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岩谷時子

昭和歌謡_其の123

コンプラ無き時代のインモラル(ふしだら)な女/前編

『いいじゃないの幸せならば』 by 佐良直美 

『ベッドで煙草を吸わないで』 by 沢たまき 

昭和ど真ん中

 辰年の去年の正月は「能登半島」巨大地震から始まりましたし、巳年の今年は中居の〝性加害〟(←この字面のミモフタモナさ、嫌ですねぇ^^;)から端を発した、巨大メディア企業=フジテレビの〝上納接待〟大騒動で、来る日も来る日もコンプラ、コンプラ……、馬鹿の一つ覚え。

所詮雇われ社長の分際で、創業一族の御殿のごとくヤサを建てやがった「87歳の爺」をどう引きずり下ろすか? 日本全国の大半の老若男女には「一切関係なし!」の話題ばかりが喧(かまびす)しい今日このごろでありんす。

などと、つい花魁言葉が飛び出てしまうところは、今年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の影響でありんすか?

フジテレビの、アノ馬鹿馬鹿しいばかり、超超ロング記者会見の影響で、「おい、ウチの会社は大丈夫か?」と、俄(にわか)に従業員の聞き取り調査を徹底しだす動きが、大企業のみならず中小企業にも拡がりだしたようですね。

かく言う私が勤める都内某所のちっぽけな学習塾でも、塾長による被害妄想なまでのリサーチが強行されましてね。槍玉に上げられたのは、他ならぬ塾で一番年嵩の私……。

ま、この話はやめときましょう。

さて、今からウン年前、コンプラと聴いても「なんだい、そりゃ? 天ぷらなら大好きだが」と誰しもが冗談抜きにそう反応するはずの、……昭和のど真ん中の時代。

殿方ばかりか、女性たちだって、夜な夜な、どこぞの飲み屋で「たまたま隣り合った」だけの異性と、なんだか妙に意気投合し、名前も含めて相手の詳細などほぼ何も知らぬまま、酔いに任せて深間(ふかま)になる!

なんてことは、都会のあちこちの繁華街ならば、少しも珍しくもない「よくある光景」だったり、したわけです。

ダスティン・ホフマンとミア・ファローの2人が主演した、昭和44年=1969年公開のアメリカ映画「ジョンとメリー」が、まさしく〝そう〟です。行きずりの若い男女の、出会いから別れまでの24時間を描いた作品。

スナックで出会った2人は、見ず知らずの関係のまま、お互い酒に酔いどれまくり、妙に気が乗ってしまい、そのままベッド・イン。ヤることだけはしっかりヤッて、翌朝のベッド……、すっかり酔いが醒めた2人はそれぞれ、すぐ隣に裸で寝ている相手が「誰だかわからない!」のです。

でも、それを口にするのは気まずくて、ようやく「君の名前は?」と訊けたのは、映画のラスト寸前です。「僕はジョン」「私はメリー」……、お互い、名乗ったあと苦笑します。この名前、日本人なら「太郎と花子」であり、アメリカにはごくごくありふれたもので、

つまりずっと気になっていたはずの、相手の名前を知ったところで、「だから何なの?」「そんなこと、どうだってイイじゃない!」というオチが付きました。

ニチゲイの同期だった1人は、入学当初、卒業するまでに「放送学科のマブいスケ(女)を、全員ヤリまくりてぇーなぁ!」と妄想しただけで、股間がギンギンになったとか。ある時、嘘かホントか、他大学の女子学生だったらしいですけれど、ナンパしてホテルに行ってヤッて、翌日にランチ喰って別れたそうですが、

「結局よ、そいつの名前、知らねぇんだよ。聞いたけど忘れたか? 最初から訊かなかったか? ま、そんなのどうでもイイよ。気持ち良かったから。あははは」

数年前ならまだしも、今、文字を打ち込んでいると、昭和のど真ん中の時代って、どうしょうもないくらいに破廉恥だったなぁ、と本音で呆れます。

……が、

フジテレビの社風は「かなり酷い!」から例外中の例外、……とは思いますけれど、数十年前のアノ頃に、ニチゲイも含めて「軟派色」が強い大学に通っておれば、いま記憶を無理やり遡らせた時に、冷や汗がほんのチョコットも滲み出ない野郎も女(メ)郎も、まずもって1人もいない! はずです。

そういう時代だったのです。良いとか悪いとかの次元でなく。

夜な夜な深間を楽しむ

昭和44年=1969年7月15日に発売された、佐良直美の8枚目のシングル曲『いいじゃないの幸せならば』(作曲:いずみたく)は、夜な夜な行きずりの男との深間を楽しむ、当時とすりゃかなり〝弾けた〟女の心理を歌詞に描いた歌です。

♪~あのとき あなたとくちづけをして
あのとき あの子と別れた私
つめたい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 幸せならば

あの晩 あの子の顔も忘れて
あの晩 あなたに抱かれた私
わるい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 今が良けりゃ

あの朝 あなたは煙草をくわえ
あの朝 ひとりで夢みた私
浮気な女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 楽しければ~♪

あしたはあなたに 心を残し
あしたはあなたと 別れる私
つめたい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 幸せならば~♪

(※こちらの動画は、現在の佐良直美です)

ある時「あなた」とキスをした、そして「あなた」に抱かれてしまった、……ら最後、そのめくるめく新鮮で妖しい刺激に、嗚呼……彼女はエクスタシーを感じてしまったのでしょうね。そのために、それまで付き合っていた「あの子」のことなぞ、もう〝どうでも良く〟なってしまって、自分から冷たく振ってしまう。

「あなた」はきっと年上の人。「あの子」は自分と同い年ぐらいか、年下の若い男の子。つまり〝しょせん〟ガキ。きっと、どこかトッポさを感じさせる不良っぽい印象だったのかしら? 私はつい、そんな「あの子」に惹かれ、好奇心も手伝ってか、衝動まかせで自分の中のオンナを「あげちゃった」、……のだけれど、

別の日に年上の「あなた」と出会ってしまう。この人と交わしたキスは、それまでの彼女の性体験なぞ、たちどころに「無かったこと」にしたくなるほど、実に実に魅力的であったがため、そのまま深間(ふかま)になってしまうと、もはや私は「あなた」無しで生きていけない! ほど、身も心もドロドロに融けてしまう。

まぁ、かりにも官能作家の花園乱を名乗っております(おりました)私は、昔も今も巷のどこかでこの曲が耳に入ると、即座に勝手にイヤラシイ妄想を募らせてしまいます。

大学で同期に、ちょっとトッポイ女がいて、私が惹かれてしまいがちの印象だったものですから、この曲の歌詞を彼女に当てはめて、しょせんガキの「あの子」とのSEXと、「あなた」とのSEXは、一体全体どこがどう違うのか? そんなこと、自分が一度もまともなSEXをしたことがない訳ですから、しょせん判りっこないのですけれど、愚かしくも「ああかな?」「こうかな?」と必死にイメージして、昂奮して、……以下コンプラ規制(笑)。

あれは何の映画だったか? この歌詞を、そのまんまストーリーにしたような作品がありましたっけ。不良っぽいガキの「あの子」を演じていたのは、自殺した沖田浩之? いや違うな、古尾谷雅人? この俳優も自殺でしたね。年上の「あなた」は藤竜也だった気がするのですが、……スミマセン、記憶違いかもしれません。

ラストは結局、私が勝手に惹かれまくった「あなた」には、女房も子供もいて、急速に夢から醒め、4番の歌詞同様「あした」に未練心を残しつつ、「あなた」と別れる私……。

この曲の歌詞を書いた作詞家が、〝こともあろうに〟岩谷時子であることで、レコードの発売当時、週刊誌がネタにするほど、ある意味スキャンダル的な話題になりました。

岩谷時子といえば、越路吹雪のマネージャーをしつつ、彼女が歌うシャンソンの著名曲、『ろくでなし』『ラストダンスは私に』『愛の讃歌』などの訳詞を行い、次々に大ヒットを飛ばしまくる一方、オリジナルな歌謡曲でも、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』や岸洋子の『夜明けの歌』、加山雄三の作品などなど、実に上品で生真面目で〝お育ちが良い〟歌詞を書くことで、業界内では定評があったわけです。

その彼女が、こともあろうに『いいじゃないの幸せならば』の歌詞を書き、「あの子」とキスしつつ「あなた」に抱かれるような破廉恥な女=インモラル(ふしだら)な女の生き様を、かなり肯定的に描いたわけですから。

「おい、岩谷に何があったんだ?」

そんな〝大きなお世話〟な外野の声が、岩谷本人の耳に届かないはずもありません。

実はこの曲の発売の3年前、昭和41年=1966年4月15日に発売された、沢たまき歌唱の『ベッドで煙草を吸わないで』(作曲:いずみたく)が世に出た時に、すでに彼女の胸内の「変わらなきゃ!」は始まっていたのでしょう。レコード会社の制作スタッフ陣は、ヒソヒソ声で語り合ったそうです。

「おい、この歌詞、本当にあの清純な岩谷が書いたのか?」

♪~ベッドで煙草を吸わないで
私を好きなら火を消して
瞳をとじてやさしい夢を
甘いシャネルのためいきが
今夜も貴方をまっているのよ
ベッドで煙草を吸わないでね

ベッドで煙草を吸わないで
ゆうべの約束わすれたの
こっちを向いて愛の言葉を
髪をほどいた首すじに
なぜか煙がくすぐったいわ
ベッドで煙草を吸わないでね

こっちを向いて愛の言葉を
髪をほどいた首すじに
なぜか煙がくすぐったいわ
ベッドで煙草を吸わないでね
ベッドで煙草を吸わないでね~♪

ヘビースモーカーだった越路吹雪。宝塚音楽学校の生徒だった頃から、喫煙の常習犯で「反省文は何枚書かされたか覚えてないわ(笑)」……。シャンソン歌手になると、好みの銘柄はLARK。この煙草が日本で発売された昭和39年=1964年9月から、ずっと彼女は「これ一筋」だったそうで、リサイタルやらレコーディングがある日は、緊張も手伝ってか「1日100本も吸った」と本人が面白おかしく語っています。

片や岩谷は煙草を吸わない。ひょっとして酒も飲めなかったんじゃ? そういうタイプの彼女が、よりによって沢たまきという、越路吹雪同様、人差し指と中指で挟んだ煙草を斜(はす)にくわえて、ふぅーと紫煙を燻(くゆ)らせたら、その艶っぽいポーズは天下一品! という彼女のために、

レコード会社を移籍するので、その記念にすべく「大人の女の色気をテーマに歌詞を書いてくれ!」との依頼が舞い込むわけです。

岩谷は「だったら煙草をモチーフに!」と思いつくのですが、生まれてからたったの1本も煙草を吸ったことのない岩谷には、喫煙のリアリティを持ち得ません。かなり悩みます。

平成17年=2005年に放映されたTVドラマ「越路吹雪の一代記」で、松下由樹が岩谷時子を演じていましたが、自室の中で、慣れぬ手付きで彼女が煙草に火をつけ、吸い込むとたちまちゴホゴホ咳き込み、涙目になるシーンが描かれていましたっけ。

彼女は変わりたかったんでしょうね。それまで清純路線だけが岩谷時子の作詞創作の【売り】のように、レコード会社の制作スタッフはもちろん、日夜生活をともにする越路吹雪にまで、なかば確信的に信じられていた。

その事実に対する、岩谷なりの抵抗! 「私だって、やれば出来るのよ」という意地! そんなけなげな、でも意外に強い情動が、岩谷の中に強く宿ったんじゃないでしょうか。そんな印象を、私はドラマを観ていて持ちました。

苦心惨憺の末に、歌詞が書き上がった。無事にヒットも飛んで、岩谷は大いに自信を得たはずです。そして3年後の『いいじゃないの幸せならば』につながる……と。

実はね、詳細は不明ですよ。とっくの昔に彼岸へ旅立った彼女を、揶揄する意図も、そういうセクシャリティを持つ女性を愚弄する意図も、100%ありませんが、岩谷は終生独身を貫き、終生「愛すべき」越路吹雪のそばを離れなかった。そこにはマネージャーの立場を超えた、明らかに越路への強い恋情が、ひたひたと流れていたように、勝手ながら私は感じます。

まるで太陽の輝きにも似て、常にカメラの前じゃ天真爛漫、明るく陽気! 茶目っ気もふんだんにあり、言いたいことは何でもすぐに口に出来るし、喜怒哀楽の情を隠すことなく周囲にぶちまける……、明らかに【動物】の越路と、まるで月のおぼろな輝きにも似て、常に物静かでおとなしく、存在感は希薄だけれど、でもいつだって越路のそばを離れない……、【植物】の岩谷。まさに陰と陽の関係。だからこそ、女同士で「馬が合う」ことになったのでしょう。

でも越路は、どこまで岩谷の本音を理解していたのか? ひそかに憧れ以上の心持ちで接してくる岩谷の前で、残酷にも越路は、無邪気に自分の最愛の亭主でもある、作曲家・内藤法美のことを話すわけです。「彼ったらね、昨日◯◯だったのよ」などとね。それを微笑ましげに、ただただ時折、相槌を打つ程度で聴いている岩谷は、決して聖人君子じゃない。時に、そりゃあ内心激しく嫉妬したり、したことでしょう。

その本音を、作詞創作に昇華させて岩谷は、まさに清純路線の殻をみずから壊すべく、♪~あのとき あなたとくちづけをして~♪ と書いた。

結果、大成功しまして、この曲はたちまちミリオンセラーの大ヒット! 歌った佐良直美も、みごと昭和44年の「レコード大賞」の大賞に輝いたのです。

もう1曲、時代は少し流れますが、別の作詞家の作品で、昭和55年=1980年に発売された歌にも触れましょうか。

私が大学に入った年ですが、世間はバブル真っ盛り、都会に住まう阿呆な男も女も、夜な夜なディスコで踊り狂い〝フィーバー〟していた頃……。

毎夜、取っ替え引っ替え違う男との逢瀬を、さもプレイ感覚で楽しむ女の日常を、おそらくは皮肉交じりでしょうね、描いています。

♪~夜更けに消えゆく あの窓あかり
しのべばせつない 恋模様
昨夜わかれた あの人と
どこか違う 爪あとがしみる
すてた煙草を ヒールの底で
踏めば砕ける
虹もはかない 虹もはかない
東京セレナーデ~♪

この歌のタイトルも、唄った歌手も、曲についての詳細は次回に回させて下さい。またまた長くなり過ぎましたのでね。スミマセン^^;。

ただ……。最後にこれだけは記しておきたいのですが、

この歌が商店街のスピーカーから流れていた当時、私は18歳で、もちろん童貞真っ盛りでしたけれど、この歌詞に出てくる〝ような〟大人の男女に、メチャメチャ憧れていました。

これっぽっちも「こんな女は破廉恥じゃん」だの「インモラルじゃね?」だの、意識に上った記憶がありません。

昭和55年は、そんな空気でした。令和のコンプラ「大好き」連中が不愉快に感じようが、激怒しようが、事実ですから仕方ない。

そして私同様、フジテレビの記者会見の際、雛壇にずらりと並んだジジイどもも、若い頃に〝そんな空気〟を吸いまくって来たことだけは、間違いないのです。

問題は、〝そんな空気〟を是とするか? 非とするか? 令和だろうが昭和だろうが、その判断は個々に任されるわけで。

「いやはや若気の至り。お恥ずかしい」と本音で悟れた御仁と、「一生このまんまフィーバー上等!」と勝手に妄想し続ける御仁。……この違いは大きいでしょう。

で、お前は? たはは、私は……。

「フィーバー上等」の人生を夢見たはずが、100%叶わず、「若気の至り」と悟れるほどの体験も一切無し。どっちつかずのまま、ただ生きるだけは生きて、ハゲて還暦過ぎただけ。

チッ、つまらん人生だな。……だな。おしまい。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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