夢魔の棲まう街 その四

フィレンツェ郊外 Fuori Firenze
タクシーは、ローマ門を潜ってすぐ右のフランチェスコ・ペトラルカ通りを400Mほど進んでから左に折れ、カゾーネ通りに入る。
直進すること300mで通りはそのままベッロ・スグアルドという名の通りとなる。
ベッロ・スグアルド通りは、九十九折というほどではない緩やかなカーブを、左に左にへと丘を登る。
通りの両側は高い石垣に隔たれ、その石垣から垣間見えるなだらか丘にはヴィラ(別荘)とその廻りにワイン畑やオリーブ畑が広がり、フィレンツェ郊外特有の赤茶色のレンガと漆喰の建物の風景が続く。
明るければ、緑の田園風景を楽しめるはずだが、今は暗闇に糸杉の影だけが浮かんでいる。
通りは、車が漸く2台すれ違えるほどの坂道だが、運転手は結構なスピードで石垣の間を駆け抜ける。
時折、反対方向から結構なスピードでヘッドランプが現れるが、この時は互いに、そろりと、道の膨らんだ場所にどちらかがバックして避けるか止まるかして、やり過ごす。
そしてまた疾走を始めるのである。
しかし、一度、暗闇のカーブから一台のバイクが飛び出してきて横をすり抜けた時は、運転手も私も、小さな叫び声をあげた。
慣れた運転に、よくここは通るのかと聞くと、実家がこの近辺なのだと若い運転手は答えた。
問わず語りに、この一帯のヴィラは、18世紀頃からイギリスやドイツの上流階級が好み、所有するようになった。
我々が向かっているホテルも、まず最初にトッレ(塔)ができ、その後増築されてヴィラになり、それが改築されて現在はホテルになっているものだと話を続けた。
あとで調べたことだが、ホテルには、14世紀にカヴァルカンティ家が塔を建て、その後16世紀に増築されてミケロッティ家のヴィラとなり、20世紀に改築されて現在のホテルにいたるという来歴があるらしい。
アメリカの作家ヘンリー・ジェームスが1877年に遺した、このヴィラについての記述を見つけた。
「大部分は捨値で賃貸(あるいは買取)に出されている。たった500ドルで塔も庭園も礼拝堂も30の窓も手に入る。
−中略−
この美しい邸宅のメランコリックな雰囲気は、ひとつには、まだ廃墟となってもいないのに存在意識を失ったように見えるという事実に起因している。その広大さ、ゆったりとした趣は、運命の流転を物語っているのである。」
狭い道の丘を登りきると、四つ星ホテル「トッレ・ディ・ベッロスグアルド」の黒い鉄の門が現れた。
門が開かれ進むと、ファサードの上から、ピエトロ・フランカヴィッラの聖母の彫像が我々を迎えた。
初夏の頃、花のフィレンツェに似つかわしくない、暗く沈みきった館であった。