浜圭介の世界
昭和歌謡_其の141
ドラマチック歌謡の作曲家・浜圭介の世界(前篇)
『終着駅』 by 奥村チヨ
『そして、神戸』 by 内山田洋とクール・ファイブ
ヒットメーカーの定番
昭和歌謡の大ヒットメーカーの1人、浜圭介が「作曲家生活60年」になるそうで、その記念のコンサートが近々開かれる……旨の記事が、東京新聞の朝刊に載っていました。
浜圭介と聴いて、どのくらいの方が「あー、あの曲を書いた!」となりましょうかね? あくまで私の好みになりますが、いくつかビッグヒットした、カラオケの定番曲を並べてみましょう。
まずはポップス系の、これですかね!
♪~そばに誰かいないと 沈みそうなこの胸
まるで潮がひいたあとの 暗い海のように
ふれる肩のぬくもり 感じながら話を
もっともっと出来るならば 今はそれでいいさ
息でくもる 窓に書いた
君の名前 指でたどり
あとの言葉 迷いながら
そっといった
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな 胸がはずむ時よ
好きな唄を 耳のそばで
君のために 低く歌い
あまい涙 さそいながら
そして待った
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな 胸がはずむ時よ~♪
昭和48年=1973年(6月25日)に発売された、マチャアキこと堺正章の、2つある【看板ソング】の1つ『街の灯り』ですね。歌詞は阿久悠が書いてます。
私は、たまたま買い出しに行ったスーパーのBGMとか、TVの歌謡番組とかで、この曲が流れると、前奏の、タンタ~ン タタタタタタ~ンのメロディを聴いただけで、胸の奥が良い意味でモゾモゾして、 ♪~そばに誰かいないと~♪ という、そのほんの短い堺正章の歌声だけで、すーっと一気に心持ちを引っ張られて、しばし、この歌の世界、歌詞に書かれた情景を思い浮かべてしまうのです。
そしてサビの部分の、♪~息でくもる 窓に書いた 君の名前 指でたどり~♪ は、マチャアキと一緒に、結構の音量で歌いたくなるのですが、自宅のTVの前ならともかく、スーパーだとそうも行かず、周囲の迷惑にならん程度に口ずさむのですが。
どうでしょう、これをお読みの方で、数名ぐらいは「うん、そうそう!」と頷いて頂けますでしょうか^^;?
『街の灯り』は、私が子供時代にTBSで放映された、人気ドラマ『時間ですよ』の挿入歌だったんですね。マチャアキと、当時熱狂的に愛されたアイドル(私もファンでしたが)天地真理の2人でデュエットするシーンが話題になったことで、レコード会社も反応し、ザ・スパイダース解散後、ソロ歌手に転じたマチャアキの、8枚目のシングルとして発売された、……のです。
彼のもう1つの【看板ソング】は『さらば恋人』ですが、こちらの作曲は、ポップス歌唱の巨匠、筒美京平が担当しています。
メロディを比べると、浜圭介との作風の違いがリアルに判ると思います。良い悪いじゃなくて、〝この〟違いが、私にはすこぶる興味深いです。
イヤラシイ言い方をすれば、流行歌の出来としては、筒美センセイの『さらば恋人』に軍配が上がるんじゃないか? と感じつつ、でも私は、スーパーのBGMで『さらば恋人』が流れて来ても、わざわざ足を留めてまで歌に心持ちが引きずられることはありません。……ま、だからナニ? と訊かれちゃ、それまでですが(笑)。さて一転、演歌系ってことになりますと、
これも、歌詞は阿久悠ですね。昭和55年=1980年4月25日発売、八代亜紀が唄った、第22回日本レコード大賞曲の『雨の慕情』です。
♪~ 心が忘れた あのひとも 膝が重さを覚えてる
長い月日の膝まくら 煙草プカリと ふかしてた
憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
ひとりで覚えた手料理を なぜか味見が させたくて
すきまだらけのテーブルを 皿でうずめている私
きらい 逢いたい きらい 逢いたい
くもり空なら いつも逢いたい
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い~♪
ついでに演歌系で、もう1曲
♪~海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれから ニシンはどこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロ
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で 鰊曇りの 空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれから ニシンはどこへ行ったやら
オタモイ岬の 鰊御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロ
変わらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る~♪
歌詞を書いたのは、なかにし礼です。彼が作詞家生活において、一番脂の乗っていた時期である昭和50年=1975年(6月25日発売)に、新人歌手の北原ミレイに書いた『石狩挽歌』です。
それにしてもこの当時、阿久悠となかにし礼は、まさに超売れっ子作詞家のライバル同士ですからね。書く曲書く曲、大ヒットにつなげる手腕も苦労も、すこぶるトンデモナイ訳で、そりゃ御両人とも異口同音に「神経を病みかけた時期が二度や三度じゃない」と語るのも、むべなるかなと感じます。
ついでにもう1曲、加えておきましょうか、昭和47年=1972年(5月25日発売)の大ヒット曲を……。このレコードが発売当時、私は10歳でしたけれど、情緒過多のメロディが、子供心にも印象深くて、すぐに覚えてしまいましたっけ。
♪~雨に濡れながら 立たずむ女(ひと)がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり
約束した時間だけが 躰(からだ)をすり抜ける
道行く人は 誰ひとりも見向きもしない
恋はいつの日も 捧げるものだから
じっと耐えるのが 務めと信じてる
雨に打たれても まだ待つ人がいる
人の数が減る 土曜の昼下がり
約束した言葉だけを 幾度も噛みしめて
追い越す人に こずかれても身動きしない
恋はいつの日も はかないものだから
じっと耐えるのが 務めと信じてる
約束した心だけが 泪によみがえる
見知らぬ人が哀(あわ)れんでも 答えもしない
恋はいつの日も 悲しいものだから
じっと耐えるのが 務めと信じてる~♪
三善英史のデビュー曲、『雨』です。作詞を担当したのは、先輩格の阿久悠やなかにし礼の世代より、10歳ほど下! なかにし礼に弟子入りしながら、おそらくは胸の内じゃ「アンタら戦中育ちの言語感覚は、もう古いぜ!」てな野心がギンギラに滾(たぎ)っていた、……んじゃないですかね。
確かに千家センセイの書く歌詞は、私のような、幼稚園時代からすっかり昭和歌謡にかぶれ、それも耳年増に〝夜の世界〟の匂いをまとうムード歌謡的な歌にハマっていた私には、すこぶる「けったい」に感じました。
「新しいタイプの歌が流行りだしたという」印象が強く、……だからといって私がハマったかといやぁ、事実はその逆で、「こんな歌詞の歌は、僕の好きな歌謡曲じゃない!」と大いにムカつきましたね。なんで、こんな歌が流行るんだよ?」と。
特に麻丘めぐみのデビュー曲『芽ばえ』(昭和47年=1972年6月5日発売/作曲:筒美京平)は、いまだにだいっ嫌いな1曲でしてね(笑)。理由は、「こんな日常のどうでもイイことを、歌謡曲にしやがって!」に尽きましょう。当時に流行っていた、いしだあゆみや伊東ゆかりなどの〝小洒落た〟歌とは、まったく別物の歌だ! との認識が、幼いなりに私の中に強く宿った訳です。
歌い出しの歌詞が、♪~もしもあの日 あなたに逢わなければ この私はどんな 女の子になっていたでしょう~♪ なのですが、正直「ンなこと、知るか、ボケ!」で、おしまい(笑)。
当時、私と気持ちを共にする老若男女がどのくらいいたか? 判りませんけれど、結果的にこの『芽ばえ』は40万枚を超える大ヒットを飛ばしましてね。麻丘めぐみは、昭和40年代に活躍する「女性アイドル」歌手のトップに躍り出ます。
ま、現実を冷静に見つめりゃ、千家和也を含めてドドドと若手の〝腕利き〟作詞家や作曲家が音楽業界に殴り込んで来たことは間違いなく、新しい歌謡曲の潮流が雪崩込んで来た、ということなのでしょうね。
古い歌謡曲にガツン!
話を元に戻して……浜圭介。彼もまた、戦後の〝古い〟歌謡曲シーンにガツン! と殴り込みした、若手のクリエーターの1人でしてね。昭和30年代に大ブレイクした(吉田正が膨大な数、作曲した)ムード歌謡の匂いを遺しつつ、それまでの流行歌になかった、映画音楽風の「ムーディーかつ情緒過多」なメロディを得意とする作曲家は、それまで居なかったといって過言でないでしょう。
同世代の作曲家でもう1人、三木たかしという御仁がおられまして。彼も情緒過多な歌謡曲を書かせりゃ天下一品!ですけれど、三木メロディは、良い意味でも悪い意味でも「軽妙」なんですね。その軽さを武器に、演歌系のテレサ・テンにも、超人気アイドル歌手・西城秀樹にも、大ヒットを飛ばすほどの「売れ線」メロディを書きまくります。
浜圭介は、それほどメロディの「間口」が広くありませんが、だからこそ! でしょうか、彼の書いたメロディ=業界で称される「ハマケイ節」は、聴く人が聴けば、すぐに「あー、浜圭介だ!」と判ってしまうほどです。
太平洋戦争の敗戦から間もない昭和21年=1946年4月8日、満州の地に生まれ、1歳時に日本へ引き揚げ、青森→札幌で幼少時を過ごした浜は、本当はメチャメチャ歌手になりたかったんですね。実際、その夢を叶えるべく、15歳で高校を中退して上京、森山佳代子の付き人になります。
昭和39年=1964年、18歳の時に念願どおり、牧宏次の芸名をもらって『波止場のロック』で歌手デビューします。しかしまったく売れません! 仕方なく、いったんは泣く泣く青森へ引っ込みます。……でもどうしても夢を諦めきれず、昭和41年=1966年に芸名を大木賢に変え、『これが愛さ』って曲で再デビューを果たします。……が、やっぱり売れないんですね。
歌手時代の彼の音源が見つからず……、自作の『街の灯り』をTV番組で唄っている映像を載せておきましょう。
昭和43年=1968年、みたび芸名を浜真二に変えて、『おんな道』で再々デビューを果たしつつ、周囲の勧めもあったのか? 中尾ミエの『可愛いベイビー』などの洋学の訳詞&作詞家として著名な漣健児に師事し、浜圭介のペンネームで作曲活動も始めたのです。この人生の選択がドンピシャリ! 彼の運命を大きく変えることになりました。
昭和46年=1971年、のちに浜のカミサンになる、奥村チヨに楽曲提供した『終着駅』(12月12日発売/作詞:千家和也)が、見事すぎるミリオンヒットを飛ばします。
♪~落葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てにくる
真冬に裸足は 冷たかろう
大きな荷物は 重たかろう
なのに今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる
一度離したら 二度とつかめない
愛という名の あたたかい心の鍵は
最終列車が着く度に
よく似た女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる
肩抱く夜風の なぐさめは
忘れる努力の邪魔になる
だから今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる
一度離したら 二度とつかめない
愛という名の あたたかい 心の鍵は
最終列車が着く度に
よく似た女が 降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる
そして今日もひとり 明日もひとり
過去から逃げてくる~♪
歌手としては、残念ながら花開かなかった浜。けれど作曲家としては、〝超〟の付く売れっ子クリエーターの仲間入りを果たした浜……。みごと昭和48年=1973年の「第15回日本レコード大賞」で作曲賞に輝きました。
受賞作は2曲同時だったようで、1つは冒頭に載せた『街の灯り』で、もう1曲は、おそらくご存知の方も多いでしょう、前川清がメインボーカルを務める、内山田洋とクール・ファイブの『そして、神戸』です。
♪~神戸 泣いて どうなるのか
捨てられた我身が みじめになるだけ
神戸 船の灯うつす
濁り水の中に 靴を投げ落す
そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ
夢の続き 見せてくれる
相手 捜すのよ
神戸 呼んで帰る人か
傷ついた心が みにくくなるだけ
神戸 無理に足を運び
眼についた名もない 花を踏みにじる
そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ
誰か うまい 嘘のつける
相手 捜すのよ
誰か うまい 嘘のつける
相手 捜すのよ~♪
浜が書いたメロディを、私は何度も「情緒過多」と陳腐な四字熟語で安易に評価しちまいましたが、一度聴いたら忘れられないほど耳に絡みつき、大概は「嗚呼、泣けるぅ~!」という心持ちになり、その多くの人々がみずから口ずさみたくなるのです。
カラオケスナックやナイトクラブなぞの華やいだステージ、……じゃないんだな(笑)。全国どんな町にも数軒はあるでしょう、一杯飲み屋。それも、あまり下品な居酒屋じゃ困ります。ちょいと小粋な小料理屋の、カウンターの止まり木の端に1人腰掛け……、
酒もね、ポン酒(日本酒)の熱燗がよろしいんじゃないですかね。二号徳利からお猪口に酒を次いでは、ちびちび飲み干しつつ、ふと…… ♪~そして ひとつが お~わり~ そして ひとつが う~まれ~♪ ぼそぼそと口ずさみだすのです。右隣の客には気付かれぬ程度の、ほんの小さな声で。カウンター越しの女将だけが「あら?」と微笑ましく反応する、……そんな酔いどれ紳士の心持ちに、情緒過多なハマケイ節はドンピシャリ!なのですよ。
私が想うにこの芸当は、浜自身が歌手になりたくて、なりたくて仕方なく……、でも駄目だった。それも1度ならぬ3度も挑戦したけれど、現実は厳しすぎた。彼の人生の「来し方」のすべてが、喜怒哀楽のすべてが、おそらくわざとじゃないでしょう、決してわざとじゃないが、仕上がった曲を眺めりゃ、知らず〝そんな〟匂いがメロディに滲んでいて、聴く者がつい口ずさみたくなる、……訳です。
呑兵衛を「その気」にさせてくれる作曲家は、他に「1人もいない!」な~んて極端なことは私も言いやしませんが、昭和歌謡の全盛期において、流行歌という枠組みの中で、浜圭介ぐらいドラマチックなメロディを得意とするクリエーターは、そうそういないはず! それだけは間違いないし、よほどの昭和歌謡のマニアであっても異論は出ないでしょう。
……近々、彼の、作曲家生活60周年を記念したコンサートが開かれます。
参加の歌手の面々は、冒頭に貼り付けた画像を参照願いますが、このメンツに1人、本来ならば絶対に、それもトップクラスの扱いで参加せにゃあならん女性歌手がいる。……いや、いたのです。
桂銀淑(ケイウンスク)。この歌手の名前、どのくらいの方が覚えておいででしょう? 日本で活躍する韓国人歌手は、半世紀前も現在も、数多くおりますけれど、昭和時代の流行歌として、超の付く人気を博した「大スター」ってことになりゃ、男性歌手なら『釜山港へ帰れ』のチョー・ヨンピル、女性歌手なら桂銀淑が筆頭格です。
彼女のデビュー曲であり、看板ソングでもある『大阪暮色』(昭和60年=1985年7月20日発売/作詞&作曲:浜圭介)を聴いてもらいましょう。
♪~西陽でやけた たゝみの上 あの人がくれた花瓶
別離(わかれ)た日から花も飾らずに 淋しくおいてある
あの人が好きやねん
くるうほど好きやねん
北の新地に雨が降ります 悲しい歌が聞こえる
あほやねん あほやねん 騙された私が あほやねん
大阪の夜は 悲しくて ネオンに季節かんじる
明日があると信じ逢える日を 指おりかぞえてる
あの人が好きやねん
誰よりも好きやねん
涙色した淀川の水 思い出すのは まぼろし
忘れへん 忘れへん 私はあなたを 忘れへん
あの人が好きやねん
くるうほど好きやねん
北の新地に雨が降ります 悲しい歌が聞こえる
あほやねん あほやねん 騙された私が あほやねん~♪
嗚呼、懐かしいなぁ~、彼女の〝この〟声! 一度聴いたら絶対に忘れられない、いや「忘れたくなくなる」くらいに、実に実に特徴のある、しなやかに伸びる〝しゃがれ〟た歌声!
その彼女が、恩師の記念すべきイベントに居ないのです。何故でしょう?
そのあたりの事情については、スミマセン次回ということで^^;。
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勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。
































































































































































