倍賞千恵子
昭和歌謡_其の138
寅さんの妹『さくら』は、歌の女神だった。
〜女優・倍賞千恵子の歌手の顔〜
『下町の太陽』 『さよならはダンスの後で』
『忘れな草をあなたに』
all by 倍賞千恵子

SKD出身
| 以下の文中に、ネットのアドレスだけが記載された個所が3つあります。クリックすると【動画を再生できません。他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています。 YouTube で見る】のメッセージが出るはずです。お手数ですが、そのまま【YouTubeで見る】をクリックして動画をご覧ください |
今回のコラムは、前回に引き続き、「銀座音楽祭」の後編を綴る予定でしたが、ちょいと面白いネタが飛び込んで来たので、ゴメンナサイ、〝そっち〟を先に書かせてもらいます。予定していた原稿は、例によって「いつかの機会に」させていただきます。ゴメンナサイ。
前々回のコラムで、私が勤めている学習塾の生徒の1人、4月から中2に上がった野球小僧の隼人(はやと/仮名)が、突然「野口五郎の『私鉄沿線』にハマっている」と言い出し、私は大いに魂消たり、単純に嬉しくなったり……したエピソードを書きました。
実は、あの話には続きがありましてね。先日、授業の合間、隼人がまたしても、数学の計算問題を解いている最中に、にわかに「あ、そういえば先生……」と話し出しまして、
「you-tubeでね、日本アカデミー賞の授賞式を観ていたら、最優秀主演女優賞ってやつに、倍賞千恵子ってお婆ちゃんの女優が選ばれて。お母さんがいうには、倍賞千恵子は、昔歌手だったっていうんだけど、先生、知ってた?」
私は思わず唾が喉にからみ、ゲホッゲホッと咳き込んでしまいつつ、
「バカ野郎、この俺に『知ってた?』だと(笑)。冗談じゃねぇよ。それにお前は失敬にも、日本を代表する名女優の倍賞千恵子をババア呼ばわりしやがって! 彼女はな、今はなくなっちまった松竹歌劇団、通称SKDつー、宝塚と同じく、まぁ今ならミュージカル劇団みたいなところの出身でな」
「へぇー、あのお婆ちゃんがミュージカル?」
「そうそう。だから歌や芝居はもちろん、ダンスだってさ、今時の……ナンってったっけ? HANAだっけ? 知らんけど(笑)、あんなガキンチョどもより、よっぽど上手いぞ!」
私はまた、例によって1人でイイ気になりましてね。目一杯ふんぞり返りながら、倍賞さん(何故か「さん」と付けたくなる(笑))の、はるか昔の映像……、たぶん、昭和時代に人気だった音楽番組「ミュージックフェア」だと思いますが、隼人に、私のスマホを使って、大ヒット曲『さよならはダンスの後で』(昭和40年=1965年3月10日発売/作詞:横井弘/作曲:小川寛興)を見せてやりました。
https://www.youtube.com/watch?v=RDPfBTM7EXw&list=RDRDPfBTM7EXw&start_radio=1
う~ん、この映像の中の倍賞さん、なんともエレガントでしょ(笑)。昭和16年生まれの84歳。映像は昭和58年だそうですから、この時の彼女は〝まだ〟42歳です。当たり前だけど、じゅうぶんに若いし綺麗! しかも意外に色っぽいじゃないですか。ま、私の好みのタイプだから、ってこともありましょうが。
現在、倍賞千恵子と聞いて、歌手だったことを覚えておられるのは、どのくらいの数いらっしゃいますかね? 大概の皆さんは、当たり前のように女優、それも渥美清主演の大人気映画『男はつらいよ』の、フーテンの寅さんの妹「さくら」として〝だけ〟の認知なんじゃないっすかね。倍賞さんが歌手である(あった)事実は、隼人同様、ほとんど知らないのでは?
というわけで、今回は急きょ、「さくら」を演じる女優ではなく、SKD出身の【歌手・倍賞千恵子】について、あれこれ思うことを勝手気まま、無責任に(笑)書かせていただきます。
軽く倍賞さんのプロフィールを書いておきましょう。出身は豊島区西巣鴨、育ったのは北区滝野川。両親はともに東京都交通局職員、それも父親は都電の運転士、母親は車掌という、鉄道オタクなら憧れの家庭環境ですね。
5つ下に、同じく人気女優になった妹の倍賞美津子がいますが、2人とも何の不自由もない暮らしぶりだったそうな。姉妹揃ってSKDに入団し、……特に千恵子は、入団当初の成績が〝抜きん出て〟トップ! 歌も芝居もダンスも「極めて才能豊かだった」と、ネットの記事のなかで、当時の関係者は語っています。
そんな彼女を映画会社も放ってはおかず、昭和36年=1961年、同じ会社「松竹」内の引き抜きで、映画女優としてデビューすることになったのです。そこから先、女優としての活躍は、脇へ置いといて。
歌手デビューは、翌年の昭和37年(=1962年)10月10日発売の、『下町の太陽』(作詞:横井弘/作曲:江口浩司)です。
♪~下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
あゝ太陽に 呼びかける
下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえ聞けず 別れては
祭りの午後の なつかしく
あゝ太陽に 涙ぐむ
下町の屋根を 温(ぬく)める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の くるように
あゝ太陽と 今日もまた~♪
これは昭和38年(=1963年)4月18日に公開された、同じタイトルの映画の主題歌。前年に歌が大ヒットし、便乗する格好で、映画も作られました。倍賞さんは、勝呂誉とW主演してまして、映画女優デビュー2年目にしては、実に達者な演技を披露してくれてますよ。
以下、貴重な記録映像を見つけましたので、貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=3x5SMbkmfiU
『下町の太陽』を撮った監督は、のちに『男はつらいよ』シリーズで一世を風靡する山田洋次です。ちなみに倍賞さんが、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞に輝いた作品『TOKYOタクシー』も、山田監督の「最新作」でありまして、去年の11月21日に公開されてます。木村拓哉と倍賞さんのW主演です。
それにしても山田監督、御年94ですよ! いやはや元気ですねぇ~。現在も、公開予定の新作映画の準備に取り掛かっているそうで……。海外には、同じく老いてなお創作力が衰えない、クリント・イーストウッドが1つ年上でいますけれど、まさにギネス級の記録でしょう。
下町の美少女
『下町の太陽』の映画が大ヒットしたことで、松竹では、【下町で育ち、貧乏な暮らしにも決して弱音を吐かず、元気に明るく生きる少女】の役は、倍賞千恵子にやらせる! という方針が固まりましてね。以降、そんな役ばかりが彼女に転がり込んできます。
そして、その極め付きが、皆さん御存知の『男はつらいよ』ですよね。この作品は、まさに松竹のドル箱映画で、おそらく主演の渥美清が病気で亡くならなければ、令和の今でも定期的に新作が公開されているんじゃないですかね。実際には50本目が『男はつらいよ』のラスト作品になりました。
ここでちょいと余談ですが、昭和のド真ん中、映画全盛期の頃に、役柄として【下町で育ち、貧乏な暮らしにも決して弱音を吐かず、元気に明るく生きる少女】を演じていた女優が、倍賞さん以外にもう1人、いますよね。それも超大物が(笑)。
映画会社は日活になりまして、その名は吉永小百合! あくまで私の個人的な見解ですが、吉永が主演してヒットを飛ばした「青春映画」をいくつか観てますと、彼女のイケスカナサと言いますかねぇ、小賢しさというか、底意地の悪さというか、ちっとも健気じゃないんですよ。ハッキリ言って可愛くない(笑)。その点、倍賞さんが演じる下町の少女は、メチャメチャ愛くるしいんですよ~。……ま、彼女が本心で「その役」を演じたがっていたのかどうか? そんなことは、ハゲ茄子頭の私にはわかりませんが。
ただ、冒頭にも書いた、彼女の大ヒット曲『さよならはダンスの後で』は、発売が昭和40年ジャストですから、すでに何本もの映画のなかで【下町で育ち、貧乏な暮らしにも決して弱音を吐かず、元気に明るく生きる少女】を演じまくっている渦中です。
ひょっとして? せめて歌手をやっている間だけでも、貧乏暮らしの少女じゃなく、きらびやかな「大人の夜の世界」をそのまま歌詞に仕立てたような、軽快なリズムのポップス系の歌謡曲を歌いたかったんじゃなかろうか? と、私は勝手に妄想しております。
(※これも貴重な映像ですね。倍賞さんの近影(ったって12年前ですが(笑)))
『さよならはダンスの後で』
♪~何も言わないで ちょうだい 黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい ダンスの後に してね
ここはお馴染みの クラブ いつものように 踊りましょう
せめてキャンドルの 下で 泣くのだけは やめて……
だれにも負けず 深く愛してた
燃えるその瞳(め)もその手も これきりね
何も言わないで ちょうだい 黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい ダンスの後に してね
少しカクテルを ちょうだい 酔ったらまた 踊りましょう
だってさよならは つらい ダンスの後に してね
いまは懐しい クラブ 気のすむまで 踊りましょう
せめて恋人の ままで やさしく肩を 抱いて……
初めて聞いた 夜のささやきが
たとえ短い夢でも 忘れない
少しカクテルを ちょうだい 酔ったらまた 踊りましょう
だってさよならは つらい ダンスの後に してね
あなたがとても 好きなこの曲も
あすはどこかで独りで 聞くだけね
何も言わないで ちょうだい 黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい ダンスの後に してね~♪
倍賞さんは、吹き込んだレコードの数なら、並みの歌手に負けないほどですが、その多くは、教科書に載せてもどこからもクレームが来ないはずの、大昔でいえば「文部省唱歌」のような印象の歌が多いです。その中でも、ヒット曲にもなった『忘れな草をあなたに』(昭和46年=1971年発売/作詞:木下龍太郎/作曲:江口浩司)は、こりゃあ、もうね、絶品中の絶品! だと、ハゲが勝手に認定しちゃいます。
『忘れな草をあなたに』というと、熱心な歌謡ファンなら、「えー、その歌、菅原洋一のヒット曲でしょ!」と突っ込んで来られましょうが、実は、菅原とほぼ同時期に、倍賞さんも同タイトルのレコードを発売していたのです。所属のレコード会社が異なるので「競作」という形です。
https://www.youtube.com/watch?v=p55WIOiapLI&list=RDp55WIOiapLI&start_radio=1
オリジナル歌唱は、ヴォーチェ・アンジェリカという女声コーラス・グループで、昭和38年(=1963年)にレコード発売しているのですが、その時は流行らなかった。
ところがその数年後、どうやら菅原が、この曲をどこかで聴いて大層気に入ったため、コンサートで歌う機会が増えた。それを、倍賞が所属するレコード会社のプロデューサーが知って、「この歌はあなたにピッタリ!」と倍賞に勧めた……らしいです。菅原バージョンのレコードが意外なヒットを飛ばし、その勢いを借りる格好で、倍賞のバージョンも売れました。
現在では、高校の教科書にも載るほどの名曲になってましてね、カラオケでこの曲を歌うファンは多いです。他ならぬ私もその1人で、ちょくちょく鼻歌でも歌います。歌いながら時折、なぜだか目頭が熱くなったりして、……相変わらず調子こいたハゲです(笑)。
♪~別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
おぼえておいて ほしいから
しあわせ祈る ことばにかえて
忘れな草を あなたに あなたに
いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
さだめは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺につんだ
忘れな草を あなたに あなたに
喜びの 喜びの 涙にくれて
抱き合う 抱き合う
その日がいつか くるように
ふたりの愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに~♪
菅原のバージョンは、国立音大で正式にクラシック唱法を身に着けたあと、大好きなラテンタンゴの世界で人気歌手に躍り出た、玄人筋に〝魅惑のベルベット・ボイス〟と評されたほどの美声で、しっとりと大人の哀愁を漂わせていますよね。この素敵な歌唱は、それはそれでベリグー! なんですけれどね。
現在、菅原さんは御年92。山田洋次には2歳負けちゃいますが(笑)……、でも今年も6月以降のコンサートが幾つも予定されてます。まだまだ、お元気! ついでに私のお袋も、6月2日で91歳。いやぁ、ジジイもババアも達者なことで、嫌になるくらいです^^;。
ま、それはそうとして、今回は、倍賞バージョンの『忘れな草をあなたに』を推しちゃいます。彼女の歌声の魅力は、大人の哀愁……じゃないんだなぁ。そういうのとは、ある意味「真逆」でありまして。まるで教会で捧げられる祈りのような、清廉な響きと言いましょうかね。
愛する人への思いを、情念や怨念といったドロドロした「方向」へ走らせるのではなく、どこまでもキラキラと純粋に、健気で、そう、かつて彼女が演じた『下町の太陽』の少女のように、あくまで「透明な願い」として歌い上げる! そこに、私はすこぶる惹かれちゃいます。
次の隼人の授業の時、私は言ってやろうと思います。
「お前が、お婆ちゃん女優とヌカした倍賞千恵子はだな、半世紀以上も前、昭和のド真ん中世代の男どもを、持ち前の美貌でメロメロにした、とんでもなく【イケてる】女だったんだ。寅さんの妹役ばかりが、倍賞千恵子の魅力じゃねぇんだぞ!」
それにしても隼人は14歳になったばかりで、(どうやらママの影響らしいですが)今や野口五郎に倍賞千恵子、長谷川きよしなんぞにも強い興味を持っているようでやんす。
となると、お次は誰かな? これまた私の大好物、坂本スミ子が唄う、ド迫力の『エル・クンバンチェロ』でも聴かせてやりましょうか(笑)。
では、また次回。さよならはコラムの後で。
![]()
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。

























































































































































