並木路子&岡晴夫
田端義夫
昭和歌謡_其の128
仕組まれた流行歌「りんごの唄」
GHQ司令による国民洗脳
カストリの効用
この原稿がネットにアップされる頃には、参議院選挙の結果が判明していますね。さぁて、どうなりますか? 悪相を絵に描いたがごとくのアイツを、ほどなく国会中継やらナニやらで拝まされなくて済む世の中に、なるか否か?
敗戦後80年を経てわが国は、不埒千万な宰相が臆面もなく「日本語も習慣も、しち面倒くさい!」と公言して憚らない、嗚呼……羞恥に泣きたくなるほど、情けないくらいにお粗末千万な国になってしまいました。
今年は昭和100年、敗戦から80回目の敗戦記念日がもうすぐやって来ますが……。スター歌手の林伊佐緒みずからが作曲し、朗々と歌い上げた「出征兵士を送る歌」(昭和14年=1939年10月発売)。
♪~わが大君に 召されたる
生命(いのち)栄光(はえ)ある 朝ぼらけ
(中略)
歓呼は高く天を衝く
いざ征け つわもの 日本男児~♪
勇ましい歌詞、軽快な行進曲(2拍子)のリズム、耳に心地良いメロディ、軍歌に必須の三位一体がドンピシャリな曲構成……に洗脳されんがごとく、激戦の南方戦線などに出撃し、わが身もろとも敵機に突進して散った! 若き学徒の特攻兵士たちは、いったい何を護らんと、お国のために命を捧げて下さったのでしょう?
憎っくき鬼畜米英に負けたら、母国語である「美しい日本語」と「美しい(生活)習慣」が絶対に奪われる。それは許し難いからこそ、断固として敵国と闘う! 闘って勝つ! 全国一億(実際は7500万人だけど)の民のため、日本語と日本の習慣は護る! この理屈はイギリスでもフランスでもイタリアでも、西欧諸国にとっては言わずもがなの常識であって、間違ったって、たとえ酔いどれて口が滑ったって、大統領が公式の会見などで自国の成り立ちにも関わる伝統文化を「しち面倒くさい」などと、ほざきはしないはずです。
昭和20年8月15日以降、日本は戦勝国のアメリカに占領され、それまでの日本人にまるっきり馴染みのない民主主義を、初めて洗脳的に植え付けられました。「国民主権」に「基本的人権の尊重」に「平和主義」……。どれもこれも、それまでの日本人の価値観を根本から変えてしまった。
NHKの朝ドラの「あんぱん」が、ちょうど今(7月上旬)、その時代の物語に切り替わってます。焼け野原となった「花の東京」のど真ん中……。ようやく悲惨三昧の戦争が終わって、敵国の空襲の恐怖だけはなくなりましたが、だからといって大多数の国民が、好き放題に飯が喰える世の中になったわけじゃない。まともに雨露しのぐヤサ(家)もなけりゃ、まともな衣服も履物もない。巷のいたるところに、ただただ「生きんがため」に裸足で盗みを繰り返す戦災孤児や、街娼に身を堕とした戦争未亡人がたむろする……。
そんな、過去さんざん小説、映画、ドラマで描かれて来た〝お馴染み〟の光景が、朝ドラ特有「子どもも観てるでしょ」的なコンプライアンスに則って、あくまで表向きだけ薄っぺらく描かれました。
ただ、そうであっても、蛇の道は蛇といいますか、あくまで非合法ながら、やくざ者どもが焼け野原にバラックをこしらえて闇市のマーケットに仕立てた。ショバ代さえ払えば誰でも商売ができるようになり、またカネさえ払えば、日々の生活に必要なモノが意外なほど手に入るようになります。
すると当然ながら、呑兵衛は酒が呑みたくなる。いやぁ、まぁ……、それは戦時中だって同じでしょうが、いくら飲みたくたって肝心の酒が無かった。でも今なら、ある。カネを払えば呑める。誰に遠慮することもなく、堂々と酔っ払えます。こりゃありがてぇ~と、闇市の飲み屋に馳せ参じる酒に飢えた連中の前に、ドン! と置かれた一升瓶。……その中身がね、ううむ、こりゃヤバイ。どこでどうこしらえたのか、実に質の悪りぃ~アルコールを使った透明な液体。鼻を摘まなきゃメチャ臭い! カストリという酒でした。コップに一杯呑んだだけでベロンベロンに悪酔いできるので、敗戦後のもろもろの憂さを晴らしたい呑兵衛どもにはうってつけです。
戦意高揚から意識高揚へ
気がつきゃ敗戦後から早くも1年、2年が過ぎ……。ラジオから流れて来る流行歌は、まさか軍歌じゃありません。並木路子の「りんごの歌」(昭和20年10月11日公開/レコード発売は昭和21年1月)や岡晴夫の「東京の花売娘」(昭和21年6月発売)ほか、身も心も打ちひしがれてしまった老若男女に、前向きに生きる心持ちを取り戻させるような、そんな印象の歌謡曲ばかりが、大手のレコード会社から次々に制作されたのです。
「りんごの歌」
♪~赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
皆で歌えば なおなおうれし
リンゴの気持ちを 伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ~♪
「東京の花売り娘」
♪~青い芽をふく 柳の辻に
花を召しませ 召しませ花を
どこか寂しい 愁いを含む
瞳いじらし あの笑くぼ
ああ東京の 花売娘
ジャズが流れる ホールの灯影
花を召しませ 召しませ花を
粋なジャンバー アメリカ兵の
影を追うよな 甘い風
ああ東京の 花売娘~♪
さんざん知り尽くした2曲ですけれど、改めてこうして歌詞を並べてみると、言っちゃ悪いけれど、つまらん歌ですねぇ。歌詞の内容にさしたる意味もないですし。でもこの2曲のおかげで、「多くの国民が、とっくに忘れていた夢や希望を取り戻して元気になった」……と、昭和世相史のたぐいの書物を読むと、必ず書き添えてあります。
ホンマかいな? こんな歌1つで、単純に元気になれるなんてこと、本当にあったのだろうか? 長年疑問に感じていたのですが、昭和100年になった今、あらためてじっくりネチっこく調べてみて、嗚呼やっぱり「それ」って嘘じゃん! という事実に出くわしました。
どういうことか? 結局ね、戦時中は軍部の要請、いや厳命を受けてレコード会社は、ひたすら戦意高揚を目的とする軍歌の制作をさせられた。戦後は戦後で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要請、いや厳命を受けて、敗戦国の当然の流れで、絶望の渦中に置かれた日本人を「とにかく元気にせよ!」と、戦意高揚ならぬ、国民の意識高揚を目的とする娯楽作品=映画や歌謡曲が、国策として制作されたんですって。
つまり「りんごの唄」を聴いて国民が元気になった。のではなく、戦後の国策として、洗脳的に無理やり元気に「させられた」のです。
GHQは、まず映画会社の松竹に、制作日数1ヶ月程度の突貫工事で「娯楽映画を創れ!」と命じた。そして、東北の田舎に疎開していた佐々木康監督が、敗戦わずか数日後に、「映画を撮らせてやるから、すぐに上京せよ!」と松竹本社に呼びつけられた。彼が呼ばれた理由は、早撮りの名人だから、だそうで。彼は戦時中ずっとまともな映画が撮れなかった反動で、即座に「喜んでやらせてもらう!」と引き受けたものの、いざ話を聞けば、作品の公開は「10月11日だ」と。ハァ? 耳を疑った。「じゅ、じゅうがつぅー! あとひと月ちょっとしかないじゃねぇか」……いったん断ったものの、
「とにかく国民が明るくなれる内容なら、監督の好き勝手にやってよろしい」、
さらに、
「話の筋なんて、正直どうだっていいんだ。SKD出身の並木路子が歌って踊って……そんなもんでいい。焼け残った全国の映画館で、ようやく楽しみにしていた映画が観られる。国民はそのことで、ようやく戦争が終わったことを認識できる。国民のために、映画を撮ってくれ!」
これを監督がどう聴いたのかは知りませんが、晴れて昭和20年10月11日、映画「そよかぜ」が公開されました。そして映画の主題歌および挿入歌が、「りんごの唄」なのです。
だからということもありましょうか、この映画、今ちゃんと観ると、ストーリーがあちこち破綻していて「苦笑、失笑の渦になる」とネットの書き込みにありますが、それでも制作は天下の松竹ですから、並木路子の脇を、松竹を代表するスター俳優、加山雄三の親父の上原謙、関口宏の親父の佐野周二が固めています。
主題歌の「りんごの唄」は大ヒットしましたし、戦後を象徴する歌謡曲として、令和の今も、繰り返し繰り返し歌番組で歌われますけれど、所詮はGHQ主導で制作された、国民の意識を洗脳せんがための、わざとらしい映画と歌謡曲です。戦時中に軍部主導で制作された軍歌と構図は何も変わりません。
だからということもあるのか、作詞家のなかにし礼が生前、「りんごの唄」についてのエッセイを書いてまして、要旨を私なりにまとめると、
「昭和時代の歌謡曲は数々あれど、私にとって、こんな聽きたくない歌はない。これを聴くと嫌な気持ちがする。まだ日本人の大半は、まともな生活すらままならないのに、この脳天気な歌詞は何なんだ? 『りんごの気持ちはよくわかる?』 冗談じゃない、少しもわかってないじゃないか。『この歌を聴いて唄えば元気になる?』 敗戦で負った心の傷は、そんなものでどうにかなるほど軽くない。いくらGHQの要請とはいえ、戦争に負けるということは、こういう屈辱に耐えることなのかと、つくづく思い知らされた」
歌謡曲は流行歌であるから、世間に流行らなければ制作する意味はなくなります。その「事実」を軍部やらGHQやらが利用すれば、林伊佐緒の「出征兵士を送る歌」になり、並木路子の「りんごの唄」になる、……のでしょう。
時代に媚びず流行らす
ただ、いくら軍歌の制作であれ、依頼された作詞家や作曲家の心持ち次第で、作品の中に、巧妙に反戦の意志をにじませることは可能なのではないか? とも感じます。たとえばバタヤンこと田端義夫が唄った「梅と兵隊」(作詞:南条歌美/作曲:倉若晴生)……。
これね、作品発売の年を眺めりゃ、昭和16年ですよ。月日までは不明なので、真珠湾攻撃の前か後かはわかりませんけれど、すでに日本国じゅうが軍事体制一色に染まっている中で、この歌詞に描かれる風景は、どこか牧歌的で微笑ましくもあります。
♪~春まだ浅き 戦線の
古城にかおる 梅の花
せめて一輪(いちりん) 母上に
便りに秘めて 送ろじゃないか
覚悟をきめた 吾が身でも
梅が香(か)むせぶ 春の夜は
戦(いくさ)忘れて ひとときを
語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか
明日(あした)出てゆく 前線で
何(いず)れが華(はな)と 散ろうとて
武士の誉じゃ 白梅を
戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか~♪
特に2番の歌詞ですね。「戦(いくさ)忘れて」……、よく軍部の審査をすり抜けましたよね。戦地に赴く、わが誇るべき大日本帝国海軍航空隊の兵士は、間違ったって戦は忘れやしない。「けしからん! この非国民め!」とボッコボコに鉄拳制裁されてもおかしくないと思うのですが、そんな事実は見当たりません。
いや、むしろこの歌は、戦時中も、そして戦後も、軍歌を超えて国民歌謡的に愛されて来ました。何故でしょうか? 「これだ」という理由は思い浮かびませんが、メロディが少しも軍歌っぽくないのがグーなのかな、とは思います。
前奏からして、なんとも耳に心地良い、自然と心が浮き立つようなフレーズでしょ。審査した連中も、厳しい面持ちで曲を聴き始めたら、メロディの朗らかさと、キーの高いバタヤンの歌声ににわかに心がほぐれてしまい、つい審査が緩くなったのじゃないかしら? と、まぁ私の勝手な想像、……妄想(笑)です。
でもね、 同じ16年に戦犯・古関裕而が作曲した「英国東洋艦隊潰滅」(作詞:高橋掬太郎)という、タイトルからして、あまりにミモフタモナイ、情緒の欠片もない軍歌。不愉快になるので、あえて歌詞は記しませんけれど、you-tubeの音源は載せておきますので、ぜひ「梅と兵隊」と聴き比べて下さいな。2曲の、この極端な違いって、何なのでしょう。
結局、時代じゃないんじゃなかろうか。要は「人」なんじゃね? と、このところ3回ばかり戦時中、戦後の流行歌を追いかけてきた私は、改めてそんなことを感じました。戦時中だろうが、バブル真っ只中だろうが、コロナ禍だろうが、時代の空気に染まるヤツは染まる。抗うヤツは抗う。そしてその染まり方も、どっぷり骨の髄までベッタベタになるか、染まった振りだけして、そのココロは「真っ平ゴメン!」とアカンベーをするか、……で、立ち位置は大きく変わります。
変な表現ですけれど、なんかね、「梅と兵隊」みたいに生きたいなぁと思うのです。世の中の空気がもろ「出征兵士を送る歌」の ♪~歓呼は高く天を衝く いざ征け つわもの 日本男児~♪ にドドドと傾斜する中で、臆面もなく、この前奏から始まる聴くだに心持ちが朗らかになるようなメロディを書き、1番ではなく2番の歌詞に、しゃら~っと「戦忘れて」と書く。そして軍部の審査には「れっきとした戦意高揚、愛国の軍歌ですよ!」と胸を張る!
憧れますけれど、すぐに私にはまったく無理だ、と悟らされました。屁垂れで非力ですぐキョドるくせして、若い頃から意外なほど口だけ喧嘩っ早くて、さして考えもせずに、中途半端に目の前の相手に抗ってしまうものの、すぐに頭からビールをかけられ「おととい来やがれ!」と追い出されちまう……私なんざ、「梅と兵隊」から一番遠いのかもしれません。
そういえば、私の親父のカラオケの十八番が「梅と兵隊」でした。生前、一緒にカラオケスナックに行くたびに、酔いどれ気分で興が乗ると、「おいボロボロを入れろ!」なら内藤やす子の「想い出ぼろぼろ」、「おいバタヤンだ!」なら田端義夫の「梅と兵隊」ってなわけで。
敗戦時に10歳で、小学校の集団疎開先は山梨のド田舎。空襲の恐怖はなかったものの、来る日も来る日も固くてマズイ芋を喰わされた恨みと、「教科書に書かれたことは一切間違いだ」とばかりに墨で真っ黒にさせられた恨みは「死ぬまで絶対に忘れねぇよ」と語るほど、戦争を猛烈に憎んでいた親父が、なぜか「梅と兵隊」は愛していた。
親父はきっと物書き崩れの嗅覚で、この曲にひそむ反戦の意志を嗅ぎ取ったのではないかしら。
「バカヤロ、勝手に決めるんじゃない。俺は『ぼろぼろ』も『梅と兵隊』も、ただ好きだから歌うんだ。それだけだ。しょせん流行歌なんぞに、要らぬ意味をこじつけるんじゃねぇぞ!」
嗚呼、なるほど、そりゃそうだ。また野暮なことをほざいちまった。
お盆のシーズンです。屁垂れでキョドりの私は、1年ぶりにふらりと俗界へ降りて来た親父にめちゃめちゃドヤサれつつ、昭和100年の夏……、お国のために散った出征兵士たちの御霊に祈りを捧げましょう。
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勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。





























































































































































