夢魔の棲まう街 その弐
タクシー乗り場 Taxi
タクシー乗り場には、三〇人ほどの待ち人がいた。
この国際空港というには慎ましやかな空港では、タクシーも同様に、数台しか客待ちをしてくれてはいない。
そして、空港と市街とを結ぶシャトルバスは、到着が遅れた最終便に合わせて、最終バスの出発時刻を調整してくれるほど「お人好し」ではない。
到着が遅れた場合はまだ納得できるが、十数年前にフィレンツェ中央駅で、日本の新幹線に当たる特別急行列車のナポリ行に、あろうことか定刻の発車時刻よりも前に出発されて、乗り遅れた、いや、乗り逃したことがある。
苦情を云う私に駅員は「せっかく早くついたので、早く出発した」と、涼しい顔でのたまった。
どうやら余裕をもって駅に来なかった私が悪いらしい。
ただし、特急券と乗車券はそのまま次の列車に振り替えてもらえたので、金銭的な負担がないことが唯一の救いであった。
そうなると、バールでひとりカフェをやりながら、突如与えられたこの無為な時を味わう他は無くなるのである。
この国では、このくらいの気持ちの切り替えができないとやっていけない。
とまれ、タクシーである。
最終便の客待ちをしていた貴重な台数が捌(は)けた後は、ぽつりぽつりとやってくる奇特な一台を根気よく待つ他に手はない。
二〇分ほど待ったところで、列の先頭が観光客然とした日本女性の二人組みとなった。
一か八か列を外れて、彼女らに行き先を訊ねると、案の定、チェントロ(市街中心)のホテルだと言う。
私の行き先は郊外のホテルなので、チェントロのそのホテルは通り道であること、タクシー代は私が全て払うので同乗させてほしいことを伝えると、あっさり了承してくれた。
やがて来たタクシーに、列から放たれる胡乱(うろん)な眼差しを背中に感じながら、彼女らと車に乗り込んだ。
二人は、学生時代からの友人で、大学の卒業旅行で参加した欧州周遊ツアーの時には駆け足で巡ったフィレンツェを、いつかじっくり見て回る旅をしようと誓い合い、それが今回実現したのだという。
姉妹のように背格好の似た二人は、互いに華美でない程度のブランドのパンツとパンプスに、サマーニットと薄手のハーフコートというあわせで、長時間の移動に快適で、なおかつ三つ星のホテルにチェックインするのに見苦しくはないという、旅に馴れた装いであった。
車中では、彼女たちの立てた「フィレンツェ三昧一週間」のプランを聞いたが、私のアドバイスはほとんど必要のない、申し分のないものだった。
ただ、ホテル代がとても高いのに驚いたと話した。
それもそのはずで、フィレンツェでは、明後日から世界的なメンズファッションの展示会「ピッティ・イマジネ・ウオーモ」が開かれるため、世界中からバイヤーが大挙してやってきていてホテルが満杯であること、展示会期間中は、ホテルもピッティ料金となり通常の二倍近く跳ね上がることを説明した。
かくいう私も、毎回展示会の取材に来ているが、今回は、最初の二泊はチェントロのいつものホテルがどうしても予約できず、郊外のホテルを予約したくらいなので、料金が高いのは気の毒だが、予約が取れただけでも幸運ですよ、と話すと、
二人同時に「えー、そうなんですか」と、予約できた喜びと、旅程設定の悔いが入り混じった生返事をした。
でも貴女たちが滞在中は、街に世界中の洒落男(ファッショニスタ)が溢れていますよと、彼女たちを高揚させたが、ゲイが多いけどね、とまた下げておいた。
程なく二人のホテルに着いたので、滞在中に時間が合えば食事でもしましょうと、社交辞令を交わして、互いに笑顔で別れた。
まだ、誰もが海外で携帯電話を使う時代ではなかった。