八代亜紀

昭和歌謡_其の122
巳年の蛇神や天神様よりも、女が一番オソロシイ
『死ね死ね団のテーマ』
by キャッツアイズとヤング・フレッシュ
白蛇の化身
皆様、遅ればせながら、謹賀新年。
2025年、相も変わらぬ毎度のごとく拙稿の垂れ流し……。ご愛読いただける皆様の度量、寛容のお心持ちだけが頼りでございます。どうか飽きず呆れず、ワタクシめにお付き合い下さいませ。
本年の干支は巳、つまり蛇。
蛇はそれ自体が御神体でもありますから、蛇神……特に黄金の蛇を祀った神社は全国にいくつもあります。都内ですと、東急大井町線の中延駅と戸越公園駅のちょうど間にある「蛇窪神社」が有名らしいです。私は週に4回も中延駅を利用しているのですが、最寄りにそんな神社があることを、迂闊にも初めて知りました。
この蛇神が、日本に伝統的に根付いている「七福神」信仰に絡んで来ますと、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁才天(弁財天)、布袋尊……7人おいでになる「神様」のうちで唯一の女性、女神であらせます弁才天(弁財天)、通称「弁天様」は白蛇の化身といわれていまして、祀っているのは全国各地の神社ばかりか、お寺(寺院)もけっこう多いです。
上野にあるドデカイ池=不忍(しのばずの)池にある不忍池辨天堂(しのばずのいけべんてんどう)は、神社ではなく、ほど近い天台宗のお寺・寛永寺が管轄のお堂です。
このあたりが、日本の宗教観の面白いところでしてね。俗に絶望的な境遇を「神も仏もない」なんて言いますけれど、多くの日本人の感覚として、神社とお寺の違いは、年に1回、正月の初詣、お賽銭を入れてお祈りする際に、景気よく両手を打ち鳴らすか? ただ両手を合わせるだけか? の違いぐらいにしか捉えていないのが現実でしょう。まさに神仏混淆、「七福神」信仰は神様と仏様の〝良いとこ取り〟ってわけです。
さてさて蛇……。古来よりさまざまな物語に登場する際は、執念深さの象徴として描かれるのが常で、蛇のような眼差しといえば、私たちは即座に「冷酷そうに鋭く疑り深い視線」を思い浮かべるでしょうし。
この執念深さも、われわれ煩悩まみれの凡夫の身勝手な解釈次第で、ポジティブな祈願にも活かされましてね。たとえばイチかバチかのギャンブル大勝負。次の一手の勝利に「命がけで固執する」……ような方向でお祈りすれば、こんな霊験あらたかな神様もいない! それが証拠に蛇神が祀られる神社は、どこであれ「金運上昇、財宝成就」が謳われています。
ところがですね、いざ蛇の執念深さがネガティブに傾くと、湧き上がった憎悪、嫌悪、怨念の【炎】は、そんじょそこいらの厄落とし程度じゃ、どうにも収まりません。蛇神は、怒らせたら最後、煩悩まみれの凡夫を焼き殺すまでお赦しにならない。
さらにこれが白蛇の化身である弁天様になりますと、蛇神の執念深さに、女神特有「オンナの嫉妬深さ」が重なりましてね。恋人同士で仲良く弁天様にお参りに行き、周囲が煙たがるほど破廉恥にイチャついたり、……していやがると、理不尽にもたちまち2人を別れさせてしまう! ぐらいのことは朝飯前でやってのけます。
弁天様は、どの神様よりも、男女の色恋SEXに絡む〝あれこれ〟に敏感です。天界から私たちの俗世を眺めおろし、絶対に見逃さないのです。
女たらしのイケメン野郎が、好みの女を口説き落とし、さんざんヤリまくった挙げ句に飽きたらポイ! と、生ゴミのように捨て去る……なんて不埒な所業をやらかしたもんなら、その代償ともいうべき天罰、仕打ちは、どの神様よりも残酷かつ非情でしょうね。
嗚呼オソロシヤ、オソロシヤ。
正月早々、さっそくドンピシャリな不埒野郎が、それも超大物のアイドル出身の芸能人が、弁天様の逆鱗に触れ、もはや引退する以外にどうにもこうにも手立てがない……。と思いきや、本人は「芸能活動は続ける」意志を、臆面もなく公表しましたね。さてさてコンプライアンス全盛時代、世間様が許してくれましょうか?
私ね、このスキャンダルが新旧メディアに流布されだした時に、なにげなくカミサンに訊いたんです。
「お前さ、同じ立場を味わわされたとして、すでに9千万も示談金を受取っておきながら、今更、下衆な女性週刊誌やら週刊文春の記者どもに突撃取材され、『今の正直な気持ちは?』と訊かれた時に、『そりゃ今でも恨んでいます』って答えるかい?」
〝そこ〟がね、すっごく引っかかるんです。でも、……ま、私はあくまで男ですから、ここでシノゴノ書きません。下手にツッコまれても嫌なので(笑)。
カミさんはしばし思案げな表情の後で、「ノーコメントだな、私は。一切ナニひとつ答えずに、墓場まで持っていくわ」……だそうで。
一方、私のお袋……、はるかウン十年前に、幼馴染の呑んだくれ、かつ生活力皆無のロクデナシ亭主を蹴り出して離婚し、以来ひたすら「男なんて真っ平御免!」を貫いて生き長らえて、今年の6月に卒寿を迎えるという……、そういう〝オンナ〟に同じ質問をしたところ、即座にこうぶちまけやがった。
「紳(私の名前)、よく覚えておきなさい。女はね、お金と感情はまったく別なの! 示談金? 9千万もらおうが3億もらおうが、嫌な男に何かをされた記憶は死ぬまで消えないし、恨みツラミだって消えるはずないでしょうが。そんなの、訊く方が愚かよ!」
だそうです。いやはや、やっぱり蛇は、弁天様は、……いや人間の女はオソロシイ。
そんなオソロシイ女の執念深さ、嫉妬深さを、あまりにも〝そのまま〟ストレートに描いた歌謡曲がありましてね。それも、レコードが発売当時、かなりヒットもしましたし、NHKの紅白歌合戦でも唄われました。
タイトルも、そのものズバリ『愛の執念』(昭和49年=1974年9月25日発売/作曲:北原じゅん)! 唄った歌手は八代亜紀です。
異様に熱い
彼女が亡くなったのが、去年、いや一昨年の12月30日でしたから、早くも1年以上が過ぎ去りました。
私は、彼女が居なくなって初めて、演歌のジャンルを超えたさまざまな歌手たちが、先輩、後輩問わず、彼女をかなり慕っていて、アノ独特な雰囲気……、ゆったり、まったりとした空気感に「何度も救われた」らしいことを、TV番組やネット情報などを通じて知りました。
BS民放の歌謡番組において、彼女の追悼コーナーが設けられた際、八代と親しい演歌系の歌手たちが、1曲ずつ彼女のヒット曲を唄うのですが、全員が全員、歌唱の途中で泣くのです。それも涙があふれまくり、中には鼻水まで垂らしながら、「ゴメンナサイ、もう私……無理です」みたいな様子。明らかに番組の演出に合わせたお義理の涙でも、演技の涙でも無いことは、観ていてリアルにわかります。釣られて私も、泣いてしまったくらいですから。
その際に、ある歌手が『愛の執念』を披露したのです。
♪~おぼえていてよ ねえあなた
わたしがもしも 死んだなら
あなたの人生 なくなるわ
わたしが愛しているかぎり
わたしがおそばにいるかぎり
あなたは誰をも愛せない
おぼえていてよ ねえあなた
わたしが死んでも 愛だけは
あなたの胸で 生きている
あなたのいのちが枯れるまで
誰にもあなたを渡さない
こころの妻はわたしだけ
おぼえていてよ ねえあなた
わたしが死んだら その日から
あなたの命に なるでしょう
あなたが生きているかぎり
わたしはあなたを呼ぶでしょう
あの世で一緒になるまでは~♪
これ、……メチャメチャ凄まじいでしょ。おぞましいと言っても過言じゃない。まさに女の執念! いや、ここまで来ると怨念というべきなんじゃないかしら。
彼女は確かに彼を愛している。それも熱愛している。それは間違いないのだろうけれど、でもさ、その【愛】も臨界値を超えてしまえば、超有名芸能人を「今でも恨んでます」の彼女の心情と何ら変わらない。相手の男にしてみりゃ厄介なだけ。
おそらく十人中十人……とは言いません。中にはこういう愛され方を望む、ある意味、変態もいるだろうとは思うけれど、いやぁ大概の男は、私も含めて、♪~あなたのいのちが枯れるまで 誰にもあなたを渡さない~♪ なんて平然とのたまう、キチガイじみて執念深い、嫉妬深い女からは、とっとと逃げ出したくなるはずです。
こんな気色悪い歌詞を、よりによって流行歌として成立させようとしたのは、どんな野郎なんだ? と調べてみりゃ、おっと! うわぁ~、なるほど! かの「泣く子も黙る」川内康範先生じゃないですか。
若き日々は、♪~疾風(はやて)のように現れて 疾風のように去っていく~♪ 弱気を助け、強きを挫(くじ)く、「正義の味方」月光仮面の原作者であり脚本家であり、主題歌の作詞家でもあり、青江三奈の名付け親でもあり、森進一の「おふくろさん」の歌詞も書き、……活躍は芸能界にとどまらず、右翼の首領(ドン)として政財界にも物申し、時には現役総理をも叱り飛ばす! 日本国の現状および行く末を常に憂いつつ、終生、各方面に鋭いアンテナを張り巡らせた、まさに国士ともいうべき御仁、川内康範!
「なるほど!」と書いたのは、私が小学4、5年生の時分、毎週金曜日の夜7時半、テレビの10チャンネルのNET、現在のテレビ朝日系列で放映された、特撮ヒーロードラマ、「愛の戦士レインボーマン」(昭和47年=1972年10月6日~昭和48年=1973年9月28日)を世に送り出した張本人が、川内先生だからです。
先生がご自分の文筆に込める情動は、歌詞も脚本も小説もひっくるめて、常に尋常な感覚では捉えられないほど「熱い!」のですよ。それも異様にね。
しょせん子供向けの【特撮モノ】のはずが、先生の目線は、これを観るだろうガキどもの親御さんに向けられているのは明らかで、敗戦から早20年が過ぎて、日本人の多くが、戦時中さんざん味わわされた地獄のような日々……。
四六時中、空襲から逃げまどい、悶絶の飢えと戦って来た記憶を忘れ、武士道精神や大和魂なぞどこ吹く風のていたらく、謹厳実直、ひたすら真面目に「額に汗して」コツコツとモノ作りに励んできた、同胞先達の苦労や努力を引き継がんとする真っ当な心持ちなど一切無いに等しく、破廉恥なまでカネカネカネの金儲けに現(うつつ)を抜かしてやがる。
そんな世の中の空気、風潮に、思いっきり喝を入れる! 冷や水を浴びせる! にふさわしい内容が「レインボーマン」でしたからね。
煩悩まみれの日本人の「大人たち」を、さらに腑抜け同然、思考停止のラリパッパーにして、最終的に日本国、日本民族の撲滅、壊滅をたくらむ、欧米人だけで組織された極悪集団「死ね死ね団」と、インドの山奥で過酷なヨガの修行に励んだ成果として、「愛の戦士レインボーマン」に変身する術を身に着けたヤマトタケシとの「正義を賭けた」戦い……が、毎回描かれるのですけれど、
劇中に繰り返し繰り返し流される「死ね死ね団のテーマ」(歌唱:キャッツアイズとヤング・フレッシュ/作曲:北原じゅん)という曲の内容が、これまたクレイジー過ぎるほどおぞましく禍々しいのです。歌詞を打ち込むこそすら憚られるほど、ミモフタモナイ文字の羅列です。書いたのは、もちろん川内先生ご自身です。
♪~死ね死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ
黄色い豚めをやっつけろ
カネで心を汚してしまえ
死ね死ね 死ね死ね
日本(にっぽん)人は邪魔っ気(け)だ
黄色い日本 ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ
黄色い猿めをやっつけろ
夢も希望も奪ってしまえ
死ね死ね 死ね死ね
地球の外へ 放り出せ
黄色い日本 ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から消しちまえ 死ね~♪
番組放映当時、「レインボーマン」はわれわれ子供たちの間で、結構なブームになってしまいましてね。ごく自然な成り行きで、休み時間や給食の時間などに誰かが唄うんです。アカペラで。♪~死ね死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ~♪……と。
それを合図とばかりに、他の生徒も唄いだします。気づけば結構な数の声、まぁほぼ男子生徒ばかりですけれど、♪~死ね死ね~♪ の合唱です。たまりかねた師範学校出身の初老女教師は、この歌は「今後一切、教室で唄うことを禁止する!」との命令が下されましたっけ。まぁ、無理ないところでしょうね、教育者としては見過ごせないでしょう。
でもね、実は川内先生、そういう「臭いモノには蓋をする」のが、さも真っ当な指導だと勘違いしていやがる、全国の似非教育者どもに「猛省を促す!」……のも、当然ながら「レインボーマン」を創った揺るぎのない情念の範疇だったはずです。
私も含めた当時のガキンチョたちは、川内先生の〝そんな〟ココロなど理解できようもなく、ただただ ♪~死ね死ね~♪ を面白がっていただけでしたが、
いま改めて歌詞を読むと、令和の現在の、国際社会における日本国の【立ち位置】を、あまりに見事に言い当てているじゃないですか。
クソ忌々しい政府首脳による、愚かしいばかりの政治がこのまま続けば、まず間違いなく、さほど遠くない時期に、私たち日本人が愛し続けてきた昔ながらの文化も教養も自然環境も、何もかもがこの世から亡くなり、さらに世界地図から日本の国名までもが亡くなる! どこぞの大国に飲み込まれる! その可能性は、今や妄想でも冗談でもなくなってしまった。
ちなみに川内康範より5つ年下の三島由紀夫が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺したのは、「レインボーマン」放映の2年前、昭和45年=1970年11月25日です。三島と川内先生は右翼思想に通じていることもあって、かなり親しい間柄だったとか。三島の追悼集会で、開会の辞を述べたのも川内先生ですしね。
三島が亡くなる少し前に、産経新聞に寄せたコラムの中の、これからの日本に生きる大衆へ向けたメッセージは、まさしく三島の予言です。
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目(ぬけめ)がない、或(あ)る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」
今や「経済的大国」ですら、無い。哀しいほど、無い。
川内康範みずから「レインボーマン」の企画を立ち上げたのも、三島の遺志を引き継いだ故、と考えられなくもないです。
無理やりこじつけりゃ、八代亜紀の『愛の執念』も、その延長上にありましょう。このレコードの発売は昭和49年であり、「レインボーマン」放映の翌年ですからね。
「死ね死ね団」の謀略により、「カネで心を汚して」しまった日本人、それもイイ歳こいた殿方どもが、女房子供がいるにも関わらず、どこぞの飲み屋でたまたま隣り合わせた女に、ちょいと手を出し、ヤるだけヤッといて、飽きてしまえばすぐにメンバーチェンジ。恋愛やSEXをプレイ感覚で楽しむような風潮が、急速にはびこりだした1970年代なかば。
そんな由々しき振る舞いは、「断じて許さん!」
「日本(にっぽん)男児どもよ、目の前の〝その女〟を一度でも抱いたなら、とことん愛し抜け! 浮気なんてトンデモナイ。俗世のみならず、アノ世に旅立ってもなお、〝その女〟を愛し抜け!」
そんな熱い熱い、……いや正直熱すぎちまって、とてもじゃないが「凡夫のおいらにゃあ、無理無理! 御免被りたい!」と逃げ出したくなるほどの情念を込めて、川内先生はこの歌詞を書いた。
他の女性歌手なら、「先生、あたし、こんな怖い歌詞、唱えないわ~」ぐらいのことを言うかもしれませんが、八代亜紀は、ゆったり、まったりとした、例のアノ雰囲気です。さほど歌詞の深い意味など考えず、ややアップテンポな曲調にも助けられ、わりあいサラッと歌唱したのが、救いといえば救いです。
さてさて、元超人気アイドルだった誰かさん、今ナニを想ってますかねぇ? 1人っきりの部屋で、……本音で。
おそらくは、たった1発、ヤリたかっただけなのにね。
たった〝それ〟だけのことだったのにね。
かつての「死ね死ね団」の残党とおぼしき欧米各国の極悪VIPどもが、まさに「日本人は邪魔っ気だ!」とばかり、手ぐすね引いて日本国の乗っ取りを企んでいる……令和の世の中。すでに真っ当な心を汚されまくった殿方の皆の衆よ、女のケツなんか追いかけている場合じゃござんせん。
破廉恥な言動、煩悩まみれな〝あんな〟こと、〝こんな〟ことを、すぐにでも止(や)めないかぎり、弁天様は決してお許しにならず、天罰はかならず下されます。
彼岸の畔(ほとり)じゃ川内先生も、アノ鋭い眼光を放ちつつ下界を見張っておりますぞ。努々(ゆめゆめ)お忘れなきよう。
ふん、おめぇもな! ……たは、その通りで^^;。
嗚呼オソロシヤ、オソロシヤ。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。