中森明菜 小泉今日子
昭和歌謡_其の140
「明菜復活……か!?」
『なんてたってアイドル』 by 小泉今日子
アイドル路線
今回のタイトルは、実にシンプルに「明菜復活!」と決めていたのですが、いささか不安な気配も見受けられましたので、復活の後ろに「……か?」を足しました。
昭和歌謡好きの皆さん、それも中森明菜ファンであれば、上記の2行だけで説明不要。今回、私が書こうとする内容も、おおよそ「わかっちゃう」のでは? と思われます。明菜を(かつては)熱愛していた1人として、10年9ヶ月ぶりの(カバーではない)オリジナル新曲リリース、……加えてそのプロモーションも兼ねて、ジャスト30年ぶりにタモリが司会の超人気音楽番組、それも生放送の「ミュージックステーション(略してMステ)」に出演する! という芸能ニュースは、やっぱりね、スルーする訳にはいけなくて。
でも、まぁそんな〝騒動〟は、明菜なんぞにコレッポッチも関心がない皆さんや、人気の若手グループのSixTONESやSnow Man……と並んで、やけに緊張気味に震えている「げっそりやつれた雰囲気の、キショいオバサンは誰?」てな反応でしかない、令和育ちの若者たちにとっちゃ、正直どうでもイイ話だったりするのでしょうが。
まずは、7月21日現在、インスタにアップされまくっている、17日の「Mステ」で明菜が歌唱した『難破船』の一部と、歌い終わってタモリに話しかける映像を観てもらいましょうかね。しばらく姿を見ないうちに、明菜も、われわれ同様に還暦を乗り越え、61歳になっていました。ま、彼女もババアになったことは、揺るぎない事実でしょね。(※下をクリックして下さい)
https://www.youtube.com/shorts/bWq68F42FEU
https://www.youtube.com/shorts/hLBIkjbAJrI
ううむ、私が余計なコメントを差し込むのも憚られるほどに、痛々しいでしょ、歌声も〝素〟のトークも。
ま、歌声について、かなり前から、明菜にはもう「まともな声が出せない」のは、ファンたちの間じゃ常識みたいになってましてね。そうなってしまった理由は、あることないこと様々ネットに流れてますけれど、元々、歌手になるには「喉が強くない」というのと、激辛な食べ物が「異常に好き」で、かつ大酒呑み、それもアルコールの度数の高い酒を好むので「すっかり喉をやられてしまった」と。どこまで医学的な根拠があるんだか、私にはわかりませんが。
明菜が、TVの音楽番組はもちろん、マスメディアのすべてに登場しなくなって、かなりの月日が流れたはずで、……調べてみれば、2010年10月に「体調不良により芸能活動の無期限休止を発表」していたんですね。
ただ、この「休止」は、あくまで「一般大衆の前に姿を見せる」ことを休んでいるだけで、明菜のファンクラブの会員限定のディナーショーは、年に数回、不定期に継続されていたようで、「代金はべらぼーに高いのに、1日に3回開催されても常に全席sold outだ」という、「だからナニ?」的な余計なお世話の情報も、ネットで「明菜といえば……」のククリで、数多く掲載されています。
明菜がデビューした1982年は、アイドルの歴史を語る際に、かならず前置詞代わりに「花の82年組」にククられるほど、ミリオンヒットを飛ばしまくるビッグアイドルが、他の年よりも「はるかに多く」登場します。キョンキョンこと小泉今日子、松本伊代、早見優、堀ちえみ、石川秀美、三田寛子……、こう並べると、なるほど! とお判りになるでしょう。
この中で、同期の仲間と「距離を置いて」独自の活動をしていたのが、キョンキョンと中森明菜じゃないですかね。キョンキョンは、持ち前の賢さで、後に本人が語るところによると、デビューしてすぐに「アイドルでいる自分がバカバカしく」感じ、「だから私は、アイドルからどう脱皮しようか? そればかり考えていた」そうですが。
でもファンに愛されることは掛け値なしに有難い。そこで彼女はスタッフと相談し、まさにセルフプロモーションのスタイルで、世間が勝手に「アイドル」にイメージすること、妄想すること、をおちょくるというと語弊がありますが、「意識をがらりと変えてやろう!」てなコンセプトで発売したシングルが、『なんてったってアイドル』(昭和60年=1985年11月21日発売/作詞:秋元康/作曲:筒美京平)です。
この歌詞は実に斬新で、嗚呼やっぱ「秋元ってスゲェなぁ」ですし、歌唱するキョンキョンも、「あはは、こりゃ参った!」と感心しすぎて溜息が出るほど、彼女はこの歌の主人公をみごとに演じ切りました。歌っている彼女の本心と、歌詞に描かれる主人公の言動とが、どこまで同じで、どこが違うか? そんなこたぁ「どうでもイイじゃん。だって私はアイドルなんだも~ん」という、捉えようによっちゃアイドルビジネスを大いに揶揄ってる訳ですよね。そんな芸当を、19歳のキョンキョンが平気な顔でやってのけるのです。
明菜の話からちょいと逸れますが、『なんてったってアイドル』の歌詞を載せておきましょう。
♪~なんてったって アイドル なんてったって アイドル
赤いコンバーチブルから ドアをあけずに飛びありて
ミニのスカートひらりで 男の子達の 視線を釘づけ
黒いサングラスかけても プライバシーをかくしても
ちょっとくらいは誰かに そうよ私だと
気づかなくちゃ イヤ・イヤ
恋をするにはするけど スキャンダルなら ノーサンキュー
イメージが大切よ 清く 正しく 美しく
なんてったって アイドル 私はアイドル
(You are an idol)
なんてったって アイドル ステキなアイドル
(You are an idol)
アイドルは やめられない Yeah! Yeah! Yeah!
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
ちょっといかしたタイプの ミュージシャンとつき合っても
知らぬ存ぜぬと とぼけて レポータ達を けむに巻いちゃうわ
ずっとこのままでいたい 年なんかはとりたくない
いつもみんなに キャー・キャー 言われ続けたい
楽しければいい いい
恋をするにはするけど インタビューなら ノーコメント
マネージャーとおして 清く 正しく 美しく
なんてったって アイドル このままアイドル
(You are an idol)
なんてったって アイドル いつでもアイドル
(You are an idol)
アイドルは やめられない Yeah! Yeah! Yeah!
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
なんてったって アイドル なんてったって アイドル
Yeah!……~♪
(※数年前のライブ映像です)
さて……中森明菜も、他の同期組のアイドル連中とは「決してツルまず」に独立独歩、わが路線を貫いた! という点ではキョンキョンと「同じく」なのですが、違うのは、明菜は自分が「アイドルである」ことを、誰よりも意識した歌手だ、ということ。
「もう1人」……明菜よりデビューが2年早い松田聖子も、まさにこのタイプですね。アイドルだからこそ常に明るい笑顔を絶やさず、ファンにポジティブな印象だけを抱かせるよう、シングル発売のレコード(CD)のタイトルは、デビュー曲の『裸足の季節』から始まって、『青い珊瑚礁』、『白いパラソル』、『赤いスイートピー』、『渚のバルコニー』などなど、ほぼ全曲、優等生的なアイドルが歌うにふさわしい、ファンにファンタジックなまでに「アイドル」幻想を抱かせる、巧みなイメージ戦略を貫いてきました。その意味では、松田聖子はプロ中のプロのアイドルです。
中森明菜 考
明菜もアイドルのプロであることは間違いないですが、戦略的には聖子が演出した「優等生」の真逆、どこの学校にも必ず数人いる、顔立ちは可愛いのに、言動がどこか常に〝トッポイ〟女の子。勉強はできないのだけど、でも地頭が良い。小賢しい機転が利き、親や教師の言うことなど聞かずに、地元でたむろする年上の不良連中とツルむタイプ。……そういうイメージの少女を演出したのです。
ネットで明菜について調べると、彼女はデビュー当時から、みずからをアイドルとして「どう」売り出すか? レコードジャケットの写真はもちろん、すべての事象に1つ1つ口を出したそうです。令和現在に活躍する若手のバンドもアイドルグループも、おそらく全員が「当たり前」に行うセルフプロモーションは、聖子や明菜がデビューした当時には、まず、そんなことをするアイドルは居ませんでした。
デビュー当時まだ16歳だった明菜は、事務所の社長ほかスタッフ、レコード会社の制作スタッフも作詞家も作曲家も、100%大人だらけ、それもおそらくはオッサンばかりの中、少しも怯むことなく「この曲のイメージなら、衣装はこれじゃなくて、もっと◯◯で……」と、ちゃんと意見した。言い張った。なぜなら、「この曲を唄うのは私であって、あなたたちじゃないから!」だそうで、
「私の話も聴かずに勝手に決めるのだけは、絶対にやめて!」
当時の芸能週刊誌のどれもこれもが、明菜のこうした発言を、ほぼ一方的に「クソ生意気だ!」と決めつけ、レコードの制作スタッフたちが、彼女の扱いに困り果てている、……と書きたてまくりました。よせばいいのに、それを読んだ私も、単純に、脳天気に、中森明菜は〝そういう〟歌手だと勝手に信じ込んでしまいましてね。
もちろん事実かどうかなんて知りません。でも、ひょっとして明菜って、週刊誌に書かれた通りの女の子なんじゃね? と感じた、いや妄想したのは、デビュー2曲目の『少女A』(昭和57年=1982年7月28日発売/作詞:売野雅勇/作曲:芹澤廣明)の歌詞が、16歳の新人歌手が唄うには、ミモフタモナイほどに「えげつない」内容だったからでして。
♪~ 上目使いに 盗んで見ている
蒼いあなたの 視線がまぶしいわ
思わせぶりに 口びるぬらし
きっかけぐらいは こっちでつくってあげる
いわゆる普通の 17才だわ
女の子のこと 知らなすぎるのあなた…
早熟なのは しかたがないけど
似たようなこと 誰でもしているのよ
じれったい じれったい 何歳(いくつ)に見えても 私 誰でも
じれったい じれったい 私は私よ 関係ないわ
特別じゃない どこにもいるわ ワ・タ・シ 少女A
頬づえついて あなたを想えば
胸の高鳴り 耳があゝ熱いわ
鏡に向って 微笑(ほほえ)みつくる
黄昏れ時は 少女を大人に変える
素肌と心は ひとつじゃないのね
ルージュの口びる かすかに震えてるわ…
他人(ひと)が言うほど ドライじゃないの
本当は臆病 分かってほしいのあなた……
じれったい じれったい 結婚するとか しないとかなら
じれったい じれったい そんなのどうでも 関係ないわ
特別じゃない どこにもいるわ ワ・タ・シ 少女A
じれったい じれったい 何歳(いくつ)に見えても 私 誰でも
じれったい じれったい 私は私よ 関係ないわ
特別じゃない どこにもいるわ ワ・タ・シ 少女A~♪
前奏からガンガンと、さも挑発するがごとくアップテンポに攻めて来るメロディと、エロい情欲を嫌でも掻き立てる歌詞とが、みごとにジャストフィットし、巷のいたるところで〝これ〟が流されまくり、地元商店街のレコードショップの店先に貼られた『少女A』のポスター、そこに映し出された明菜のドアップの顔の、笑顔とは程遠い、歌詞にあるとおりの ♪~上目遣いに~♪ やや不貞腐れた風な表情を、嫌でも毎日毎日眺めているうちに、まだ童貞街道まっしぐら、19歳の私は、すっかり『少女A』に描かれるストーリーと、それを唄う明菜のキャラとを混同しちまった……訳です。厄介なのが、私は幼い頃から、そういう〝トッポイ〟女の子に、メチャメチャ惹かれる性癖なもんで。
この、ある種ダーティなイメージが、実はスタッフと明菜とで企てた、松田聖子に対抗するべく打ち立てた戦略的演出だったと、……私が知るのは、かなり後になってからです。
もっともデビュー前の明菜は、この演出をすこぶる嫌っていたようですね。当初の計画ではデビュー曲からこの方向の楽曲で売り出すつもりだったのを、明菜が頑なに拒み、結果、バラードの曲調の『スローモーション』をデビュー曲にした。……けれど。これがさほど売れなかった。オリコンチャートの30位までは行ったけれど、ガツン! とセンセーショナルな話題を呼び起こすほどではなかった。
そこで、2曲目は計略どおりに「不良少女」路線で……。これがバカ当たりして、明菜の本心はどうあれ、4曲目の『1/2の神話』、6曲目の『禁句』と、〝トッポイ〟主人公を描いた歌を大ヒットさせまくりました。
「不良少女」路線の極め付きが、9曲目の『十戒(1984)』(昭和59年=1984年7月25日発売)でしょうね。
『少女A』も担当した売野雅勇の、これまた、わざとえげつないまでに扇情的な歌詞を、エレキギターの名手、高中正義が紡いだ、前奏からもう、ただただカッチョエエ!メロディに乗せて、明菜の代表作といえる歌謡ポップスの名曲に仕上がっています。
だいたいが、歌い出しが ♪~愚図ね~♪ ですよ。サビのラストも ♪~限界なんだわ 坊やイライラするわ~♪ ですからね。当時、大学3年生だった私は、まだ童貞で、 この曲の主人公の女の、いやハッキリと明菜に「発破かけて」欲しくてたまらんかった、……ですねぇ。
『十戒』
♪~愚図ねカッコつけてるだけで
何もひとりきりじゃできない
過保護すぎたようね
優しさは軟弱さの言い訳なのよ
発破かけたげる さあカタつけてよ
やわな生き方を 変えられないかぎり
限界なんだわ 坊や イライラするわ
すぐに愛を口にするけど
それじゃ何も解決しない
ちょっと甘い顔をするたびに
ツケ上るの悪い習性だわ
優しいだけじゃもう物足りないのよ
今の男の子 みんな涙 見せたがり
甘えてるわ 止めて 冗談じゃない
ちゃんとハッキリしてよ この辺で
ギリギリよ もどかしいわね
救いのない人ね 哀しくなるのよ
私 好きならば 方法あるはずよ
でなきゃさよならね いいわ 冗談じゃない
発破かけたげる さあカタつけてよ
やわな生き方を 変えられたら きっと
好きになれたはず 坊や イライラするわ~♪
この曲がバカ当たりしたこともあって、デビュー当初から演出し続けてきた「不良少女」路線は、ここらでフェイドアウトさせ、明菜が歌う主人公の世界を成長させよう……。というコンセプトで、次の10曲目は、気丈なタイプの主人公が、実はひそかに胸中に宿らせて来た、女の弱みや儚さなどを、みずから告白する風な、……楽曲を、作詞・作曲ともに井上陽水が提供するんですね。
それが『飾りじゃないのよ涙は』(昭和59年=1984年11月14日発売)です。たちまち爆発的な大ヒット、ミリオンセラーに成長すると共に、令和の今でも、カラオケファンの愛唱歌になりました。
そして昭和61年=1986年2月3日発売の、これも超が付くほど売れまくった『DESIRE -情熱-』を挟んで、名曲『難破船』との出会いが訪れます。彼女の19枚目のシングルになるのですが……。
『DESIRE -情熱-』を歌っている最中から、ファンの間で「明菜の声がおかしい」、「前のように声が伸びなくなった」などと囁かれるようになるんですね。明菜が正式に「体調不良」を理由に芸能活動を休止するのは、2010年10月だと記しましたが、それより四半世紀も早くからすでに、歌手の命でもある「喉の不調」は明菜を苦しませていた訳です。
それともう1つ、こちらは「メンタルの不調」と言うべきか、明菜は、当時のビッグアイドル、マッチこと近藤真彦を熱愛してしまいます。昭和60年=1985年1月公開の、明菜とマッチのW主演映画『愛・旅立ち』(舛田利雄監督)で、明菜は初めてマッチと出会い、すぐに「お互いが惹かれ合う」ことになります。
ただね、2人が「惹かれ合った」のは、数年だけだったんじゃないか? 熱愛「してしまい」ますと書いたのも、ぶっちゃけマッチは本音の本音で、明菜に「愛される」エナジーと同じくらい彼女を愛していたのか? これは今となっては藪の中ですが……。マッチが所属していたのはジャニーズ事務所です。片や明菜は、現在も浅野ゆう子や反町隆史が所属する研音です。大手の芸能プロではありますが、(当時は)〝天下〟のジャニーズ事務所との力関係が歴然で、マッチは特に女帝と怖がられたメリー喜多川に「一番可愛がられた」タレントですから、明菜との交際なぞ「冗談じゃない!」だったはずです。
そのことで明菜は日々、思い悩む生活が数年続きます。当時の芸能雑誌によれば、かなり早い時期に2人は結婚の約束をしていたそうな。マッチはひたすら明菜に、「俺に任せておけば大丈夫。絶対にメリーを納得させるから」なぞと、(後から考えりゃ)相当に調子の良いことをほざきつつ、事務所スタッフや芸能レポーターどもに見つからぬよう、明菜との交際を続けていたようですね。
マッチの言動が明らかな「裏切り」だったのか、否か? 本当のところは2人しか判り得ませんが、衝撃を受けた明菜が、平成元年=1989年7月11日、マッチの自宅のバスルームで、手首を切って自殺するという、芸能史に残る最大級のスキャンダル事件に発展した、……のは事実です。幸い、発見が早くて未遂で済んだものの、明菜、マッチ双方にとって生涯抱えねばならぬ深刻なトラウマになってしまいまいました。
『難破船』がリリースされるのは、その、およそ2年前の昭和62年=1987年9月30日ですが、この歌詞に描かれる主人公に課せられた、かなり重苦しいテーマは「失恋」でして……。
実はこの曲、ベテラン歌手の加藤登紀子が3年前(昭和59年)、41歳の時にリリースしたアルバムの中の1曲で、加藤が二十歳の時に体験した「死にたくなるほど辛い失恋」を描いたもの。ライブなどで時折、歌っていたそうですが、昭和62年になって、中森の22歳の誕生日祝いがテレビ番組で放映されているのを見て、「この曲は、彼女が歌うのにふさわしい!」と、突如そう閃いたのだそうです。
加藤の側から明菜のスタッフに『難破船』(昭和62年=1987年9月30日発売)を提供し、加藤自身はそれ以降、自分で歌うのを封印した、……という逸話が遺されています。
曲をいただいた明菜も、歌詞の内容、メロディの美しい調べに魅了され、1発で気に入り、歌唱の際、「いつも加藤登紀子さんへの感謝を忘れずに歌います」……と。まさか2年後、加藤が味わった「死にたくなるほど辛い失恋」を、みずから体験することになるとは、ゆめゆめ思いもしなかったでしょう。
♪~たかが恋なんて 忘れればいい 泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が 見えてくるかもしれないと
そんな強がりを 言ってみせるのは あなたを忘れるため
さびしすぎて こわれそうなの 私は愛の難破船
折れた翼 広げたまま あなたの上に 落ちて行きたい
海の底へ 沈んだなら 泣きたいだけ 抱いてほしい
ほかの誰かを 愛したのなら 追いかけては 行けない
みじめな恋つづけるより 別れの苦しさ えらぶわ
そんなひとことで ふりむきもせず 別れたあの朝には
この淋しさ 知りもしない 私は愛の難破船
おろかだよと 笑われても あなたを追いかけ 抱きしめたい
つむじ風に 身をまかせて あなたを海に 沈めたい
あなたに逢えない この街を こん夜ひとり歩いた
誰もかれも知らんぷりで 無口なまま 通りすぎる
たかが恋人を なくしただけで 何もかもが消えたわ
ひとりぼっち 誰もいない 私は愛の難破船~♪
さて、……ここで冒頭に載せた、つい先日の「Mステ」ショート動画です。嗚呼、やっぱり! 声がまともに出せないにしても、せめて違う歌を選べばよかったのに^^;。よりによって『難破船』なんてさぁ、やめときゃ良かったのに、と私は勝手にそう感じました。
なぜ30年ぶりに生出演したこの番組で、わざわざ『難破船』を歌ったのでしょうね。ネットに公表されている情報を信じるならば、司会のタモリみずから明菜にリクエストした、と。理由は「名曲中の名曲ですからね」と。明菜は若い頃からタモリのことが好きで、その「タモリさんから歌って欲しい! と言われれば、喜んで歌わせて頂きます」……てな流れになったようですけれどね。
でもねぇ、このバラード曲、カラオケファンで歌に自信がある方なら、過去に一度ぐらいはトライしたことがあるはずで。大概は後悔します。ちゃんと歌うと「かなり難しい!」から。音符の高低の「幅」はさほど広くはないのですが、高低の「数」がメチャ多くて、音を維持させるのが大変なのです。明菜は「喉が弱い」歌手ですが、アイドル出身のわりに「音程がきわめて正確」なことは、数多くの音楽関係者が語っているほどです。
ま、それにしても……、すぐ過度に緊張してしまう性格なのだから、もっとアップテンポの……たとえば『DESIRE -情熱-』などにしておけば、演奏に紛らせることで、声のか細さも誤魔化せたんじゃないか? と、素人考えながらね。
今回の、突然のテレビ番組生出演は、おそらく大晦日のNHK紅白歌合戦への出演を見越した、明菜のスタッフサイドの演出でしょうが、緊張で手が震えるシーンばかりが、ネットに流出している現状を鑑みると、はたして、どうなりましょうかね。
そんな話も、明菜に興味がない皆様には、どうでも良いことでしょうが。
でもね、明菜が私の3つ年下、61歳になったと気付きますと、昭和のド真ん中の時代に生まれ育った、ざっくりと「同期の桜」のような心持ちが萌しましてね。嘘でも「頑張れよ、明菜!」と声を掛けたくなります。「おい、ハゲ、おめぇもな!」と、妄想の中でかえって〝発破かけられ〟つつ……、
コラムの最後に、明菜の新曲『ごめんと、すきと、』(令和8年=2026年7月1日発売/作詞:HZ VILLAGE/作曲:小網準)の歌詞を、1コーラスだけ載せておきましょう。「明菜復活」の後ろが「!?」ではなく、掛け値なしの「!」になりますよう、祈りつつ。
♪~涙あふれて 傷をかかえて
あなた想い 胸が苦しい ひとり
やさしさ 置きざりにして
ごめんが言えず 時が過ぎた
ありふれた 時の中 会いたい
同じ時間 生きてた あなた
言えないまま願い
言えないまま祈り
忘れないで 離れないで
ごめんと 好きと ごめん~♪
この曲、早くもオリコンチャートで「7位」にランクインされたとか。いやはや、ファンは実に有難い。
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勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。





























































































































































