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いしだあゆみ

昭和歌謡_其の125

「あなたならどうする?」
追悼・昭和歌謡の大スター・いしだあゆみ

『ブルー・ライト・ヨコハマ』
『あなたならどうする』
『幸せだったわありがとう』
by いしだあゆみ

淘汰される昭和の輩

元スマップ中居が引き起こした破廉恥な〝ヘソの下〟事件の発覚は、すぐに大手放送局である「フジテレビ」局内に長年はびこり続けた、超の付く悪しきユルユルな社内風紀の実態解明に発展し、第三者委員会による膨大な調査報告によれば、中居ばかりか、現在、食道癌の治療で入院中のとんねるずの石橋の名前も飛び出しましたね。「10年以上前」の酒宴で泥酔のあげく、愚息をポロリしちまった! そうで。

10年前、20年前……、まぁ半世紀以上前もあるでしょう、オノレの年齢をさかのぼって、むろん言い訳なんぞになりゃしないけれど、ゴメン、あくまで若気の至りの、もちろんほんの出来心、ひょっとして【あの】時の【あの】場所かしら? おそらく【たまたま】たった1回、情けなくもアルコールの力なんぞを借りて、【たまたま】目の前に現れた「俺好み」のベッピンな女(おなご)と、その夜のうちに懇(ねんご)ろになりたくて、多少なりとも破廉恥な口説きを、

たったの一度も「俺ぁ、したことねぇぞ!」と格好良く、潔く、言い切れる殿方は、全国各地にどのぐらいおられましょうか?

世間的にまったく無名な私でさえ、そう感じるのですから、良い悪いは別にして、【そういう】振る舞いが許されていると勘違いできたはずの、ブイブイ言わせまくった昭和時代の大スター芸能人なら、なおさらでしょう。

理屈とすりゃあ、イジメでもパワハラでも中居がしでかした〝ヘソの下〟案件でも、「やられた」側は死ぬまで忘れない。「やった」側はそのうち忘れちまう。それが由々しきことでけしからん! と私だって感じますよ。

「やった」側は、それがほんの些細なきっかけであろうが何だろうが、「やられた」側に、いついつに、こんな状況で、こんなことあんなことを誰それから「言われました!」「やられました!」と主張されりゃあ、その時点で問答無用アウト! 一切の弁明は許されない。……であることはわかります。

頭だけ理解したつもりになった、その直後に、つい「でもねぇ」と漏らしちまうのは、昭和時代を生きた連中の甘えであり、思考の老化であるのも、わからないわけじゃない。

そこで仕方なく「でもねぇ」の代わりに、「なんだかなぁ」と漏らす。

そこで止めときゃいいのに、つい「ホント生きづれぇ~世の中だよな、ヤんなっちゃう」などと続けてしまうと、側にいる、世代がかなり下の善良な諸君に、「だったら冗談抜きに死ぬしかないのです。時代の空気にそぐわない生き物は、残酷ですがおのずと淘汰される運命にありますから」とかナントカ、真面目な口調で諭される始末。

「ふむ、そうだな。その通りだなぁ」……今さら腹も立たない。ただ心淋しくつぶやけば、「死ぬしかない」とのたまった本人、急に慌てた様子で、「いや誤解しないで下さいね。私は別に勝沼さんのことを言ったわけじゃありません。あくまで一般論ですから」と早口に言い訳してくれちゃいましてね。私は余計に傷つくという……。

そんな折に、たまたまネットニュースなどで、昭和時代に活躍した芸能人の訃報、それが演歌ポップスロックフォーク系統を問わずに歌手で、かつかなりの大物スターだったりすると、瞬時にその歌手のヒット曲のメロディを口ずさみ、「この歌が流行ってた頃、俺は……」と、限りなくおぼろで怪しくなりゆくわが記憶をまさぐりつつ、

「嗚呼アナタ、ホント、良い時に亡くなりましたよ~」と、天に向かって告げてやりたくなります。

「令和のコンプラ包囲網の世の中、下手に長生きしてりゃあ、ウン十年前の【あの】時、【たまたま】たった1回、やらかした破廉恥な振る舞いによって、それまで積み重ねてきた栄光なんざ、まさに一発で吹っ飛びかねませんからね」

……とね。

あくまで週刊誌ネタですが、石橋に続いて名前が挙がっている超大物の芸能人の面々……。「面白くなければテレビじゃない」を看板にしていた頃のフジテレビ、つまり1980年後半から2000年頃までに、数々のバラエティ番組で稼ぎまくったアノ顔、コノ顔は今、心中穏やかじゃないはずです。

そろそろ冥界からお呼びがかかってそうな、七十代八十代の◯◯や△△なら、急性の心臓発作か脳卒中を狙えないこともないでしょうが、その下の世代……私とどっこいの六十代、その下の五十代の▽▽や◇◇は、どうしましょう? 持病があればよし、なきゃわざと転んで骨折して、どちらにせよ病院の特別病棟に緊急入院しちゃう。世間的には「芸能活動は当分の間、休業いたします」で通しちゃう。

泣くか、歩くか、死ぬ

去る3月11日に、昭和歌謡の大スター歌手、それもトビッキリ輝きまくった歌姫の1人、いしだあゆみが彼岸へ旅立ちました。

いや先にお断りしておきますが、彼女は「中居→フジテレビ騒動」の括りには該当しませんよ。しないはずです。おそらくしないでしょう。……と、知りもしない私が、シノゴノ言い切る資格なぞありゃしませんけれど。

そうではなくて、ざっくり大きな括り、昭和時代に歌手として女優として活躍しまくった、大スター芸能人という立場において、いしだあゆみの人生にだって、ひょっとして【あの】時の【あの】場所での【たまたま】たった1回の……出来事の1つや2つぐらい、あったんじゃね? という私の邪推です。

実際、お古い方はご記憶でしょうけれど、彼女は、あの醜聞(スキャンダル)多き「お騒がせ」俳優、ショーケンこと萩原健一と4年ほど夫婦をやってましたからね。

正式には籍を入れないままの「事実婚」だったそうですが、昭和52年の秋に日本テレビ系で放映された連続ドラマ『祭ばやしが聞こえる』に共演したことで、いしだは萩原と出会い「すぐに一目惚れした」んだそうで。

大阪育ちの生粋のお嬢様だった彼女にとって、不良少年がそのまま大人になった風な萩原との出会い、彼女の前で見せるさまざまな振る舞いは、あまりにも刺激的であり、当時の女性週刊誌の記事を信じるならば、いしだの方から猛烈にアタックし、萩原はむしろ「俺なんかやめといた方がイイよ」と逃げ腰だったとか。

で、実際「やめといた方が」良かったことに、なっちまうんですよね。4年間の事実上夫婦だった期間に、萩原は大麻の不法所持で逮捕されましたし、執行猶予期間中に飲酒運転で人身事故も起こし逮捕。ほどなく離婚することに……。彼女の方から一方的に別れを告げ、1人で記者会見をして、現在の心境を次のように語りました。

「自分でもびっくりするぐらい、この1カ月は本当に寂しかった」
「私が(離婚を)言い出したので、私の手で届け(離婚届け)を今月中にも出したい」
「(萩原は)大恋愛の末に結ばれた人なので、できるならもう一度、惚れさせてもらいたい」

でもね、事実婚なわけですから、そもそも婚姻届も離婚届も必要無いはずでしょう。つまりこの会見で、いしだは公然と嘘を吐(つ)いたんですね。

今時の若い皆さんなら、きっとシノゴノ叩くでしょう。「重大なコンプラ違反だ!」とかなんとか。でも昭和世代の私たちは、いや私は、しょせん芸能人のやること語ることなんざ、そんなものだとしか感じてません。

いや、むしろ逆。「だからこそ芸能人だ」ぐらいに感じていますので、この先、いしだあゆみ関連で、彼岸へ旅立った彼女の不名誉な事実が飛び出したとしても、私は特段たまげもせずに、彼女の過去をほじくり返した各種マスメディアを「野暮!」だと愚弄するだけです。

さてさて、いしだには、萩原と一緒に暮らした4年間以外にも、さまざな【顔】がありまして、子供時代にフィギュアスケートの選手として活躍していた【顔】、歌手の【顔】、女優の【顔」……。

歌手の【顔】では、皆さんもすぐに思い浮かぶ曲でしょう『ブルー・ライト・ヨコハマ』(作詞:橋本淳/作曲:筒美京平)は、所属のレコード会社をコロムビアに移籍した直後、昭和43年=1968年6月に放った、大大ミリオンヒットです。レコードが150万枚以上も売れました。

♪~街の灯りが とてもきれいね
ヨコハマ ブルー・ライト・ヨコハマ
あなたと二人 幸せよ
いつものように 愛のことばを
ヨコハマ ブルー・ライト・ヨコハマ
私にください あなたから

歩いても 歩いても
小舟のように わたしはゆれて
ゆれて あなたの腕の中

足音だけが ついて来るのよ
ヨコハマ ブルー・ライト・ヨコハマ
やさしいくちづけ もういちど

歩いても 歩いても
小舟のように わたしはゆれて
ゆれて あなたの腕の中

あなたの好きな タバコの香り
ヨコハマ ブルー・ライト・ヨコハマ
二人の世界 いつまでも~♪

でも「いしだあゆみが死んだ」と知って、私の意識の中に、すぐにふわりと浮かんできたメロディと歌詞は、この曲じゃありません。 ♪~嫌われてしまったの 愛する人に 捨てられて しまったの 紙クズみたいに~♪ でしてね。

昭和45年=1970年3月に発売された、『あなたならどうする』(作詞:なかにし礼/作曲:筒美京平)の冒頭の部分です。

この曲のことは、過去のコラムでも採り上げていると思います。歌詞をなかにし礼が書いてまして、恋人に振られた「私」が進むべき道は、「泣く」か「歩く」か「死ぬ」の3択しかない! という衝撃的なメッセージ。歌謡曲として一番聴かせどころである、サビの部分がもろコレですよ~。オソロシクないですか。

♪~嫌われてしまったの 愛する人に
捨てられてしまったの 紙クズみたいに
私のどこが いけないの
それともあの人が 変わったの
残されてしまったの 雨降る町に
悲しみの眼の中を あの人が逃げる

あなたならどうする
あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら

私のどこが いけないの
それとも誰かを 愛したの
忘れられてしまったの 愛した人に
何が出来るというの 女がひとりで

あなたならどうする
あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら~♪

これが流行った時、私は8歳。2つ歳下のカミサンは、テレビやら何やらで、この歌が聴こえてくると、「大人ってバカだなぁ」と思ったそうです。理由は、「だって他にも、もっとあるじゃん。3つしかないわけないじゃん」と。

でも大人になって、ある時にふと、この曲を聴いてみて、

「あー、やっぱ3つで良いんだ。というより、結局のところ3つしかないってことに気づいたんだ。いつまでも泣いてウダウダやってるか、絶望して命を絶つか、奮起して立ち上がって歩きだすか、3つに1つ。それしかない! やっぱ、なかにし礼って凄いね」

改めて歌詞を書いた、なかにしの才能をリスペクトしたんだそうで。

この歌詞を書いた当時、なかにし礼は私生活において、トンデモナクしんどい想いをさせられていたんですね。実の兄貴のせいで。詳しくは彼が書いた小説『兄弟』を読んでいただきたいですが。

なかにしが売れっ子作詞家になって、同業者も羨むほどに、書いた歌詞、書いた歌詞がほぼ連続的にミリオンヒットを飛ばし、面白いように大金がガッポガッポと転がり込んで来ても、

実際には、彼自身はほぼ使えず……、すべて実の兄貴が次から次へと「やらかしちゃう」詐欺同然の事業の尻拭い、莫大な借金返済に回さざるを得なかった。……内心「お願いだから死んでくれ!」と何度も兄貴を呪いまくり、後年、兄貴が「本当に死んだ」時には、周囲の目もはばからずに大声で「ばんざーい!」と叫んだそうな。

いしだあゆみはこの曲のレコーディングの際、立ち会ったなかにしに、私生活でもかなり親しい間柄(なかにしのカミサンは、いしだの実の妹です)なこともあって、「先生、私、このサビ、歌いたくないわ。だぁって、死んじゃうとかさぁ、嫌じゃない、そういうの……」と愚痴ったそうです。

でも彼は頑(かたく)なに、このサビを替えようとしなかった。

理由は? ひょっとして、自分の心境がまさに、ただ泣きじゃくって無駄な時間を送るか、いっそ兄貴を恨んで死んでやるか、それとも……愚痴ってないで前に向かって歩き出す(ヒット曲を書きまくり、なるべく早く借金を返す)か。三者択一の心持ちだったんじゃないですかね。

いや、もっといえば……実の兄貴に、「俺は作詞家だ。流行り歌の詞を書いて、アンタの借金を返す。返さなきゃならない。だから絶対にこの歌を当てる! ヒットさせる! そして世間がどう思おうが、俺はこの歌、この歌詞を耳にするたび、反射的にアンタの顔を思い浮かべる。この歌は、アンタへのルサンチマン(恨み)そのものだ」というメッセージをも込めたのではないか。

そんな気もしますが、むろんこれは私の勝手な妄想です。どうあれ『あなたならどうする』のレコードは、ミリオンヒットとまでは行きませんでしたが、なかにしの念願通りに40万枚以上も売れました。

……と、ここまで記したタイミングに、おっと! 昭和歌謡に関する、はなはだ不愉快なニュースが飛び込んで来ました。一昨年の暮れに急逝した八代亜紀の追悼アルバムを、鹿児島のレコード会社が発売することになり、その特典として「20代の頃のヌード写真2枚を掲載する」というんですね。

この話は次回、詳しく記したいと思います。……が、昭和の時代に輝かしい活躍をしたスター芸能人にとって、生前にひょっとして「やらかした」かもしれない、【あの】時の【あの】場所での【たまたま】たった1回の出来事を、誰にも探られぬうちに、コンプラ満載の浮世から「おさらば」出来たとしても、まさか〝こんな〟形で、しょせん若気の至りの「些細なこと」が、世間にさらされてしまう。

文春砲同様、ゲス極まりないレコード会社社長は、何一つ違法性なく我が物にした権利を、どう使おうが「大きなお世話だ!」とばかりに開き直ってるようで。法に触れなきゃイイんですかね、何をしても。

「なんだかなぁ」、「ホント生きづれぇ~世の中だよな、ヤんなっちゃう」などと、ぼやくしかない日常ですが……。

いしだあゆみは、こんな歌も唄っています。オリコンチャートで最高42位ですから、歌謡曲に興味がない皆さんはご存知ないかもしれませんが、改めて今、これを聴いてみると、妙に癒やされるんですよね。

たとえ日常が嫌なことばかりでも、嘘でも「幸せ」と言ってみる。ついでに「ありがとう」も。するとその言葉が霊(たま)となり、本当に「幸せ」な心持ちになる。

ま、御呪(おまじな)いみたいなものでしょうが、でもさ、イイじゃない、そんなことで少しでも胸の奥が癒やされれば。

『幸せだったわありがとう』(昭和49年=1974年1月25日発売/作詞:なかにし礼/作曲:加瀬邦彦)の歌詞を紹介させていただくとともに、いしだあゆみさんの御霊に合掌いたします。

♪~女一人残して あなた旅に出るけど
私うらまないのよ
幸せだったわ ありがとう

ほんの三月ばかりの 恋は季節みたいに
みじかかったけれども
幸せだったわ ありがとう

涙をみせないで さよならを いってるくらい
あなたは 私には とってもやさしい人だった

私ウブじゃないけど こんな恋は初めて
夢をみてるみたいに
幸せだったわ ありがとう~♪

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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