを履き、頭にはネクタイを二本鉢巻にして店の中央で仁王立ちになって動かなかったこと」などがあるという。

ルーブルの客は警察ののち精神科に入院となり、ブランド店の客は、家族とともに一足先に帰国いただいたという。

半径2キロにも満たない地域に、ルネッサンス芸術の逸品が溢れているフィレンツェは、街自体が一つの美術館を形成している。

19世紀に、かの地を訪れて、美の攻撃に朦朧となったスタンダールが「私の命はすり減って、倒れてしまうかのようだった」と記し、彼と同じように圧倒的な美の洪水に精神のバランスを崩してしまう症状を〈スタンダール・シンドローム〉と呼ぶ。

今でも吐き気やめまいに襲われて保護される観光客が、年間に百人程度いるという。

スタンダールに比べようもない私のシンプルな頭は、この洪水に耐えきれず、頭が最も混濁している到着したばかりの夜に、あらぬ雷雨を降らすのだと察していた。

ただ今回は、栗毛の女がいたことが、今までとは違っていた。

ファサードのホールで出逢った三美神のせいであろうか

その七へ続く編緝子_秋山徹

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